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世界の食文化その3~イスラム教の食事マナー

8 8月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュルアルで分かりやすくするために幾つか画像を使います。
イスラム教では、預言者ムハンマドの行動を信者の慣習と定め、イスラム教にとって民法、刑法、行政法というありとあらゆる範囲にまで及んでいるイスラム法のシャリーアを学ぶ上で重要な第1経典『コーラン』の次に重要な第2経典『ハディース』という経典にまとめられています。
その中から、食事に招かれたときの礼儀作法やマナーなどをおおまかに説明していきます。
まず基本は多くの人で分け合って食べる事です

経典にも「二人分の食べ物は3人に十分であり、3人分の食べ物は4人に十分である」として列席者が増えるのを歓迎されます。

こうして列席者もそろったところで大皿に盛られた料理は必ず蓋をして運ばれてきます。これは悪魔が料理に悪さをするのを防ぐためで、イスラム教では悪魔を意識した行動が数多く。

例えば、食事に右手を使うのは、悪魔が左利きとされているからです。

そのため、全ての行為は右から行い。順番は右回り。歩く時も右足から歩き、文字を書くときも右から左へ書き。上座(かみざ)も右側とされています。

クルスィー

クルスィー

食事の席は円形の敷物に「クルスィー」という小さなテーブルのようなものを置き。その上に「シーニーヤ」という金属製の大きな盆が置かれ、これは平安と祝福があるようにと預言者がした行いに近いものとされています。

シーニーヤ

シーニーヤ

そして、敷物の上に置かれた大きな盆の周囲に置かれたゴザに靴を脱いで座り。この時は寄りかからず、片ひざを立てます。

この片ひざの立て方も右ひざを立て、左足に重心を置くようにと決まっています。

こうやって詰めて座る事によって多くの人が列席できるようにするためと、胃を圧迫して食べ過ぎないようにするためです。

経典に「・・・(胃の)1/3は食事に、1/3は飲み物に、1/3は呼吸のために」とあって食べすぎが厳しく戒められ、ベルトもきつく締めるように言われます。

イスラム教では異教徒は腸(はらわた)が7つあるが、イスラム教徒はひとつの腸を満たせば良いと言われ、預言者ムハンマドは痩せて健康的であるのが望ましいと語ったとされてあるので、その影響から小食で満足できる工夫がされたのかも知れません。

ただ、イスラム教は例外事項も多く。座るスペースに余裕があれば、あぐらをかくのも許されます。

中東の水差し

イブリーク(水差し)

こうして準備が出来たら水差しから注がれた水で手を洗い、食後も同じく手を洗います。

食前と食後の手洗いに関してイスラムの学者は石鹸や洗剤で洗うのが好ましいとも述べています。

こうして準備が整うと、いただきますにニュアンスの近い言葉として「神の御名にかけて」を意味する「バスマラ」と唱えて食べ物が浄化されたと見なされてから食事が開始されますが、最初に食べるのは年長者、徳のある人から食べ始め、それから他の人も食べ始めます。

もし、うっかりバスマラと唱える前に食べてしまった場合は気づいた時点で「始めも終わりも神の名において」を意味する「ヒズミッラー・アッワリヒ・ワアーヒリヒ」と唱えると良いとされています。

素手で食べる場合は右手の親指、人差し指、中指を使って、一口分だけちぎって口に運び。よく噛んで口に入っている食べ物を飲み込むまで他の食べ物に手を伸ばさないよう注意します。

パンをちぎる場合、肉から骨をはがす場合など、両手で行う必要がある場合は左手を使う事も許されています。

イスラムの食事風景

イスラムの食事風景

こうやって近くの皿に盛られた食べ物に手を伸ばし、黙って食べないよう談笑して時間をかけ、音を立てず、美味そうに食べていきます。

リチャード・フランシス・バートン

リチャード・フランシス・バートン

余談ですが、通称『アラビアンナイト』とも『千夜一夜物語』とも言われるイスラム文学の翻訳者である1800年代を代表するイギリスの探検家リチャード・フランシス・バードンがイスラム圏に滞在していた時に、母国で食事する時と同じように静かに食べていたところ、周りにいた人から
「君はなんだって小動物みたいにそんなに静かに食べるんだ。食欲がないのか?もっと、にぎやかに食べなさい。」と言われたそうです。

