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食の歴史その50~フィッシュ&チップスと捕鯨・石鹸・冷蔵庫

17 3月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いてみました。

今回もビジュアルで分かりやすくなるよう、画像を沢山使っています。

使用している画像はクリックしますと拡大され、より見やすくなるものもあります。

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幕末の1854年にペリー率いる黒船がやってきましたが。その目的は開国によって捕鯨船に水や食糧が補給できるようにする事でした。

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石油の採掘が始まるまで鯨油(げいゆ)はランプの燃料と潤滑油として大量の需要がありました。
理由は温度が下がっても固まらない、粘結度があまり変わらないので引っ張りだこでした。

1800年代のコルセット

1800年代のコルセット

髭や骨は女性のコルセットやペチコートの材料として使われました。

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鯨油は石鹸にも使われ当事の石鹸の包装に鯨の絵が使われている事からもうかがえます。

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しかし、1800年代半ばから値上がりした鯨油に取って代わってココナッツ・オイルが石鹸の材料に使用されていきます。

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石鹸が変わっていくのは材料だけでなく、当事は糸で切り分けていたのが現代の石鹸のように使いやすいサイズへと変わり。

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有名な画家を使って広告にも力を入れた石鹸が洗練されていくと同時に1851年の万国博覧会には727ものメーカーが出品していましたが。石鹸のシェアはナイト、ギブス、ヤードリー。それと新規参入したサンライトとペアーズに半数以上占められました。

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競争に敗れた数百もの石鹸メーカーは石鹸を作るための銅鍋をフライパンに、ココナッツオイルを揚げ油に転用する事によってフィッシュ&チップス屋に転業していきます。

石鹸からフィッシュ&チップスへ転業された頃、この料理にとって重大な発明がされています。

冷凍装置の発明者ジェームズ・ハリスン

冷凍装置の発明者ジェームズ・ハリスン

1856年に実用的な冷凍装置をオーストラリアのジェームズ・ハリスンが発明しました。

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この冷凍装置は1864年以降、蒸気トロール漁船にて使われた結果、氷詰めで輸送されたタラがイギリスで安く出回るようになりました。

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こうして、1860年代からロンドンとランカシャーでタラのフライとポテトのフライが組み合わされたフィッシュ&チップスが売り出されると爆発的に広まり、1870年代にはイギリスの他の地方でも労働者の食べ物つぃて広まっていきました。

”世界で最も有名なフィッシュ&チップスの店”のキャッチフレーズでお馴染みハリー・ラムズデンのトレードマーク

”世界で最も有名なフィッシュ&チップスの店”のキャッチフレーズでお馴染みハリー・ラムズデンのトレードマーク

こうして現代では自分は外国にいった事が無いので、伝聞ですが。イギリスはロンドンのヒースロー空港に降りたつや、空港内に”世界で最も有名なフィッシュ&チップスの店”というキャッチフレーズで知られる、ハリー・ラムズデンが迎えてくれますが。創業者のハリー・ラムズデンは石鹸業者ではないらしく。ブラッドフォードの下町マンチェスター・ロードで店を開き、1900年前後にフィッシュ&チップスがイギリスでポピュラーな庶民の味となっていきます。

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日本でも売られるようになりましたが、ソーセージとポテトを揚げたソーセージ&チップスというのも存在します。

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お腹が空いてきたので、夜食にモルト・ビネガーをたっぷりかけてフィッシュ&チップスを頂こうと思います。

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油っぽいものにビールが欲しい方はパブなどへ足を運んでみてはと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その49~「人類の恩人」と瓶詰め、缶詰

10 2月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願い、コラムを書いてみました。

今回もビジュアルで分かりやすくなるよう画像、写真を多用していきます。

1800年代は食卓にも科学技術の革命が起き。サトウダイコンから砂糖を取り出したり、粉末スープの工業生産が可能となり、ヨーロッパは飢餓から逃れる事に成功します。

ニコラ・アペール

ニコラ・アペール

そんな1800年代の発明で特筆すべきはニコラ・アぺールが発明した瓶詰めと彼の名前を取った「アペルティザシオン」と呼ばれる殺菌消毒法です。

ウィキペディアを見ると情報が少なすぎるので、ニコラ・アペールの生い立ちなどの詳細も書きますと。

1749年11月17日、フランス北部のシャロン=スュル=マルヌ(マルヌ県)に生まれ。父はホテルを経営していました。

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実家のホテルの厨房で料理の手ほどきを受けたアペールはジャム、リキュール、砂糖菓子などを担当する料理人として1772年にクリスチャン4世。1775年にフォルバック公妃のもとに仕え、修行を重ねていました。

