食の歴史その8~歴史から見る関東と中部と関西の醤油の違い~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いてみます。
携帯やスマホから見る人もいるだろうと考え、あえて画像は載せていません。

関西の方が東京に来られるとうどんの汁が真っ黒なのに驚き。
そして食すと「醤油の主張が強すぎてダシが負けている」などと評されたりします。

一方関西のしょうゆは味が薄かったりします。

この関東と関西の醤油の違いには歴史がありまして。江戸時代にまで遡る事ができます。

まず、関東の濃口醤油は大豆、小麦、塩を主な原料とし。
江戸時代に関東の濃口醤油の一大生産地であった千葉県の銚子では大豆と小麦の比率を1対1とし。大豆は蒸して煮て、小麦は炒ってから砕き、これに種麹(こうじ)を混ぜて熟成させて麹を作ります。

そして仕込蔵で桶に入れた食塩水を入れて麹と混ぜ合わせ、諸味(もろみ)として1年熟成させます。

最後に諸味を袋に入れて絞り火と言う、火であぶって雑菌を殺しつつ焦げた匂いも風味としてつける工程を経て樽に詰め込み出荷されます。

これに対して関西の醤油は米の甘(甘酒)を用いた淡口醤油でありました。

あと、中部地方では大豆、塩を原料として。大豆を煮て種麹を混ぜて発酵させた豆麹に塩水を加えて熟成させ。底に溜まった汁を溜り(たまり)として醤油の代わりに使っていました。

江戸と大阪を往来していた喜田川守貞が1837年に書かれた百科時点「守貞漫稿(もりさだまんこう)」の記述を要約すると。
「今でも愛知などの中部地方では溜りを使い、醤油を使わない」
とあるので、中部の溜り醤油は醤油と別口に分類されていたようです。

現代ではブランドになっている醤油の名前にヤマサ、ヒゲタ、キッコーマンが江戸時代から存在し。

銚子のヤマサ、ヒゲタ。これまた千葉県の野田で作られたキッコーマンなどは江戸でも有名な醤油でした。

原料の大豆は茨城県から、小麦は神奈川県から、塩は千葉県や忠臣蔵に地名が出てくる兵庫県は赤穂(あこう)から、大豆の蒸し煮に使われる木材、木炭は群馬県、栃木県から運ばれて関東の醤油製造は成り立ちました。

このような広範囲からの調達ができたのは江戸時代に海や川を船で運ぶ流通が発達したためと言われています。

いつ頃から流通が発達して醤油が作られたのかは定かでは無い所が多いですが。ヒゲタの伝承では。兵庫県西宮の真宜(さなぎ)家から製法を教わり、1670~80年代に作られたと言われています。

ヤマサの場合は和歌山県の醤油の産地として名高い湯浅から近所の広村に伝わり、それを広屋義兵衛が故郷を出て銚子に渡り、1700年に製造を開始したと言われています。

キッコーマンは分かりませんが。ヤマサとヒゲタは兵庫や和歌山など関西がルーツとなっているようです。

ここでコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

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