話を食事マナーに戻しますが。食事中、皿の位置を変えたり、美味しそうな部分を独り占めしてはいけません。

他にも嫌いな料理はスルーして文句は言わない事。客は好き嫌い関わらず、勧められても勧めた側の家族が食べ残しで食事をするためにも、あえて遠慮します。

その他のマナーも箇条書きにしますと。

・よく噛んで時間をかけて食べる。

・人に「食べろ」と言って困らせない

・人が食べている姿をじっと見つめないよう心がける。

・複数の料理を1度にまとめて口に入れない。

・音を立てずに食べる。

・食べるときに他人の服にこぼしてを汚さないように気を付ける。

・口の中に食べ物があるまま喋ったりしない。

他にも大事なマナーとして食事中に指を舐め、その舐めた手で料理を取ってはいけない。というのがありますが、食が進んで満腹になってきて手を止めてから指をなめるのは満腹を示す仕草として推奨されています。

それから口に水を拭くってゆすぎ、手をハンカチなどの布でぬぐいます。

ミスワーク

ミスワーク

預言者ムハンマドは木の枝でできた歯ブラシ「ミスワーク」で歯磨きしてから口をゆすぐ事を推奨していますので、食後に歯磨きをする場合もあります。

手をぬぐい、水で口をゆすいだらニュアンス的にはご馳走様を意味する「ハムダラ」と唱えて席を立ちます。

他の人も満腹を感じたら「神に感謝を」を意味する「アルハムド・リッラー」と唱えて席を立ちます。

ムルジファーン

ムルジファーン

こうして席を立つと別室で食後のコーヒーか紅茶が出される場所へと移動し。先ほど食事終了したさいに手を布でぬぐった手をより清潔にするためテシュト(水受け)の上にイブリーク(水差し)を載せた、運ぶときに金属の擦れ合う音を立てる「震え声をたてるもの」を意味するムルジファーンという道具が運ばれてきますので。この道具で手洗いをします。

この手洗いを「あきらめの父」を意味する「アブー・イヤース」と言われます。

コーヒーを注ぐイスラム教徒

コーヒーを注ぐイスラム教徒

手洗いを済ませて運ばれる飲み物にもマナーがあって、右手で器を取り、中身を確認してから穏やかに口をつけて3度にわけて飲みます。

食後に用意されるのはコーヒー、紅茶だけでなく、「余力の父」を意味する「アブー・サルウ」と言って、香炉で香を焚いて食事中についた匂いを落とし、さっぱりさせて出ていけるよう気づかいをする場合もあります。

食事を開いたホストの家の格によってお香のグレードが上がったりします。

さて、世間でも広く知られており、このブログでも取り上げましたが、イスラム教では豚と酒がタブーで。

豚成分の入った調味料、豚肉に触れた食器、酒を注いだコップを使うことさえ禁じられています。

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そのせいもあって2000年に、味の素の成分に豚の酵素が入っているとしてのインドネシアの現地法人の社長が逮捕され、味の素の製品が姿を消しましたが。その後、豚の酵素を使わない商品をだして製造販売を許可をされ、現地法人の社長も釈放され、再びインドネシアで味の素の商品が出回るようになりました。

2000年に起きた味の素の事例でも分かるとおり今でもイスラム教では大雑把に言うと豚や酒が駄目でイスラム法で許可された食材しか食べてはいけないとする「ハラール」があるため、敬虔なイスラム教徒は一般的な日本人の家で食事する事はないでしょう。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

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世界の食文化その1~世界の4割は直接手で食べている~

27 7月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回も地図を使って説明しますので、画像もアップします。

1912年のアフリカとヨーロッパの植民地支配

1912年のアフリカとヨーロッパの植民地支配

直接手を使って食べる行為は特に欧米ですとアジア、アフリカを征服し。植民地とした優位性からか。征服した現地の手を使った食べ方に非文明的、不衛生、不作法、下品というイメージが先行し、文明開化して欧米化した日本にもその価値観を押し付けていましたが。欧米の自己中心的な価値観が生んだ偏見にすぎません。

中世ヨーロッパの食卓

中世ヨーロッパの食卓

自ら「先進地域」としているヨーロッパでさえ、長い間ナイフで切り分ける以外は手で食べていましたし、

箸で食べる文化の日本でもおにぎり、サンドイッチ、ハンバーガーなどを手で食べていたりします。

世界の歴史を振り返っても人類は手で食べる事を基本としていました。

ですから、手で食べたからといって、粗野で文化の程度が知れるものではありませんし、逆にそのような思い込みこそ、人類の食文化史に対する無知をさらけだすことになります。