修行して腕を上げたアペールは1782年にパリのレ・アル地区のロンバール通りに店を構え。瓶詰めで食品を保存させる研究を行っていきます。

ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』

ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』

ナポレオンが皇帝になった1804年。フランス政府は遠征軍のために長期間の保存が利く方法を発明した者に今の価値で約300万円相当になる12000フランの賞金を約束し、民間からもアイディアを募集していました。

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この募集の話を知って奮起したアペールは塩漬け、酢漬け、アルコール漬け、燻製といった中世からの古い食品保存方に革命を起こすべくグリンピース、サヤインゲン、牛乳などをガラス瓶に入れて密封し、長時間煮沸する殺菌消毒を発見します。

この殺菌消毒が「アペルティザシオン」と呼ばれるものです。

ジャン-アントワーヌ・シャプタル

ジャン-アントワーヌ・シャプタル

この保存方法を科学者であり、当事大臣だったシャプタルがナポレオンに伝え、アペールの店は軍の公式納入業者となり、1809年に皇帝から12000フランの賞金を賜り、3年後の1812年には「人類の恩人」という称号も授かりました。

こうして大もうけして名誉も得たアペールですが、瓶詰めに使われた殺菌消毒と保存法などの特許を取らず、全財産を投げ打って死ぬまで食糧の保存法を研究し。『あらゆる動植物食品を多年にわたり保存する法』を出版し、英語に翻訳されたものはイギリスを経由してアメリカで読まれ、好評を博しました。

 

1824年イギリスの缶詰

1824年イギリスの缶詰

アペールの瓶詰めと保存法から発展していくイギリスのピーター・デュラントが発明してアペールと違い、特許を取得した缶詰は缶切りがまだ発明されておらず、開封はハンマーとたがねなど、大工道具を用いるため長期航海する船員や遠隔の僻地に旅行する人などが利用する程度の特殊な保存食でした。

アメリカ南北戦争 ゲティスバーグの戦い

アメリカ南北戦争 ゲティスバーグの戦い

しかし、アメリカ南北戦争(1861~1865年)で需要が増大して缶詰の大量生産に繋がっていき。1860年代は缶詰の素材に適したブリキと容易に中身を取り出せる缶切りが発明され。南北戦争以降から欧米の庶民の食卓に缶詰食品がのぼりはじめます。

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日本でも明治四年(1871年)に缶詰の製法が伝わり。長い間、軍の保存食として生産されていましたが。明治時代の缶詰の詳細は『食の歴史その47~アメリカの辞書にも載っている「テリヤキ」』をご参照下さい。

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さて、そろそろ夕食の時間なので、さばの水煮缶と大根おろしとレモン汁と薬味でさばのおろし和えでも作って食べようかと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その47~アメリカの辞書にも載っている「テリヤキ」

3 11月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルで分かりやすくするために画像を多く使うつもりです。

醤油工場

醤油工場

アメリカで消費される醤油は醤油メーカーのキッコーマンがアメリカで製造している量だけでおよそ10万リットルと言われていますが。アメリカで消費される醤油のほとんどが照り焼きソースになっていると言われています。

映画『サイン』のワンシーン

映画『サイン』のワンシーン

映画『サイン』でも晩飯にメル・ギブソン演じるパパが家族に「好きなもの食っていいぞ」言うと。まずはチーズバーガー、スパゲッティとアメリカらしい食事を家族がリクエストしていき、最後に筋肉質のあんちゃんが「teriyaki」とさり気無く言うシーンがあるほど、照り焼きという言葉も料理もアメリカでは一般的になっており。アメリカの辞書にも「teriyaki」が載っています。

ブリの照り焼き

ブリの照り焼き

アメリカに伝わる以前の照り焼きは醤油、砂糖、酒で魚を調理したもので。日本ならではの料理、肉じゃが、すき焼き、今も缶詰に使われる大和煮などと共通しているのは調味料に砂糖を使っているところです。

