食の歴史その25~ヒンズー教はなぜ牛を神聖視するのか?~

7 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今回も地図で説明するために画像を幾つか貼り付けます。

宗教には戒律などによってタブーがあるものですが、有名なのはユダヤ教、イスラム教で豚肉を食べる事を禁じる事ですが。

インドのヒンズー教が牛を食べる事を禁じるタブーを皆さんも何となく聞いた事があるかと思います。

ユダヤ教、イスラム教で豚が汚らわしい動物となっているのに対してヒンズー教では牛は神格化された動物として祭り上げられています。

その意味でヒンズー教はユダヤ教、イスラム教と好対照となっております。

それは中央アジアかたインドへやってきたアーリア人と関係がありますので、インドへやってくるまでの地図を出します。

注釈しますと、地図にある数字の語尾についている「BC」は紀元前を意味します。

ですので、「20~17BC」とあったら紀元前20世紀~17世紀。およそ4000~3700年前という認識をしてくれればと思います。

およそ4000年程前、中央アジアの遊牧民であったアーリア人にとって、牛は貴重な労働力であり、牛乳やバターの供給源であり、糞も肥料や燃料になったりと、牛は彼らの生活に欠かせない存在だった事から、古代から崇拝の対象になったとされています。

その牛を崇拝するヒンズー教の神学者によると、牛には3三千万の神々が宿っていると述べています。

雄牛はインドを襲う暴風雨と生命を宿す水を運ぶ二面性から破壊と再生を司るヒンズー教の三大神のシヴァ神の乗り物として信仰の対象であり、雌牛は『旧約聖書』のモーゼのような出生伝説があり、民衆から人気の高いクリシュナ神の従者である事から、今も牛殺しは親を殺す事より重罪とみなされています。

したがってヒンズー教徒にとっては、牛は聖なる獣であって、食用にしようという発想は毛頭ありません。

経済用語の「BRIC’S(ブリックス)」は経済成長が著しいブラジル、ロシア、インド、チャイナの略称で、今も経済発展が続き、インドの外周を1週したり、十字架のような形でインドの東西南北を真っ直ぐ横断できる広大な道路網などを急速に整備している現在も野良牛が路上をうろついている光景を目にしますが、牛は神の使いなので、わざわざ牛と牛の糞を避けて通ったりしていまして。それが渋滞の原因になることもしばしばだと聞いております。

それどころか、クリシュナの祭りでは牛の群れが通り過ぎるまで人々はひざまずいてこれを待ち、落としたばかりの牛糞を額に塗ってお恵みにあずかろうとします。

ヒンズー教の僧侶になりますと、牛を世話するのこと自体が信仰のあかしであり、どの家庭も牛を飼う事によって宗教的な喜びを得るべきだと説いています。

1996年にマクドナルドがインドに出店しましたが、むろん牛肉は使われておりません。

羊の肉で作った「マハラジャ・マック」をはじめ水牛の肉、鶏肉などで代用していますが、それでも行列ができるほどの人気があったといわれています。

同じ牛でも水牛は死神の乗り物とされ、殺そうが食べようがヒンズー教徒の間ではまったく問題視されていないそうです。

いっぽう、豚に対してはすさまじい拒絶反応をみせるイスラム教徒は、こと牛に関しては食用とみなすことに罪悪感もなく。うまい牛肉を食べるために牛は存在しているのだとばかり、インドに総人口の13%もいるイスラム教徒のあいだでは密殺が絶えず。

「神の従者」がこっそり処分される件数の急増に驚いたヒンズー教団体は、近年、ウシの養老院とでもいべき施設「老牛の家」を各地に設置し、手厚い保護対策にのりだしているほどです。

このように牛に対する価値観の違いから数百年にわたって続く不毛な争いを繰り返してきましたが、ではなぜころほどまでにヒンズー教徒は牛を神聖視するのでしょう。

冒頭でもふれたように、かつて遊牧民であったアーリア人は3500年ほど前に北インドに侵入したが、そのころは牛の食用にまったくタブーがありませんでした。

それどころか、宗教的な行事には牛を生贄として捧げたとされています。

3000年ほど前の北インドではもっとも好まれた食肉は牛肉だったと伝えられております。

その後、インドという高温多湿な気候条件に合わせながら、アーリア人の生産形態は遊牧民から定住する農耕民へ移っていきました。

しかし、定住によって人口は急増したものの、それに見合った食料を生産するには、さらに農地を拡大しなければならず。

こうして、草地や森林が農耕地へ姿を変えていくのにさほど時間は掛かりませんでしたが、相対的に牛に食べさせる飼料は脅かされるようになってきました。

そこで人々は、収支バランスの立場から次のような結論に達したと言われています。

牛肉を得るために広大な放牧地を確保して牛に穀物飼料を与えるよりは、その土地で収穫された穀物を直接人間が食べた方がはるかに効率がよいのではないかと。

この考えは合理的で正しく、具体的に説明しますと、1キロカロリーの牛肉を作るには10キロカロリーの穀物が必要です。

つまり牛一頭養える穀物があったら人間10人を養う方にまわした方が合理的なのです。

さらに、北インドのような硬い土を耕すには牛は欠かせない貴重な労働力であり、牛は牛乳やバターなどを提供してくれるエネルギー源でもあります。

さきほども述べたように糞は肥料や燃やして燃料にも利用できますので、まことにいい事ずくめの家畜をわざわざ殺して食べる無意味さと非合理性に気づいたのだろうというわけです。

近代までの日本もヨーロッパもそうでしたが、定住する農耕民は家畜を安易に食用とするような真似は絶対にしませんでした。

家畜として生かし利用しつくしたほうが、殺して食べるより利益が大きい事を経験則から知っていたのです。

このような背景から、ヒンズー教のあいだでは、次第にウシは人々の生産活動に深くかかわる大切な家畜とみなされるようになっていきました。

さらに、その牛の体内には無数の神々が宿っているとの解釈を後ろ盾にしながら、単なる家畜であった牛は、神聖さをそなえた聖なる動物として大きく変化していきます。

だが、それでもなお、貴族や王族などの支配階級の一部が牛を宗教的な理由で生贄に捧げて殺したり、食べたりする習慣が絶えませんでした。

2400年以上前に釈迦によって仏教が生まれましたが、この世界初の生き物すべての殺生を戒めることを提唱した考えは、動物であれ人間であれ、殺生をとがめて動物の生贄を禁止し、動物を殺す者を非難した。

この考えは、牛を神聖視しつつあったヒンズー教に大きな影響を与える事になります。

もちろん、仏教は牛肉を食べる行為をことさら悪行と説いたわけではありません。

むしろ、動物殺害に直接関与しなければ肉食にも寛容だったし、釈迦自身も亡くなるまで肉を食べていたと言われています。

こうして釈迦が仏教を広めて200年ほど経ったころのインドでは、牛を食べる事を禁止する習慣がかなり浸透し、同じころに編纂された『マヌ法典』によれば、

「肉は生き物を損なわずしては決して得られず。而(しこう)して生類を損なうは天界の福祉にさわりあり。ゆえに肉を避けるべし」

と牛を中心とした肉食を禁じる記述が見られる。

これがのち仏教の生き物全般を殺さない戒律を取り入れたヒンズー教に影響を与え、神は肉を食べない、だから生贄は意味が無い、という論法を持ち出して大衆の支持を得て、1500~1600年ほど前にはヒンズー教の教えの一つとして定着しました。

現在にみられる牛のタブーは、こういった経緯があって始まったとされています。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

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