食の歴史その7~世界的調味料 醤油~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶし用にコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見ている人もいるでしょうから、あえて画像は載せません。

醤油とは大豆、小麦、食塩を原料に麹(こうじ)菌の働きによって発酵、熟成させて作られますが。ルーツは醤(ひしお)にまで遡ります。

醤とは穀物、鳥獣魚肉、野菜などの素材を塩漬けにして熟成させたもので。それぞれ「穀醤(こくしょう)」
「漁醤(ぎょしょう)」「草醤(そうしょう)」と呼ばれます。

日本では穀物を使った穀醤が好まれ、太古から使われてきたと考えられています。

この穀醤に使われた大豆は歴史が古く、大豆のもとになる種は昔は満州と言われた中国北東部、朝鮮、日本で自生していたツルマメと言われます。

ツルマメは昔から食用に使われていましたが。本格的な栽培は中国北東部とロシアの国境に至るアムール川流域で4000~5000年前から始まり。2000年以上前には中国北部で重要な作物となりました。

この大豆が2200年ほど前に稲作とともに伝わりましたが、当初は煮豆や煎り豆にして食べられていました。

その後、大陸から穀醤などの技術が伝わり、本格的な醸造が600年代に確立し。701年の大宝律令には大豆で作った醤油の記録が見られます。

それから数百年後の1254年の鎌倉時代には中国の宋から「経山寺(きんざんじ)味噌」の製法が伝わり。味噌樽の底にたまった汁から「溜り(たまり)じょうゆ」なるものが考案されています。

この溜りじょうゆから現代の醤油へと変化していくのは1500年代半ば以降でして。江戸時代になると関西の西宮(にしのみや)や龍野(たつの)、関東では野田や銚子(ちょうし)などで本格的な醤油作りがされていきます。

江戸時代初期は醤油が贅沢品でして。米一升(1.8リットル)が26文だったのに対し。醤油一升は銚子の醤油が60文、大阪の河内屋の108文までありました。
ここから勘定すると、現代の感覚では醤油一本が数千円から1万円ほどになっていたようなものでしょう。

この贅沢品であった醤油は1647年、江戸時代に長崎からオランダの船に乗って東南アジア、インド、ヨーロッパへと運ばれていました。

長崎から海外に運ばれた醤油は最初アジア各地に住む華僑が中国の醤油より質が高い評価して消費されていました。

この輸出された醤油は「ゲルテル瓶」という商品名がついていましたが。醤油のオランダ訛りである「ソヤ」「ゾヤ」という通称で呼ばれるようになりました。

このヨーロッパに運ばれた醤油は美食王として名高いルイ14世がそのうまさを愛でていて。ベルサイユ宮殿の食卓にものぼりました。

その後、20世紀後半以降のアメリカで醤油をソイソースと呼ばれ。2000年の統計によると、年間10万リットルの消費があるほどになりました。

アメリカを筆頭にヨーロッパでも消費されるようになったのは。肉、野菜などあらゆる食材を焼き物、煮物、揚げ物、生物などいずれの調理法にもなじむ調味料で。料理用と食卓用療法にも使える利便性からも海外でもてはやされています。

以上でコラムは終わりですが、いい暇つぶしになったでしょうか?

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