ここからは推測で述べますが。日本料理に醤油と砂糖で煮〆た料理が普及したのは戦前に日本全国から人を集めた軍隊の中で食べ親しまれ全国的に普及したのだと思われます。

吾妻ひでお著 『失踪日記』よりアル中病棟のひとコマ

吾妻ひでお著 『失踪日記』よりアル中病棟のひとコマ

人間は酒が飲めないと、むしょうに甘いものが欲しくなるもので。アル中の体験を小説にした故、中島らも氏も断酒時代は冷凍バナナやあんぱんに凝り出し、桃の天然水をよく飲んでいました。

フランス軍の戦闘糧食に付属する菓子類

フランス軍の戦闘糧食に付属する菓子類

ミリタリーに疎いので、詳しい人の解説が欲しいところですが。軍隊もなかなか酒が飲めないらしく、どこの軍隊でも甘いものが求められ。各国軍隊の携行食糧には菓子や粉末の紅茶、コーヒー、ジュースが付属しているのが、よくあるパターンで。日本も例外ではありません。

大和煮の缶詰

大和煮の缶詰

明治時代の日本軍では醤油と砂糖とその他調味料で煮〆た大和煮の缶詰に人気があり。日清戦争、日露戦争では日本の肉牛が全て大和煮の缶詰になったほどだったといわれています。

京都の福神漬け

京都の福神漬け

もうひとつ、日本の軍隊で人気が高かったのは砂糖で甘口に漬け込んだ福神漬けの缶詰もありました。

このような甘口メニューを軍隊に入って口にし。戦争が終わって故郷に帰った後も海軍名物である肉じゃがのように家庭でも作らせて家庭料理として砂糖と醤油で煮〆た料理、または砂糖で味付けした料理が広まり、砂糖と醤油で味付けするのが共通項の照り焼きも軍隊で食べた大和煮の代わりに生まれたのだろうと推測しています。

海上自衛隊のカレー

海上自衛隊のカレー

話がわき道にそれますが。激辛、辛口がブームになったのは1980年代の事で。昔のカレーも甘口が普通でして、特に軍で出すカレーは辛くて食えない人を出さないようにするためなのか、必ず甘口だったそうですので、今時の辛口カレーが食べられないお年寄りも結構いたりします。

チキンテリヤキ

チキンテリヤキ

閑話休題。こうして戦前には各家庭でおふくろの味となった照り焼きが戦後の1957年に醤油メーカーのキッコーマンがアメリカに進出して醤油を売ろうとした時、キッコーマンの日系二世のセールスマン、タム吉永が彼の母親の調理した和食、魚の照り焼きをヒントに、肉料理に合う醤油ベースの料理法「テリヤキ」を発案。テリヤキソース調理法はキッコーマン主催の料理教室や販売促進用の小冊子などで、ゆっくりとアメリカに定着し、アメリカの辞書に乗るほどの現在の地位を確立してきました。

ヨシダソース創業者 吉田 潤喜(よしだ じゅんき)

ヨシダソース創業者 吉田 潤喜(よしだ じゅんき)

それから50年以上経った今のアメリカでは。アメリカ人が好きなバーベキューに照り焼きソースをつけて食べられていますが。そのソースは吉田 潤喜(よしだ じゅんき)が80年代初期に考案して販売し。大成功を収めたヨシダソースが有名です。

ヨシダソース

ヨシダソース

もし、アメリカで照り焼きを食べる機会がありましたら。おそらくはヨシダソースを塗って焼いたものが出されるかと思います。

ブリの照り焼き

ブリの照り焼き

照り焼きの事を書いていましたらお腹が空いてきましたので、魚屋に行ってブリの照り焼きを買って生姜をそえて頂こうと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その44~古代ローマの夜とディナーに招かれるまで~

12 9月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルで分かりやすくするよう画像を多用する予定です。

古代ローマでは庶民も貴族も日の出に起きて日没には家に帰って横になるのが普通でした。

古代ローマ時代にもタイマツやランプなどがあり、その明かりで夜のローマを出かける事も可能でしたが、警察組織が無い時代のローマの夜はスリ、強盗、殺人が横行していたので護衛もつかずに無事帰れたら神に感謝するほどでした。

