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原始人も使っていた爪楊枝

16 9月

こんにちは。また久しぶりに記事を書いてみます。

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ニュートンのバックナンバーを読みましたら約180年前の原人、ホモ・ハビリスの化石には歯の間に挟まった食べ物を取るためにようじを使った痕跡があると書かれていました。

さらに時代が新しくなり、30万年前に現れたネアンデルタール人にもようじは広くを使われていましたが、歯に挟まったものを取り除くだけではく、別の使い方もあったと言われています。

スペイン、カタロニアIPHES研究所のロザノ博士らはスペインで見つかった8万~3万5000年前の洞窟で見つかったネアンデルタール人の歯を分析した結果、歯に挟まったものを取り除くだけでなく、歯の根元にようじをつかった痕跡が見つかりました。

何故、歯の根元にようじを使うのかというと。歯周病によって生じる歯茎の痛みをやわらげるために歯茎の周辺にようじを当てていたと言われています。

ウィキペディアではインド発祥のものが、中国で虫歯の痛みを和らげるために柳の枝を使ったと書かれていますが。数万年前のネアンデルタール人は既にある種の植物に鎮痛作用あることを知っており、植物からできたようじを使って初歩的な歯科治療をほどこした可能性がある、と博士らは述べています。

その後、爪楊枝は砂糖が広く普及する事によって世界的に使われることになりますが。詳しくは過去に書いた記事のページをご参照下さい。

食の歴史その40~砂糖と爪楊枝~

爪楊枝を使う右端の女性

爪楊枝を使う右端の女性

では、自分も割りばしに付属した爪楊枝で歯の掃除をしようと思います。

最後まで読んでくださって有難うございました。

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食の歴史その38~長い間高貴であり続けたチョコレート

11 8月

こんばんは、今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。
ビジュアルで分かりやすくするために画像をいくつか使ってみます。

メキシコのカカオの実

メキシコのカカオの実

チョコレート、ココアの原料はカカオですが。原産地の中南米では3900年ほど前から利用され、栽培されている事がマヤ文明、アステカ文明の遺跡から明らかになっております。

当時カカオは貴重品でお金の代わりにもなっており。マヤ人の間ではカカオの断片10個でウサギ一頭、カカオ4粒でカボチャ1個、100粒で奴隷が買えました。

今でも偽札を作る人は沢山おりますが、カカオの皮に灰を詰めた偽物を作って騙す悪いマヤ人もいました。

壁画:コルテス率いるスペイン軍のアステカ征服

壁画:コルテス率いるスペイン軍のアステカ征服

このカカオを最初に発見したヨーロッパ人は1502年に中南米のポンジュラスでカカオの種を見つけたコロンブスですが、彼が一緒にヨーロッパへ持ち帰った唐辛子と同じく忘れられ。メキシコにあるアステカ帝国を征服したコルテスが1519年にカカオを煎って砕き、熱湯を加えてかき混ぜて泡立ったものを飲む利用法を知り、ハプスブルグ家の血を引くスペイン国王カルロス一世に献上されました。

スペイン名物 チョコラテとチュロ

スペイン名物 チョコラテとチュロス

それ以来、「苦い飲み物」を意味するココアは最初、貴族が朝食前のベッドで飲んで滋養強壮に使っていましたが、次第に王侯貴族だけでなく、教会の神父や女性にまで流行し。

南米では唐辛子などを入れて飲まれていたココアをスペイン宮廷で工夫を凝らし砂糖、バニラ、シナモンを入れたチョコラテとして飲まれ。揚げ菓子のチュロスと一緒に楽しむ文化も生まれました。

東京ディズニーランドに行った人なら食べた事があるであろう、チュロスは。本場スペインでは単体で食べるだけでなく、チョコラテと一緒に食べるのも定番となっています。

1600年代のスペインでは良家の娘の嫁ぎ先に持参金かわりにカカオを持って行く習慣があり、1615年と1660年の2度にわたってフランスに嫁いだ王女によってココアはフランスにも定着していきました。

ハプスブルグ家の女帝マリア・テレジア

ハプスブルグ家の女帝マリア・テレジア

1736年。フランスの近くからハプスブルグ家の本場オーストリアの女帝マリア・テレジア(1717~1780年)へ婿入りしたフランツによってウィーンの宮廷にも伝わり夫婦仲良くココアをたびたび飲まれました。