現在も手で食べる事文化が地球上の総人口の4割を占めており、25億人以上の人々が手で食べている計算になります。

なかでも、インドのヒンズー教徒や中東のイスラム教徒などは、食べ物は神から与えられた神聖なものと言う固定概念が強く、昔はヨーロッパもそうでしたが、食器などを使わず、手で食べる事が最も清浄といった宗教的な戒律を強く守っています。

しかも、この文化圏では右手は清浄だが、左手は尻拭いに使うほど不浄という考えが徹底し、神から与えられた食物に触れることが許されるのは、右手だけと信じられ、たとえ左利きであっても左手で食べ物を持つ事はあっても、左手を使って口に運ぶことはまずありません。

中東の食事風景

中東の食事風景

この文化圏では食事に使う手も親指、人差し指、中指の三本だけと決められてありまして。

北アフリカの先住民であるベルベル族の間では次のようなことわざがあります。

「一本指で食べるのは憎しみを象徴することであり、二本指で食べることは傲慢さをしめす。三本指で食べるのはムハンマドのイスラムの教えに忠実なものであり、四本あるいは五本指で食べることは大食漢であることをしめす。」とあります。

ヒンズー教徒などが手で食べる場合、第二関節から先だけを使い、あたかも象の鼻のように器用に動かしながら食べ物を掴んで放り込みます。

インドの食事光景

インドの食事光景

カレーのような汁物でも問題なく手で手で食べます。つかむ、つまむという動作を通じて、口だけでなく手の感触も楽しめる事から、彼らは、

「まず手で味わい、次に口で味わう事ができる」と言われるほど、手で食べる事にこだわりがあります。

掴み方の方にも様々な厳しい食事作法があります。まず、食事の前後に必ず手を洗う事は言うまでもないが、同時に口もすすぎます。これは古来、食べる行為を神聖な儀式とされていたことの名残ですが、特に食後の口のすすぎは、指の腹側を使ってよくこすり、口の中を綺麗に掃除することが礼儀となっています。

床の上で食事するインド人

床の上で食事するインド人

最近では組み立て式の食卓も一般化しつつあるとはいえ、庶民の家では床の上に大きな風呂敷のような布を広げ、この上に食べ物を並べるのが一般的な食べ方です。布は膝にかけて、そのままナプキンとして使うこともできます。

食べるときは、食べ物を取り囲むようにして座り、男性や子供はあぐらをかき、女性は膝を立てた姿勢をとります。

このスタイルはヒンズー教もイスラム教もほとんど変わりありません。

来客の時は男女別々に食事を取り、食事中に誰かが尋ねてきた場合には、食事にともにくわわるようすすめるのが礼儀となっています。

いっぽう、手で食べるために指がやけどするような熱い料理は食べません、というか食べられていません。

つまり手で食べる文化圏では息をかけて冷ますような熱いスープなどの料理はあまりつくりません。

また、幾ら起用に扱っても手は汚れるし、お代わりは自分で取り分ける事ができないために、主婦あるいはホスト役が気を利かせて器の中から注ぎます。

このときに限って木製のスプーンを使うことが許されています。

日本人は一般に潔癖症な性格だと言われています。

しかし、カースト制のもとに清浄、不浄の概念が徹底しているヒンズー教徒のほうがより潔癖と言えるかも知れません。

そもそも自分の手以外に食べ物には触らないという徹底ぶりのうえ、食器や道具もできるだけ使おうとしません。

他人が触れたり使用したりする食器は不浄そのものという考え方から、日本人のように茶碗によそって箸を使うほうが彼らにとっておそ「不潔」となります。

インド南部の葉っぱを使った食事の盛り付け

インド南部の葉っぱを使った食事の盛り付け

従って、食べ物は皿やお椀に代わって、バナナやバショウの葉に盛り付けるか、あるいは使い捨ての素焼きの器に入れて食べます。

水を飲むときもコップに口をつけないようにするか、使い捨ての素焼きの器で飲みます。

何故ここまでヒンズー教ではこだわるのかと言いますと、ヒンズー教における戒律の一つに、異なるカーストの階級が交じり合う事を厳禁していることが背景にあります。

インドのカースト制では、この戒律と制度のもとで、上位のカーストは下位の不浄なカーストを見ることさえ忌み嫌います。

ましてや彼らが触れたかも知れない食器を使い、同じ食卓で同じ食べ物を食べることは、自らを汚す行為にほかなりません。

異なるカースト同士が絶対に食事をともにしない理由はここにあります。

また、共同の食器としての盛り皿を利用する場合、タライのような金属製や石製品はあとで綺麗に洗えるから清浄とされています。

しかし、共同の食器から個人用の食器に取り分けられた食べ物は、口につけたか否か関係なく不浄な存在であります。従って一旦取り分けられたものを他人が食べることはありえないので、料理を残すことは極めて礼儀知らずな行為となります。