他にも夜の街では東京23区の5倍人口密度で、7階建ての高層アパートがひしめいており。そこにはトイレも無ければ、ごみ収集もないので、窓から食い残し、糞尿、ゴミが何の掛け声も無く降って来たので、何か特別な用事がない限り、犯罪がなくとも古代ローマの夜道を歩き回らないのが当たり前でした。

古代ローマには現代の横断歩道もあり、人と馬車、大八車の交通を区別していましたが、夜になるとローマが征服したヨーロッパほぼ全土とエジプト、北アフリカ、中東から運ばれた産物などを運ぶべく一晩中狭くデコボコした道を車両が通行するため、その騒音で高層アパートに住む住民は慢性的な睡眠不足だったと言われています。

ジュリアス・シーザー

ジュリアス・シーザー

夜に車両が行きかう背景にはジュリアス・シーザーなどの政治家が交通渋滞を解消するべく。荷馬車、大八車が日中のローマ市内に入る事を禁止したため、日没から夜明けまでに荷物を運び終えて車両を市外に出さなければいけなくなった事情などもありました。

これを風刺詩人のユウェナリスは「ひどい騒ぎだローマの夜は、貧乏人を安眠させない」と風刺しています。

そうした事情から「ケーナ」と言われるディナーは貴族も庶民も夕方4時か5時に行い。暗くなったら早々に帰ったりしました。

このケーナというディナーは貴族や金持ちが主催し、庶民も招待され。招待された庶民はディナーに出た料理を包んで家族のために持ち帰ったりする場合もあれば、特定の記念日に庶民たちが集まり、仲間同士でつつましく行うものと大体2種類ありました。

庶民が集まってつつましく行うディナーと違い。貴族、金持ちのディナーには面倒なマナーや習慣がありました。

まず、ディナーを主催する場合。召使を客の一人一人に差し向け、家から家へと訪れては優雅かつ丁寧な物腰でディナーの日取りと正確な時間、集まってくる客の数、相席する客の名前も知らせ了解を取る事から始まります。

召使は口頭で伝えるだけでなく、招待状を手渡す時もあり。具体的な招待状が『マルティリアス詩集』に載ってあるので一部抜粋しますと。

ローマの詩人マルティリアス

ローマの詩人マルティリアス

「ユリウス・ケリアリス君、私の家で素晴らしい晩飯が食べられるぞ。もっとよい先約がなければ是非うちに来て欲しい。午後3時ならどうだろう?まず一緒に風呂へ行こう。近所に浴場があるのは君もよく知っているはず。

料理の最初はお通じを良くするレタスとニラのみじん切り。シラスよりちょっと大きめなマグロの稚魚の塩漬けには香りのいいハーブをあしらって卵とじにするつもりだよ。程よく茹で上がったゆで卵もきっと出す。上等のチーズにオリーブ。前菜はこんなところ。

何、次に出す料理を教えろ?

では君を逃がさないために大嘘を書くぞ。

魚にカキに牝豚の乳房、それによく肥えたニワトリ、アヒル、沼の野鳥を色々。

あのグルメのステラさんだってめったに出さない珍味ばかりだ。

そうそう肝心な事を約束する。

僕は君に何も朗読しないから安心したまえ。君が苦心して作った長編などを読み上げるのはOKだよ。」

と、古代ローマ人はこんな感じの招待状を書いていたようです。

さて、人気者は複数のディナーに招待されたりするので、ディナーに出ると約束しておきながら、他のもっと豪華で肩肘張らない別のディナーに出る者もよくいまして。博物学者のプリニウスが出席すると約束しておきながらドタキャンしてよそのディナーに出た客に書いた怒りの手紙を書き残しています。

