食の歴史その11~文明開化とコーヒー、紅茶~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書きました。
携帯やスマホから見ている人もいると考えて、あえて画像は載せてません。

文明開化の明治になりますと、西洋の様々な食べ物、飲み物が入ってきましたが。
コーヒーも早くから入っており、1878年には内務省でコーヒーを国内で栽培する試みが行われました。

しかし、本州で栽培を試みたせいか失敗し。1年後に鹿児島と沖縄で再び栽培を試みますがうまくいきませんでした。

こうしてコーヒーは輸入に頼るようになり。1880年にはお湯ですぐに飲めることをうたい文句にしたコーヒーの缶詰が販売され、洋食店で出されるようになり。10年くらい経つと次第にコーヒーを飲む人が増えてきました。

コーヒー1杯の値段が当事、5銭でしたが。現在の価値に換算すると1000円に相当するとの調べもあります。

他にも指標として明治時代に売られていた様々な物の物価も少し羅列してみます。

・あんパン=1銭

・うどん、そば=2銭

・カレーライス=5~7銭

・ビール=19銭

上に挙げた様々な値段と比較しますと今のように手軽に飲めるものではありませんでた。

それと現代の都市伝説に、

「メンソールの煙草を吸うとインポになる」

「コカコーラにはコカインが入っている」

「ハンバーガーが安いのはミミズが入っているから」

という外国からやってきた煙草や飲食物に関する都市伝説があるように、明治時代にも長くコーヒーを飲んでいる人の目に光沢が無く、しおれているという都市伝説が生まれました。

この都市伝説からコーヒーは目に害があるから飲むのを止めるよう騒がれていました。しかし、当事は1杯5銭と割高なコーヒーを飲む人は少なかったのであまり問題になりませんでした。

そんな都市伝説を尻目に1888年に華僑が上野で「可否茶館(かっひーさかん)」という名前の喫茶店を開業します。

この喫茶店には本、トランプ、封筒、便箋などが備え付けられており。小説家のたまり場になっていました。

しかし、あまり儲からなかったようで。2年後に浅草で開業した喫茶店とともに間もなく閉店します。

その教訓を経て現存する最古の喫茶店が1910年(明治43年)に明治の近代化と改革を行い、早稲田大学をを設立した大隈重信の協力をうけながら、学生やその他一般人も入れる庶民的な喫茶店。「カフェー・パウリスタ」を創業。

この店の銀座店にはジョン・レノンがよく利用し、他にも芥川龍之介、平塚らいてう、などの著名人も通っていました。

こうして昭和10年(1935年)には東京で喫茶店が1万軒も営業され、女性の給仕がコーヒーや軽食を運び。ある意味メイド喫茶の元祖だったりします。

この女性の給仕や、その喫茶店の光景などを太宰治、谷崎潤一郎などの作家が作品で描かれています。

一方、もう一つの飲み物、紅茶はどうだったのかと言いますと。幕末に開国後、緑茶を輸出していましたが、売れ行きが振るわず。明治になってからは1874年に紅茶を輸出できれば儲かると考え、内務省に製茶掛(せいちゃかかり)が設置され、まずは中国から紅茶の製法を学んで試みたが失敗。

次はインドから製法を学んでインド風紅茶を製造し。外国人に試飲させたところ評判よく。数年後にはオーストラリアにインド風紅茶が輸出されました。

しかし、本物のインド紅茶にシェアを奪われ、思うように外国で売れず。紅茶を生産して輸出産業にする計画は頓挫しました。

現代もその当事の名残として、紅茶専門店に行きますと「べにほまれ」という明治時代に輸出目的で作られた国産紅茶をメニューで見る事ができます。

戦前はコーヒーに比べて普及が遅かったようで。昭和5年(1930年)に日東紅茶が国産ブランド紅茶を発売し、1938年に東京の日比谷でPRして戦後の高度成長期になってやっと家庭でも飲まれるようになったようです。

以上でコラムは終わりですが。皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

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