ただし、中東や北アフリカなどに住むイスラム教の人々には金属製の共同の食器をごく普通につかいますが、ヒンズー教のような厳しい清浄・不浄の概念はないと言われています。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その18~最初は下品だったフランス料理~

26 6月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いて見ました。

今回も文章だけでは説明しきれないので地図などを載せさせてもらいます。

メディチ家の紋章

メディチ家の紋章

世界的に名声があるフランス料理は料理のテクニック、調理法、食事作法、食器などが洗練されていると言われたりしますが、それらはルネッサンス時代のイタリアはフィレンツェの大富豪メディチ家からもたらされました。

シャルル5世

シャルル5世

メディチ家の影響がやってくる前のフランス料理の原型は14世紀、シャルル5世(在位:1364~1380年)の時代に始まったのが定説とされ、王の料理番だったタイユバンによって本格的な料理体系がつくられ、同時に調理の分業も確立されたと言われています。

1460年の写本より

1460年の写本より

しかし、その頃のフランス料理は白鳥、クジャク、アオサギ、鹿と食材は一級品でしたが、肝心の料理はスープ、ポタージュなどの煮込み、パイ料理が中心で、それも素材がわからなくなるほどすり潰し、シナモンやチョウジといった当事は貴重なスパイスを手当たり次第に振りかけていたもので、現在のような洗練されたフランス料理とは似ても似つかぬ代物でした。

ただ、当時ヨーロッパで洗練されていないのはイタリア以外全部といっても過言ではなく、当事のドイツなどでは、一頭丸ごと焼いた豚や牛がテーブルにドンと出される程度なので、量はあっても質はお粗末な代物でした。

カトリーヌ・ド・メディチ

カトリーヌ・ド・メディチ

このフランス料理が躍進するのは1533年、既に述べたイタリアのメディチ家からカトリーヌが後のフランス国王アンリ2世に嫁いだ際にお抱えの料理人たちと給仕人をはじめに、多彩な調理方法から料理道具、フォークやグラスなどの食器類、50にわたる食事作法にいたるまで、料理全般のABCをイタリアからフランスに持ち込んできました。

この頃にジャム、砂糖菓子、ケーキ類、アイスクリーム、トリュフ、各種ソースといった新趣向の料理や調味料の製法も大量に伝えられました。

それまでのフランスはナイフを振り回す程度で、フォークはもちろんスプーンもろくにない手掴みの食事スタイルが一般的なので文化的に遅れた国でして、ルネッサンスが花開いたイタリアに比べると雲泥の差でした。

これを見て嘆いたイタリア出身のカトリーヌは、食とファッションに情熱を注ぎ、城で日夜晩餐会を繰り広げて料理の向上に努めたといわれています。

当事の宴会メニューを見ますと、西洋のすり身団子クネル、ニワトリのとさか、子牛や豚の肝臓の大網膜や脳味噌のシチュー、アーティチョークの芯の衣揚げなど、数々の珍しい料理を出していました。

それまで量ばかりで大味な焼肉の塊やドロドロのシチュー、付け合わせ程度のそら豆しか食べた事のない会食者のフランス人たちはイタリアからもたされ、フランスの食材も洗練させた料理を食べて大変なカルチャーショックを受けました。

アンリ4世

アンリ4世

その後料理に造詣(ぞうけい)の深いアンリ4世(在位:1589~1610年)。

ルイ14世

ルイ14世

彼の孫で日本の醤油も愛用していた美食王ルイ14世(在位:1643~1710年)が出現するに及んで、絢爛豪華なフランス料理の花開いていきます。

しかし、ルイ14世はフォークの扱いに苦労していたようで、相変わらず手掴みで食事をしていたと言われます。

ルイ14世の時代にベルサイユ宮殿お抱えの料理人達は競って腕をふるい、盛り付け方も工夫が凝らされて美食を追及する姿勢はますます高まり、フランスの周辺諸国の料理にも大きな影響を与えました。

1700年代に入りますと、のちにマヨネーズと呼ばれる「マオンのソース」やフォアグラが登場し、フランスが独自に開発した伝統料理がほぼ完成し、内容的にもこの頃に芸術の域に達したと言われています。