その手紙を一部抜粋しますと。

博物学者プリニウス

博物学者プリニウス

「おい君、晩飯に来ると約束しておいて、何で来てくれなかったんだ。裁判所に訴えるぞ。賠償金をたっぷり取られても知らないよ。

うちのコックたちが用意していたのはレタス1個、カタツムリ3匹、卵2個、大麦のポタージュ。それに雪で冷やした蜂蜜酒つきだ。

オリーブ、キュウリ、玉ねぎ、その他たくさんあるけど、けっして安くない。

それに芝居、講談、歌、どれか一つを聴けた。出来る限りのサービスをさせてもらえば3つ一緒に聞かせることだってできたんだ。

それなのに、君は誰か知らないが、カキ、牝豚の乳房、ウニ、スペインのダンサーを出してくれる人の方を選んだ。

高くつくぞ、はっきりいくらとは言わないが。薄情な事をしてくれたもんだ。

われわれは存分に遊び、談笑して豆知識を耳に入れる事も出来たのだよ。

なるほど君は方々で、もっと豪華な晩飯にありつけるかも知れない。

しかしだ、僕のところほど陽気に、のびのびと、ひとの口など気にせずに済むところは決してない。

論より証拠だ、実験してみたまえ。

そのあとで、どうしてもよその招待を断る口実が見つからないのなら、僕のところはいつでも構わない、断ってくれたまえ。」

この怒りの文章はプリニウスが書いた他の文書とまったく調子が違うので、プリニウスが社会風刺のつもりで創作した文書だろうと言われております。

カティリナ(右端)を追及するキケロ(左側手前)

カティリナ(右端)を追及するキケロ(左側手前)

あと、補足しますと。古代ローマは現代のアメリカのような訴訟大国で。記録に残っている訴訟を列挙しますと。

・乗船中に女性が産気づき、子供が生まれた。そのため、その子供の船代が欲しいと船のオーナーが訴えた。

・逮捕を免れた泥棒が店に逃げ込んだところ、番犬に手を噛まれた。泥棒は、飼い主への怠慢によるものと訴えた。

・蛇使いの芸人が見物料を払わなかった見物人をヘビで脅したのは罰にあたるかどうか。

などなど下らない事まで裁判になっていたので、プリニウスが手紙に「訴えてやる」と書いているのは日常茶飯事のありきたりな書き出しだったのかも知れません。

以上でコラムは終わりますが。次は「ケーナ」と言われるディナー本番について触れてみたいと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その29~江戸時代のおかず番付その2~

15 7月

おはようございます。今日は先日書いた江戸時代のおかず番付の続編を書きます。

まずは四季と問わず年中食べられた魚介類のおかずの番付を一部列挙しながら、解説を加えていきます。

最高位の大関はメザシ、イワシとなっています。

メザシは安く保存しやすく栄養豊富といいとこ取りで。

イワシのような青魚にはDHA=ドコサヘキサエン酸や、EPA=エイコサペンタエン酸という舌を噛みそうなな名前の不飽和脂肪酸とやらが含まれていて、これを摂取すると血行がよくなり、頭がが冴え、週に2~3回は食べると良いとされているそうです。

江戸時代の人はこのような栄養価の高さを知らないわけですが、現代の栄養学的にも最高位の大関に相応しいでしょう。

次の関脇はアサリ、ハマグリなどの剥き身を切り干し大根と一緒に煮たもので、「剥き身切り干し」。

これを美味しく食べるには薄味にするのがコツなんだとか。

前頭筆頭はマグロの赤身を味噌汁にした「まぐろからじる」。

ちなみに江戸時代は冷凍技術がないので、トロといった脂身はすぐ腐敗してしまうので、大正、昭和初期に評価されるまで猫の餌にしか使わなかったと言われています。

そして、次の「たたみいわし」は静岡県と神奈川県沿岸が名産地なので、その他の地方の方にも分かるよう画像を出しますと。

たたみいわし

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この写真はカタクチイワシの稚魚を板状にしたもので、酒の肴にも良いのだとか。