当事、ココアはコーヒー、紅茶の3倍の値段で取引され。いまだ珍重された飲み物でしたが、マリア・テレジアとフランツ夫妻が愛飲したココアは乾燥させたバラとジャスミンの花びらをココアパウダーに混ぜて数日間保存して香り付けしたものですが、花びらで香り付けする習慣はアラビアの食文化とされ、アラビアではバラの風味のついた水や油が使われていました。

ですので、ハプスブルグ家のココアは東洋と西洋が融合されたメニューといえるでしょう。

ザッハトルテ

ザッハトルテ

その後、ハプスブルグ家の歴代皇帝に仕えた宰相メッテルニヒが1832年、フランツ・ザッハーに飽食した貴族のために新しいデザートを作るよう命じたところ、1700年代からあるココア風味のケーキをひと工夫加えたザッハトルテを作ってだしたところ、フランツ・ザッハーの特別料理としてウィーン中の話題となり、世界中に広まっていきます。

それから15年経った1847年、イギリスのジョセフ・フライが固形チョコレートを発明し、スイスではネスレの創業者アンリ・ネスレがミルクチョコレートを大量生産して世界最大の食品会社ネスレの礎を築いていきます。

チョコ専門職人ショコラティエとデザート

チョコ専門職人ショコラティエとデザート

こうしてネスレを筆頭とした大企業によって規格化され、大量生産されたチョコレートのおかげで値段が下がり、庶民にもチョコレートが広まる一方、ベルギーやフランスを中心にチョコ専門職人ショコラティエが作る高級チョコレートの店が立ち並び、ヨーロッパでは差別化が図られてきました。

ブラウニーケーキ

ブラウニーケーキ

こうしたチョコレートが大西洋を渡ってアメリカに到着し、1893年のシカゴ万博にて「万博に参加する女性のために、ケーキひと切れよりも小さくて、お弁当箱から気軽に出して食べられるようなデザートを作ってほしい」というリクエストに応えてブラウニーというお菓子が考案されました。

ここから家庭でも作れる様々なチョコレートケーキのレシピが出回るようになり、太平洋を越えた日本でもレシピサイトのクックパッドに「ブラウニー」とキーワードを入力すると、1760種類ものレシピが出てくるのを氷山の一角に、多彩なチョコを原料としたお菓子が企業、家庭問わず作られております。

カカオからチョコレートに至る歴史をかいつまんでかいていましたら、むしょうにチョコが食べたくなったので、今日は寝る前に板チョコを冷凍庫に入れた物を出して夜食にしようかと思います。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その36~トマトがなかった昔のケチャップ

2 8月

こんにちは、今日も暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

ビジュアルで分かりやすくするため、画像を沢山使ってみました。

今、ケチャップと言いますと完熟トマトを加熱してから湯剝きで皮を取り、裏ごししてから低温で煮詰めてトマトピューレを作り。砂糖、塩、酢、オールスパイス(ピメント)、シナモン、グローブを加え、タマネギ、セロリなどの野菜も加えて作られます。

ケチャップ状の調味料には歴史があり、古代ローマ時代からあるケチャップは広く「ガルム」という名で知られ、リクアメンと呼ばれていました。

ローマでのガルムの製法

ローマでのガルムの製法

ガルム、またはルリクアメンは世界で最も古い調味料の一つで。酢、オイル、コショウ、干したアンチョビをドロドロにしてから潰して裏ごしにして調味したソースでした。

古代ローマで作られたトマトのないケチャップは鶏肉や魚に良く合うソースとして重宝され、ケチャップ工場で有名な町もありました。

2000年ほど前に火山灰に埋もれたポンペイの遺跡には「最高に滑らかなリクアメン。ウンブリクス・アガトホプス工場製」と書かれた世界で最も古いケチャップの瓶が発掘されています。

しかし、これは現在のケチャップの直接の先祖ではなく。1690年代に中国でやはり鶏肉と魚用のソースとして魚の酢漬け、貝、スパイスを塩水で漬け込んだものがマレーシアやその周辺にも伝わり、ここで「ケチャップ」という言葉が初めて出てきます。

このケチャップを1700年代にイギリス人がマレーシアやシンガポールの原住民が食べているのを見つけ、故郷のイギリスに持ち帰り、イギリスでもその味を懐かしんで料理人に作らせたのですがアジアのスパイスが手に入らなかったので、代用として魚介類ではカキ、アンチョビ、ロブスターを使い、他にはマッシュルーム、インゲンマメ、クルミ、キュウリ、クランベリー、レモン、ブドウなどで作り、現在でもパイやシチューに使われています。