こうして洗練されたフランスの宮廷料理は「オートキュイジーヌ」とよばれ、こんにちのフランス料理の原型が出来上がりました。

しかし、それらはあくまで王侯貴族などの特権階級が食べるだけにとどまり、市民も食べるようになるにはフランス革命の後となります。

宮廷料理だけがフランス料理の全てではなく、農産物や海産物に恵まれたフランスは下に出す地図

にあるように古くからの地方料理の伝統も受け継がれていましたが、主流にならなかっただけです。

フランス地方料理の特色

ちなみに、ナポレオン(在位:1804~1814)が活躍する前の庶民や農民たちの一般的な夕食といえば、塩漬け豚肉と野菜を煮込んだスープを中心に、とれたての卵とチーズ、ライ麦パンと安のワイン程度の貧しい内容だったようです。

バターを塗ったそば製のパンケーキがご馳走だったので、どの程度の水準かこのコラムを読んでいる皆さんも容易に想像できるかと思います。

いっぽう、1789年に起きたフランス革命によって、それまで王侯貴族に仕えていたお抱えシェフが失業する事になり、自らレストランを開いたり、名の知れた料理店の雇われコックになり、パリをはじめとする大都市で一流のレストランの開業が相次ぎ、グルメをうならせるフランス料理が1800年代後半には庶民の口に入るようになります。

洗練されたフランス料理が庶民の口に入るまでの間にナポレオン、ロシア皇帝アレクサンドル1世、オーストリア皇帝フランツ1世、財閥のロスチャイルド家など仕え、料理のレシピの百科事典などを書き、欧米では「近代料理最高の巨匠」と呼ばれるアントナン・カレーム。

ブリア・サハラン

ブリア・サハラン

天下の美食家で日本海軍の料理にもその名前が由来する献立があるブリア・サハランといった食の天才たちが活躍するにおよんで、文化と料理の関係を考察するガストロノミーという新しい分野が生まれるまでにいたります。

そして、1800年代半ばから後半に活躍したユルバン・デュボアは、ロシア貴族に仕えていた経験から食卓に全ての料理をずらりと並べる昔ながらのスタイルを改め、味を損ねないようにメインディッシュ、チーズ、デザート、コーヒーまたはハーブティーといった流れで料理を順次一品ずつ出すロシア式サービスのオードブルを取り入れるなど給仕法においても近代化がされていきました。

ベルサイユ宮殿の晩餐会

ベルサイユ宮殿の晩餐会

このような歴史を経て完成したフランス料理は各国へ普及、やがて欧米では中華料理、トルコ料理とともにフランス料理も世界三大料理の一つとされ、称えられるようになりました。
以上、駆け足でフランス料理の歴史を紹介してみましたが。皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

・参考文献

プーラン,ジャン=ピエール ネランク,エドモン 山内秀文 著

『プロのためのフランス料理の歴史―時代を変えたスーパーシェフと食通の系譜』

辻原康夫 著 『世界地図から食の歴史を読む方法』

高平鳴海 著 『図解 食の歴史』

食の歴史その14~神々とワイン~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見ている方もいるだろうと考え、あえて画像は入れていません。

聖書では人類が初めて口にした酒はワインとされています。
「旧約聖書」にはワインの記述が500箇所ほどあり。
その中でノアの大洪水の話では洪水が終わって箱舟から出てくると。
「ここにノア、農夫となりて、ブドウ畑をつくることはじめしが、ワインを飲みて酔い、天幕のうちにありて裸になれり」
と「旧約聖書」ではノアが初めてブドウを栽培し、ワインを作った事になっています。

「新約聖書」では、最後の晩餐にてキリストが、
「お前達のために流す私の血」
と言って弟子達に分け与えて以来、教会のミサに欠かせないものとなりました。

また、ギリシャ神話では酒の神ディオニソスの血とされ、古代ローマでは酒の神バッカスへのささげ物でした。

古代ギリシャではディオニューシア祭という。酒の神ディオニソスにちなんだ祭りがありましたが。
この日に限っては酒の席だからなのだろうか、階級や男女問わず、からかったり冷やかしても許され。

ディオニューシア祭のメインイベントである演劇の上演も普段は言えない反戦のメッセージや体制批判などを表立って行える貴重な場でもありました。

ワインがいつから飲まれたのかについては諸説ありますが。6000年前のメソポタミア文明があった所の遺跡からワインを醸造していた痕跡がありますし。このメソポタミアは「ギルガメシュ叙事詩」にて「旧約聖書」よりもはるか昔に洪水伝説が発祥した所でもあります。