次も「いわしの塩焼き」脂の乗ったイワシの塩焼きもうまいですが、冷蔵庫の無い時代なので、番付が下がったのでしょう。

次はマグロを薄く削いだ魚肉を塩干しにした「まぐろすき身」、カツオの塩漬け「しおカツオ」。塩漬けニシンの「ニシン塩引き」

以上が春夏秋冬関係なく食べられるおかずの番付でしたが、次は春のおかずを一部抜粋してみます。

まず、春の部の最高位である大関が醤油にショウガ汁を入れたタレをつけて約「マグロきじ焼き」。

関脇はまたアサリ、ハマグリですが、ヒジキとの煮付けとなっています。

小結が海老をさっと炒めて、食べる時に調味料を使う「芝海老から炒り」。

次はイワシの刺身に酢味噌を和えた「いわしのぬた」。

「いわしつみいれ」これはイワシのつみれですが、おでんの具としてコンビニでもよく見かける事でしょう。

「サバ味噌漬け」「スルメ付け焼き」スルメを炙ったものは今も酒の肴として今でも食べられています。

夏の部は芝海老と豆腐を一緒に煮た「芝海老豆腐」。

カツオを一回蒸してから干した、カツオのなまり節をヒジキと煮る「ヒジキなまり節」「なまりキュウリもみ」「コハダ煮浸し」「なまり節大根おろし」「クジラ汁」「どじょう鍋」。

殻つきの海老の丸焼き「えび鬼瓦焼き」

秋の部はまず、「蒸しハマグリ」「焼きハマグリ」。

東京湾から千葉県の房総半島へかけての内海沿岸は当事、日本一のハマグリの産地で沢山取れる分、値段も安かったようです。

他はそれぞれ一緒に煮たのであろう「芋煮ダコ」「ハゼ煮大根」。

「酢だこ」「ニシン煮浸し」。そして、今も秋の名物とされる「焼き秋刀魚」

冬の部は文字が潰れて判読できないものが多いのですが、それでも抜粋しますと。

ナマコを酢とショウガで食べる「ナマコ生姜」。「秋刀魚の干物」「しらす干し」。

他にはどの海産物が対象なのかわからない「卵とじ」などもありました。

江戸時代のおかず番付をその1とその2に分けて説明してきましたが、大体の料理は現在でも食卓に出ておかしくない食品で、改めて幕末のおかずが今もなお日本のどこかで食卓に上がっているかと思いますと、明治維新から洋風や中華が沢山取り入れられていてもなお、日本の伝統が残っているのだなと感慨深いものがあります。

家庭科で栄養を勉強しますとたんぱく質、脂肪、炭水化物とビタミンからなる三大栄養素なるものがありますが、先進諸国では食べないコンニャクやトコロテンなどは大腸ガンを予防し、悪玉コルステロールを減らす食物繊維という「第四の栄養素」が豊富なのも江戸のおかずの特徴であります。

ただ、「好事、魔が多し」と例えていいのか分かりませんが。和食の特徴は塩分を摂りすぎてしまいやすい事なので、そこをクリアしつつ江戸時代のおかずを食べ続けていたら立派な健康食となる事でしょう。

大根は切らしていますが、おかず番付その1で紹介した「八杯豆腐」をまた作りに行こうかと思います。

それでは皆さんも紹介したおかずの中で気に入ったものがありましたら今日の食卓にいかがでしょうか?

それでは厨房に行きますので、この辺で。

食の歴史その27~アングロサクソン人がタコ、イカを食べない理由~

12 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いてみました。

今回も地図で説明するために画像を一つ入れています。

人間は雑食動物の最たるものとされています。哺乳類全般は言うまでも無く、アリ、ゴキブリから、芋虫や蛆虫まで美味しく味わう人々が世界にはいます。

中には再三起こった飢饉からの経験なのか土を食べる例も報告されています。

中華料理で最高級の食材にツバメの巣、熊の手、猿の脳味噌などがありますし、日本人もウニ、ナマコ、ホヤなどといった食材に舌鼓をうちますので、特に欧米人からは不気味な人たちとうつるに違いありません。

これは物好きではなく、飢えないよう何でも食べて生き残る知恵なのですが、他の哺乳類には無い何でも食べる雑食性とその食欲には驚かされるばかりです。

例えば、20世紀の中国ですと、国民党との戦いから共産党が中国南部の拠点を捨てて北部の延安までの長い逃避行を行った長征がありますが、この逃避行でお偉方までもが餓死寸前となり、ベルトや靴も茹でて食べ、それでも足りず、家畜の糞から未消化の穀物を探して食べたりもしたと言われています。

