食の歴史その3~関東にすきやきが無かった?~

21 6月

今日も暇つぶし用コラムを書いてみました。
携帯やスマホで見る人もいるだろうと考え、画像はつけておりません。

肉を鍋にして食べた歴史は幕末からあり。明治が確か1868年からですから、それから30年以上前からイノシシや鹿を食べており。桜田門外の変で暗殺される井伊直弼の地元の彦根藩では滋養強壮目的のお薬として牛肉を売っていました。

しかし、井伊直弼が殺生はいけないという考えから牛肉の販売をやめてしまい、最後の将軍、徳川慶喜の父、徳川斉彬は何度も牛肉をくれと手紙を書いていたと言われ。あくまでも俗説ですが、水戸藩出身の浪人が桜田門外の変で井伊直弼を襲撃したのは肉をくれないばかりか、死ぬまで軟禁させられた徳川斉彬の恨みも関係が?なんて話があります。

もし本当だとしたら昔から言われてますが。「食い物の恨みは恐ろしい」といったところでしょうか。

「パンが無ければケーキを食えばいいのに」言って逆鱗に触れてフランス革命が起こったとも言われるし。ロシア帝国はパンの配給が出来なくなったら飢えて怒りに満ちた民衆が皇帝のいるダブリーダ宮殿に押しかけて革命が起こったとか聞いてますし。食べ物の恨みが怖い事例は古今東西どこでもあるようです。

さて、話が逸れたので日本の肉食の話へ。

明治は1872年に出た「安愚楽鍋(あぐらなべ)」という本には要約すると。
「牛肉を食べるのがこれからのトレンド。牛肉を食べたら昔からのイノシシや鹿なんて食べなくなる」
と牛肉をもてはやし。1年後には明治天皇も肉食を推奨し、坊主の肉食と妻帯も許可されました。

これと同時並行して新聞などで「牛乳を飲もう」というキャンペーンも繰り広げられています。

さて、ここからすきやきが始まるかと思いきや「牛鍋」というものが出てきます。

この牛鍋は肉を角切りにしてネギを添え。味噌と醤油を混ぜて煮込むという現在のすきやきとはかけ離れたものでした。

現在のように牛肉にネギ、しらたき、豆腐を具に醤油と砂糖などで味付けするすきやきは大正時代に関西で生まれます。

それでも関東では1930年代半ばまでずっと味噌と醤油を混ぜて煮込む牛鍋でした。

それと、すきやきのルーツは農具の鋤(すき)で焼いたからという説がありますが。これが正しいすきやきのルーツではないようです。

しかし、幕末は1822年の「料理早指南」という本を要約すると。

「雁(がん)、鴨(かも)、鹿を醤油に漬け込み。古く使い古した鋤の上に置いて柚子(ゆず)も加えて鉄板焼きにして色が変わるほど焼けたら食べ頃」
とありますから。すき焼きの名前は昔からあったようですが。いつから現代のすき焼きになっていったかの過程と何故関西から広まったのかも分からないままとなっています。

以上、日本料理の伝統は思ったほど古くなかったりしたりします。
明日は伝統ある日本料理の代表だと思われる寿司の歴史も結構歴史が古くない事をかいつまんでコラムに書こうと思います。

ここでコラムは終わりですが、楽しんで頂けたでしょうか?

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