ちなみに、ワインという言葉はラテン語の「ウィヌム」、古代ギリシャ語の「オイノス」に由来しています。
このラテン人や古代ギリシャ人が参考にしたもっとも古いワインを指す言葉「ウィヤナス」はトルコのアナトリア半島に勢力を持った世界最古の製鉄民、ヒッタイト帝国の言葉であるとの説があります。

こうして古代からヒッタイト人、ラテン人、古代ギリシャ人がそれぞれ命名したワインは3700年ほど前にエジプトや中東からギリシャに伝わり、さらにギリシャが植民地を拡大していきますと。イタリアにも広まり、そこから南フランス、スペインへと広まっていきました。

この当事はワインをまず宴会を行う家の主人が最初に飲み、これを時計周りと逆の順番で回し飲みするマナーなどもありました。

他にも古代ギリシャ、古代ローマではワインを水で割って飲むのが常識でした。

割る割合もワイン1に対して水が3で割ると決まっておりました。

割らずに飲むと野蛮人の飲み方とされました。

こうした水で割って飲む習慣はワインがまだ大量生産されず貴重品だったので、生のまま浴びるほど飲む余裕が無かったのと。アンフォラという素焼きのかめの中に保存していると水分が蒸発して濃縮され甘みも酸味も強くなってしまう事が多々ありました。

そこで、濃縮されたワインが発酵しないよう松ヤニや塩水を加えましたが。それでも味が濃縮されているので、水で割って飲みやすいよう工夫したとも言われています。

その後、ローマ帝国の時代である西暦300年代にはフランスのボルドーやブルゴーニュ、シャンパーニュ、そしてドイツのライン川沿いなど、現在でもワインの名産地とされている場所でブドウの栽培と同時にワインの製造も行われていたようでした。

それからも少し時代を経て、ローマ皇帝がキリスト教を帝国の宗教とし、布教が広まると。教会では僧侶がワイン作りを熱心に取り組み技術も向上させ、「聖なるキリストの血」の研究に没頭していきました。

こうして教会の僧侶が努力して醸造していったワインは上質なものを醸造するためには品質、気象、土壌、地形などに左右され。あらゆる面で繊細さを求められるので、ワインが文化と呼ばれてきたゆえんでもあります。

欧米のアルコール文化は、
フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの南ヨーロッパを中心とした「ワイン文化圏」

イギリス、オランダ、北欧を中心とした「ウイスキー文化圏」

ドイツ、オーストリア、チェコとアメリカを加えた「ビール文化圏」
に大きく区別されます。

ワイン文化圏では、基本的にワインを飲みながら食事をします。

なかでもフランス人はワインと食事の調和になみなみならぬ情熱を注ぎ、料理の味を引き出すために、ワインの銘柄や種類にこだわります。

これは和食と日本酒との関係にも共通するところがあり。

例えば本膳料理や会席料理などの和食の多くは酒のためのおかずという意味合いが強く、肴(さかな)と言う字も、元々は「酒菜」、つまり酒を飲みながら食べるおかずという意味合いから生まれた言葉なのだと言われています。

晩酌という言葉がありますが、これは厳密には食事の前にお酒を軽く楽しむもので。以外に新しい習慣で。平安時代から食事と酒を一緒に味わうものでした。

ワインの話に戻しますと。ワインは食事中の酒ですが。ウイスキーやビールは食前の酒とされてきました。

ウイスキー文化圏ではカクテルも含めて酒を楽しんでからメインディッシュにかかるのが伝統とされているようです。

おもしろいことに、ワイン文化圏は食生活が豊かで農耕もいち早く発展し。産業革命後もそれほど工業が発展せず。宗教はカトリック文化圏と重なります。

逆に食生活が貧弱で産業革命が急速に進んだイギリスやドイツなどのプロテスタント文化圏ではウイスキーやビールを好む傾向があります。

これには、ブドウが暖かい所でしか栽培できないのに対し、ウイスキーの原料の大麦などが寒いところでも育つ事。

さらに気候的に寒い条件では度数の強いアルコールが好まれる事。

儀礼を重視してワイン作りに情熱を傾けるカトリックと、儀礼を軽視するプロテスタントの宗旨の違いなども深く関係していると思われます。

ここでコラムは終わりですが。皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

それではよい週末を。