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食の歴史その6~バーボンとフランス~

21 6月

こんばんは。今日も暇つぶし用のコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見ている人もいるだろうと考え、あえて画像は入れてません。

アメリカ生まれで西部劇の映画でも良く飲まれているバーボンはアメリカ人にとってフライドポテトとコーラとハンバーガーと同じくらい好かれているものです。

1830年代にはアメリカ全土の大人がバーボンを年間に750ミリリットル瓶で30本飲んでいる計算になるほど飲んでいました。

この計算には飲酒の習慣が無い女性やイスラム教でないけど宗派の問題で飲まない人も含めた数字なので、実際は大人の男性がもっと飲んでいるとみられます。

バーボンの由来はアメリカ独立戦争に対してイギリスに宣戦布告してまで援助したフランスはブルボン朝の国王ルイ16世に対する感謝の意をこめてフランスとそのブルボン朝にちなんだ地名をアメリカ各地に命名していきます。

後にバーボンが盛んに製造されるケンタッキー州バーボン郡の地名はブルボン朝のアメリカ訛りですし、他にもパリから取った「パリス」、ルイ16世にちなんで「ルイビル」、ベルサイユにちなんで「ベーセールズ」などの地名がアメリカにあります。

このバーボン地方ジョージタウンで最初にバーボンの原型を作ったのはバプテスト教会の牧師エライジャ・クレイグでして。後に「バーボンの父」と称えられています。

クレイグは「ケグ」というホワイトオークの内側を焦がした小さな木樽を使ってスモーキーな独特の香りと、まろみを出す事に成功しました。

しかし、バーボン醸造はもう少し経って。アメリカ国内での動乱がきっかけになってさらに発展していきます。

そのきっかけはイギリスの植民地だった頃のウィスキーに対する高い課税を独立したアメリカもためらいもなく重税を課したため。ライ麦ウィスキー製造の中心地だったペンシルバニア州を中心に「ウィスキー一揆」が起こり。政府は独立戦争時よりも数多い兵力を投じて鎮圧しました。

そして、行き場のなくなったウィスキー製造業者たちは当時辺境でアメリカの法律が行き渡っていなかったケンタッキー州のバーボン郡などへ移り、高い税金から逃れてライ麦ウィスキーを製造します。

しかし、ライ麦が凶作で仕方なく場繋ぎでトウモロコシを原料に使って蒸留酒を作ってみた所、口当たりの良い酒が生まれました。

他にもケンタッキー州は色々とウィスキー製造に恵まれた土地でした。
水を浄化してウィスキーの酸を中和してくれるライムストーンと呼ばれる石灰岩層が広がり。
牧草地帯はトウモロコシの栽培に適し。
山へ行くと樽の材料になるホワイトオークもにも恵まれており。
寒すぎず、暑すぎずの気候がバーボンのための特殊な酵母を作るにも適しており。
まさにバーボンを作るためにあるような土地なので。アメリカの法律や税金が及んでもウィスキー製造業者は留まってバーボンを作り続けました。

しかし、最初は現在のように厳格なバーボンの基準もなく、粗悪品もあったりと品質がまちまちでした。

それを変えたのはスコットランドからやってきた外科医ジェームズ・クローでした。

クローはトウモロコシや麦芽、水などの配分の比率を定め。製造手順を定め、衛生管理も徹底させるなど努力した結果、1835年に高品質のバーボンが製造されるようになりました。

こうしてバーボンと名乗れる厳密な条件も出来上がって生きます。
どんな条件か挙げますと。

1、原料のトウモロコシが全体の51~79%を占める。
2、樽から出された時のアルコール度数が40~62.5度であること。
3、蒸留後、ホワイトオークの内側を焦がした木樽である「ケグ」の中で2年以上寝かせること。
4、ケンタッキー州で製造されている事。

この4つの条件に合格していないと現在はバーボンと名乗れないほど厳密な規定となっております。
ジャックダニエルの製法はバーボンとあまり変わりないのですが、テネシー州で製造されているので。「テネシー・ウィスキー」に分類されます。

以上でコラムは終わりです。皆さん、いい暇つぶしになったでしょうか?