イギリスのキノコから作ったケチャップ

イギリスのキノコから作ったケチャップ

この中国、マレーから伝わってイギリスで独自に作られたケチャップはイギリス人を魅了し、ハリスン夫人の書いた『ハウスキーパーのポケットブック』という人気の高い料理書に、主婦は「このソースを決して切らしてはなりません」と書かれています。

チャールズ・ディケンズ

チャールズ・ディケンズ

ヴィクトリア朝時代のイギリスを代表する『オリバー・ツイスト』などの著書を残した作家チャールズ・ディケンズ(1812~1870年)は『バーナビー・ラッジ』の中で「たっぷりケチャップをかけたラムチョップ」に舌鼓をうち、パイロン卿は彼の詩『ペッポー』の中でケチャップを称えています。

このケチャップにトマトに入ったのは1790年ごろ、アメリカのニューイングランド地方で生まれたとされます。

トマトは今のメキシコに繁栄していたアステカ帝国で食用に品種改良し、栽培されており。そのアステカを征服したスペインのエルナン・コルテスが1519年に種を持ち帰ったのですが、毒草のベラドンナに似ているのと、赤い実だけでなく毒のある葉も間違って食べていたから長い間毒とされ、日本でも江戸時代に長崎から伝わり、貝原益軒の『大和本草』にもトマトについて書かれていたのですが。ここでも偏見があり、日本でも食用になるのは明治を待たなければなりませんでした。

トーマス・ジェファーソン

トーマス・ジェファーソン

こういったトマトの偏見を覆したのがアメリカ建国の父の一人トーマス・ジェファーソン(1743~1826年)でして、アメリカで最初にトマトを栽培し、赤い実だけ食べれば毒は無く、すぐれた食べ物である事を知らせました。

アメリカにパリ仕込みのフライドポテトを持ち込んだりとアメリカの食生活にも影響与えたジェファーソンのトマトとそのケチャップはすぐさま広まり、1792年にリチャード・ブリッグが書いた『新しい料理法』にトマトケチャップの料理法が書かれ、1850年代にもなると、どこの家庭にでも見かけられるようになります。

この頃人気のあった料理書、イザベラ・ビートン著『家政学の書』は、「トマトケチャップ・ソースは経験を積んだ料理人にはもっとも利用価値の高いソースの一つです。作る手間を省いてはなりません」と主婦たちにアドバイスしています。

しかし、家庭ではトマトを湯剝きして、裏ごししたものを絶えずかき回して作るトマトケチャップは大変な手間であり、1876年にドイツ系アメリカ人の料理人兼ビジネスマンのヘンリー・ハインツが世界で初めて瓶詰めケチャップを最初に大量生産されたとき、アメリカの主婦達がしきりに買い求めたのも当然のことでした。

ハインツ社のトマトケチャップ

ハインツ社のトマトケチャップ

ハインツ社を作ってトマトケチャップの瓶詰めを量産したヘンリー・ハインツは「お母さんがたと家庭を預かる女性に福音!」とレッテルに書いて売れたケチャップは、瓶の形は底が広くて首が細いデザインと中身のケチャップの製法が百年以上の間、ほとんど変わっていません。

アメリカから飛んで日本に向かいますと、カゴメのトマトケチャップが圧倒的なシェアを得ていますが、これは明治になってから西洋野菜としてカゴメの創業者、蟹江一太郎が1899年にトマトを栽培し、数年後豊作で余ったトマトを保存食にするべく、西洋のケチャップの製法には必要なオールスパイス(ピメント)、シナモン、グローブなどのスパイスの調達が難しく、代用で漢方薬を使ったりと試行錯誤を繰り返し。1904年に生産を開始し、今に至ります。

カゴメが国産ケチャップを開発、販売していなければ。チキンライス、オムライス、ナポリタンは生まれていなかったかも知れません。

今日はケチャップでタマネギとピーマンを炒め、ナポリタンを作りたくなってきました。

皆さんもケチャップがあったら何かに使ってみませんでしょうか?フライドポテトにケチャップも美味しいですよね。

それではケチャップをふんだんに使ったナポリタンを食べますので。今日のコラムはこれで終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?