おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。
ビジュアルで分かりやすくなればと思って画像を幾つか入れていきます。
米、小麦、トウモロコシ並んで世界の4大作物とされているジャガイモは寒冷地や痩せた土地でも育ち。
「国富論」を書いた経済学者アダム・スミスも「ジャガイモは小麦の3倍収穫量がある」と評されています。
そのジャガイモ薄切りにして塩味つけてから揚げたポテトチップはある男が閃きや発明ではなく、腹立ち紛れに作ったものでした。
1853年の夏、ネイティブアメリカンのジョージ・クラムは、ニューヨーク州の高級リゾート、サラトガ・スプリングズのムーン・レーク・ロッジというレストランでコックをしていました。
そのレストランのメニューにはフレンチポテトがありました。
アメリカ建国の父で3代目大統領のトーマス・ジェファーソンが1785年からフランス革命が起こる1789年までフランス大使だった頃からフレンチフライが大好物で。1802年に「ポム・フリット」というパリ仕込みなフレンチフライのレシピを取り寄せ、来客者に出してから広まり、そのご本核的なディナー料理になりました。
そのフレンチフライをクラムが作って出したところ、客は厚すぎて好みに合わないと注文を取り消しました。
そこでクラムは薄く切って揚げたが、これも客は気に入らなかった。
腹を立てたクラムはこれでもかというほど薄く切ったジャガイモをフォークで刺せないほどカリカリに揚げて、客を困らせてやろうとしました。
ところが、紙のように薄くパリパリのジャガイモを食べた客は美味いと大喜び。それを見た他の客も競ってポテトチップを注文しました。
こうしてポテトチップはムーン・レーク・ロッジ特性のサラトガ・チップとしてメニューに載りました。
間もなくポテトチップは包装されて近所に売り出されましたら、最初は近所だけでしたが。次第にアメリカ東海岸のニューイングランド地方全域にまで広まりました。
この流れにのって腹立ち紛れにポテトチップを世界で最初に作ったクラムはポテトチップを呼び物にして自分でレストランを開きました。
当事はジャガイモを皮むきして薄切りにするうんざりする手作業でしたが。1920年代に皮むき機が発明されると、少量しか出回らない特製品だったポテトチップがアメリカで一番売れるスナックになる道が開かれていきます。
ポテトチップは1853年に発明されてから数十年間主にアメリカ北部のディナー料理でしたが。1920年代にセールスマンのハーマン・レイが車のトランクに詰め込んでアメリカ南部を回り、食料品店を行商し、取引しては名前を広め。レイのポテトチップはブランドとなりました。
そして、1961年にはコーンチップを作っていた会社を併合してよりアメリカ全土にポテトチップを生産して売り込むほどになりました。
一方日本ではコイケヤの創業者、小池和夫が飲みに行ったお店でポテトチップに出会い、「こんな美味しいものがあったとは」と感動し。もっと広くこの美味しさを伝えたいと思い、1962年に日本人の口に合うようにと、のり塩のポテトチップを売り出しました。
アメリカでは昔、ジャガイモは食べる寿命が縮むという迷信を信じて豚の餌にしていましたが。ポテトチップにするために油で揚げて塩をまぶした事から、高血圧と心臓病の原因の一つとなり。迷信ではなく本当に体に悪い食べ物となってしまいました。
皆さんもポテトチップを食べるときはお体にお気をつけて。
コラムは以上で終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?
1件のフィードバック へ “食の歴史その16~フレンチポテトからポテトチップに至るまで~”