逆に、殆どの人が日常的に食べているにもかかわらず、特定の食べ物をタブー視する習慣も世界中に見られます。

ヒンズー教の牛、ユダヤ教、イスラム教の豚などが有名ですが。中にはチベット、アメリカ先住民のように魚肉をいっさい口にしない民族も少なからずおります。

モンゴルでも魚はタブーだったようで、若き日のチンギス・ハーンは食うに困って魚や野鼠まで食べたという逸話が残っています。

そして本題ですが、ドイツ、イギリス、北欧などのゲルマン系はタコ、イカを食べる習慣が殆ど無いといいです。

なかでもオクトパスの名を与えられたタコは別名デビルフィッシュと呼ばれるほどの嫌われ者です。

ゲルマン系がタコを食べない理由の一つにキリスト教の原点でもあるユダヤ教の戒律があるとされています。

ユダヤ教では魚類はヒレとウロコが備わったものだけしか食べてはならないとされており。

具体的にはタコ、イカ、カニ、エビ、ウナギ、エイ、貝類、当時は魚に分類されたイルカや鯨などです。

捕鯨反対、イルカ漁反対を唱える欧米人の背景には聖書にある食の戒律が根底にあるのかも知れません。

それはさておき、キリスト教徒の間では『旧約聖書』にある食の戒律が予想以上に評判が悪く、中東と異なる風土や動植物が見られるヨーロッパでは、豊富な食材を禁じようにも説得力はなく、古代のキリスト教徒は何かと言い訳を見つけてはカニ、エビ、貝類を食べ、早々と『旧約聖書』のタブーは無視されました。

ただし、イカとタコについては、そのグロテスクな見かけからの連想もあって、誘惑者、裏切り者、噓吐きといった偏見の目で見られてきました。

特にドイツやイギリスなどでは好色的で執念深く、しかも凶暴な動物というイメージが張り付いていました。

大航海時代以後の1600年代になると、北欧ノルウェー沖合いの北極海周辺に出没する巨大なタコまたはイカの姿をしたクラーケンという化け物が伝説となっています。

クラーケンは天地創造から世界の終わりまで行き続け、全長2.5キロもあるきょだくぃな動物で。

その巨大な触手で船を襲い引きずり込むと言われ、命知らずの船乗りでさえ、その存在に怯えていました。

今では全長10メートルもあるダイオウイカがクラーケンの正体だったのだろうと推測されています。

このようにヨーロッパ北部の海域で実像がゆがめられたのは、タコが主に温帯から亜熱帯の暖かい海に生息するため、ゲルマン系の人たちに馴染みがなく、食べる機会が少なかったのも偏見を促す大きな原因になったのだと推測されています。

いっぽう、キリスト教が伝わる前からイカやタコを食べてきた地中海地方では古くから重要な海の幸でした。

現在でもスペインのパエリア、あとはイカをイカ墨で煮込んだ物になりますと、このスペイン製の缶詰をネット上から買う事も出来ます。

ポルトガルやギリシャなどではフライや炭火焼きにして食卓を彩り、観光客も舌鼓を打っています。

地中海地方の人々は外見より自らの舌を優先させ、カエル、カタツムリ、カキといった一見正体不明のゲテモノも平気で平らげきました。

中でも舌が肥えているので、手当たり次第口に入れるフランス人をイギリス人やドイツ人は徹底して軽蔑している歴史があります。

今でもフランス人の悪口の一つに「フロッギー(カエル野郎)」や「ジョニー・クラポー(ヒキガエルのジョニー)」があるのはこうした理由もあります。

日本ではタコやイカをひょうきんだが知恵があり、人間に対して好意的で縁起の良い動物として描かれ、京都をはじめ各地にある蛸薬師(たこやくし)は、薬師如来が海をタコに乗ってやってきたという伝説を生むほどです。

こうしたゲルマン系も材料を何も教えずにたこ焼きやイカ素麺を食べさせると歯ごたえを楽しんで舌鼓を打ちますので、人間は究極の雑種動物なのだなと再確認されます。

そんなイカやタコは北アフリカのモロッコなどで底引き網漁によって取れたものが日本に輸入されたりしていますが、最近は諸外国に買い負けて前ほど安く手に入らなくなってきたそうなので、これらの値段もいずれ上がるやも知れません。

その日が来るまでに今日はタコの酢味噌和えを頂こうと思います。

コラムは以上で終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?