食の歴史その15~ビール6000年の歴史~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶし用にコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見る人もいるだろうと考え、あえて画像は載せていません。

ワインと同じくビールの歴史も大変古く。既に6000年前から飲まれていました。

十二進法の数字、数学やそれを書くための楔(くさび)形文字を発明したメソポタミアのシュメール人が、大麦の粥を外に放置しておいたところ、そこへ酵母が入り込み、自然に発酵したのが始まりだろうと推測されています。

シュメール人が書き残した最も古い記録を見ますと、当時はビールは「シカル」という名前で、農業の女神ニン・ハラに捧げられていた事が記されています。

しかし、現代のビールとは程遠く、ホップの代わりに薬草を放り込んで味付けした異様な匂いがするドロドロした液体だったようで、当事の人はこれをストローで飲んでいました。

残された記録から古代のビールの醸造法をたどると、

①水に浸して大麦を発酵させ、これを天日で干す、

②うすでひいて水を加えてこねる、

③軽く焼いて砕き、水に浸した大がめに入れて足で踏んで発酵しやすくする、

④発酵してドロドロになったところを布で濾(こ)す、

といった順序で作られていました。

作業は主に女性が行っていましたが、メソポタミアこと現代のイラクの夏の高温では貯蔵しても腐るようなので、出来上がったらすぐ飲んでいたそうです。

今から3700年以上前にバビロニアの「目には目を」「歯には歯を」で有名なハンムラビ法典には、世界で最も古いビールに関する法律も書かれています。

その法律の日本語訳を抜粋しますと。

「お寺の尼さんがビール酒場を開いたり酒場に立ち寄ったりすると火あぶりの刑」

「ビールの代金を麦で受け取るが、銀貨で支払ったり、麦で支払った人より安くビールを提供した女性は水中に投げ込まれる」

などと物騒な刑罰が用意されていました。

先ほど説明したように原始的な手順で作られていたため、粗悪品のビールも多くでまわっていたようで、2300年以上前にアレキサンダー大王の家庭教師をやっていた哲学者のアリストテレスは、

「ワインを飲むと四方に倒れてうつ伏せになるが、ビールを飲むとなぜか後ろに倒れて仰向けになる」
といってビールの悪酔いをこきおろしています。

実際、古代ギリシャ人や古代ローマ人は、ワインは神々の飲み物として称えましたが、ビールはギリシャやローマの文明が及ばない田舎の野蛮な人たちが飲む低俗な酒と考え、一般市民もほとんど口にしませんでした。

それと蛇足ですが、古代から酔い覚ましにはキャベツが効果あると説かれていました。

現在のようなビール文化を生み出したのは、古代ローマ帝国を滅ぼしてヨーロッパ各地を支配したゲルマン人によるものでした。

そのゲルマン人らは風味がよく、腐敗も防ぐ効果があることから、ビールにホップを使うようになったのは西暦700年代ごろから、と言われていますが、これによって格段にビールの品質が向上しました。

ドイツなどヨーロッパ北部では、当初、農民が自家製ビールを作っていましたが、1200年前にカール大帝がローマ法王とその教会を援助して法王から西ローマ帝国皇帝として戴冠(たいかん)されたころから、修道院でのビール作りが盛んになっていきます。

この頃、教会は10分の1税として農民から年貢を取っていたので、年貢として集めた大麦などの穀物が大量にある修道院は、一度に大量のビールを作るにはうってつけの環境でした。

ちなみに、最初の修道院ビールはスイスのザンクトガレン修道院で、西暦820年ころに作られたと言われています。

ドイツでは古くから身分や男女関係無く自由に集まってビールを飲む風習がありました。

このため、カール大帝では泥酔して堕落したと見なした国民をとりしまる目的で、裁判所に原告や証人が酔っ払った状態でやってくるのを禁止し、裁判の判決をくだす貴族もしらふでないと、裁く事は出来ないというお触れを出しました。

同時に酔っ払いの兵士は反省したのち、お上に許しをもらうまでは水以外飲んではいけないというお触れも添えられていました。

カール大帝のお触れは効果がなかったようで罰金刑にしたり、牢屋に三日入れられるなど厳しい罰も下しましたが、今も昔も酒と酔っ払いを取り締まるのは至難の業(わざ)のようです。

カール大帝の時代から百年以上経った中世ドイツの飲酒のマナーはことのほか厳しく、飲むほうもそれなりの心得を持って飲んでいたようです。

たとえば、貴族と商人が一緒にビールを飲むのは禁じられていましたが、学生と飲むのは許されました。

また、若い娘が真面目な青年とプラトニックな関係で飲む事は公に認められていましたが、たとえそのような人物だと思ってなかったにしても、下心がある男と飲んだ場合大いに非難されました。

いっぽう、乾杯にも様々な掟がありました。

本来は不在の人に捧げるのが乾杯の慣わしですが、たまたま不在の人の恋人が居る場合はその女性に捧げて乾杯する事が認められていました。

乾杯してからは一気飲みで全部飲み干すのが礼儀で、飲み干したらジョッキをひっくり返して一滴のビールも残っていない事を示すのが粋とされました。

飲み仲間に新しい客が入ると、各人が客にビールを献上するのですが、客がこれを断ると死をも意味するルール違反とみなされました。

このルールによって中世ヨーロッパではビールの席での流血沙汰がしばしば起こっています。

また、客が同席者と気が合わなかったり、ビールを飲み干せない時は隣の席の女性に限って、助けを求め、代わりに飲んでもらう事ができました。

こうしたルールがあるために貴族など育ちのいい人は若い頃からビールを一気飲みで全部飲み干せるよう鍛錬していました。

ビールは教会の洗礼式、葬式、商談、集会、あらゆる社交や儀式に必要な潤滑油だったので、多くの人が真面目に酒が強くなるよう努力していました。

西暦1500年代になると、都市部の中間層によって本格的なビール作りが行われ、この頃から立派なアルコール飲料になったと言われます。

1516年にはドイツのバイエルン公国のヴィルヘルム4世が、大麦麦芽、ホップ、酵母、水以外のものでビールを作ってはいけないとする「ビール純粋令」なる法律を打ち出しましたが、これが食品管理に関する最も古い法律とされています。

にもかかわらず、1700年代までは庶民や貧乏人が飲むものというレッテルが貼られ、偏見が根強く残っていました。

その後イギリスでビールの原料であるホップと麦芽に税金をかけたのをきっかけにアーサー・ギネスが発芽させてない麦を使って税金取られないように酒を作り、これがギネス・ビールの始まりとなります。

そして新大陸アメリカにビール文化が渡っていくと小麦などを使う余裕が無かったので、代わりにトウモロコシや米などで作った飲み口の軽いアメリカン・ラガーが生まれていきます。

そして1840年代からは産業革命で安く大量にガラスも作られるようになり、今のようなガラスのジョッキにビールを注いで飲む事ができるようになり、今に至ります。

コラムはこれで終わりですが、皆さん楽しんで頂けたでしょうか?

それでは良い1週間を。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。