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食の歴史その48~古代ローマ庶民の接待ディナー

1 12月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回は古代ローマのディナーには金持ちのディナーについての文献は美食を極めたものなど、沢山ありますが。庶民のディナーを書き記したものは珍しいので、庶民のディナーを優先的に取り上げてみようと思います。

童話作家グリム兄弟

グリム兄弟

後にグリム童話を編集するグリム兄弟やシェイクスピアにも影響を与えた古代ローマの詩人オウィディウスが書いた作品に、ロウで作った羽で空を飛び最後は墜落してしまうイカロスの話などの有名なエピソードを複数収めた『変身物語』があります。

フィロモンとバウキスの家の、ジュピターとマーキュリー

バウキスとピレーモーンの家の、ジュピターとマーキュリー

この中に神々が旅人に変身して村人の家でディナーをご馳走になる「バウキスとピレーモーン」という話がありまして。庶民のディナーが描かれていますので、これを中心に取り上げていきます。

天空の神ジュピター

天空の神ジュピター

天空の神ジュピターと、父ジュピターのお供するために翼の着いた靴を脱いだマーキュリーの親子が旅人に化けて。バウキスとピレーモーン老夫婦の家にお邪魔しますと、老夫婦は荒い布をかけた椅子を出し。二人はそこに体を休めます。

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それから囲炉裏の灰を掻き分けて昨晩の火種を見つけ、木の葉や乾いた樹皮に火を移して息を吹きかけ燃え立てたら、その炎で細かく割った薪を燃やし、水を張った銅鍋を暖めていきます。

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鍋の水が温かくなると、菜園で取れたキャベツを取り出して刻んでから煮込むのですが。今も昔もキャベツの芯は捨てています。

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刻んだキャベツと同時に二又のフォークで取ったベーコン細かく刻み、キャベツと一緒に煮込んで柔らかくなるまで待ちます。

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こうしてベーコンとキャベツのシチューが出来るまでの間、客と談笑しつつ桶にお湯を入れて客の手足を温めたりもします。

ついでに、古代ローマ時代はシチューの事を「オフエラ」と呼んでいました。

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シチューが出来るまでの前菜のことを指す「プロムルシス」が用意され。この前菜はゆで卵から始まり、オリーブの実、サクランボみたいに実った山グミ、酒かすに漬け込まれた大根、ヤギのチーズなどが皿に盛られて出てきます。

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古代ローマのゆで卵の特徴は貴族も金持ちも庶民も何故かお湯で茹でず、囲炉裏の熱した灰の中で卵を加熱し、ゆで卵を作る事でした。

ワインを水と混ぜる時に使うクラテル

クラテル

前菜が終わるとワインと水をクラテルという器で混ぜて出し。それからシチューが運ばれてメインディッシュを意味する「ケーナ・プリマ」が始まります。

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メインディッシュのシチューが片付けられると。蜂蜜とともにデザートにクルミ、イチジク、ナツメヤシ、スモモ、ブドウが運ばれ、最後のしめにリンゴが出ます。

古代ローマでは前菜の卵から始まって、しめにリンゴを出して終える事から、「初めから終わりまで」という意味で「卵からリンゴまで」という言い方が生まれました。

古代ローマのベッド

古代ローマのベッド

こうしてワインを飲みながらのデザートがなくなるとディナーは終わり。夜明けとともに起きて日没とともに寝るのが普通だった庶民はベッドを用意し、囲炉裏の火で部屋が暖かいうちに客を眠らせます。

古代ローマ庶民のベッドは柳で出来たベッドに綿が詰まって温かい布団をのせ、その上にシーツをかけていました。

古代ローマの詩人オウィディウス

古代ローマの詩人オウィディウス

以上が古代ローマの詩人オウィディウスの描いた庶民のディナーでしたが。彼は同じ時代を生きた他の詩人と違い、パトロンやタニマチを持たず。ギリシャ神話を参考に書いた『恋の歌』があまりにもエロチックだったために実際に読んだ皇帝が激怒し、罰としてローマから地方の田舎へと飛ばされた人なので、そういった立場から田舎の庶民の生活を見て書き残したのでしょう。

以上でコラムは終わりですが。皆さん、いい暇つぶしになったでしょうか?

今夜は冷えますので、自分もキャベツとベーコンでシチューを作って体を暖めるとします。

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食の歴史その43~古代ローマのソフトドリンク類~

4 9月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルで分かりやすくするために画像を多用します。

古代ローマとワインは密接で上流階級から奴隷までワインを飲んでおり。店に行けば1アス(45円)からワインが飲めました。

奴隷にもワインの搾りかすから作られる「ロラ」というワインが与えられていました。

今回はそのワイン以外の酒やソフトドリンクなどを紹介してみます。

まずはローマでワインの次にメジャーな酒は「アクア・ムルサ」と呼ばれた蜂蜜酒です。

これは水と蜂蜜とイースト菌を混ぜて発酵させて造るもので。「田舎者の酒」と呼ばれていました。

ローマ人の言う田舎者はブドウが栽培できない、ワインが作れない北方に住むヨーロッパ人を指していました。

自家製ビールを造る女性

自家製ビールを造る女性

他にも「アリカ」と呼ばれたビールも存在しましたが、奴隷用のワイン「ロラ」の半額で売られるほど低級な飲み物で、野蛮人が飲むものとみなされていました。

ソフトドリンクになりますと、果汁を煮詰めたシロップの「テーフルトゥム」という子供用の飲み物がありまして。水や酢で薄めて飲ませていました。

他には鉛または鉛でコーティングされた鍋でブドウの果汁を煮詰めて作った甘味料「サパ」がワインに甘味料、保存料として添加され、鉛中毒になる人が沢山いました。

鉛中毒の症状の一つに難聴があり、ベートーベンの髪の毛から通常の100倍の鉛が検出されたので。耳が聞こえなくなったのはワインに含まれた鉛を大量に摂取したのが原因ではないかと推測されています。

歴代ローマ皇帝には発狂した人、早死にした人が複数いますが。これも鉛中毒ではと推測されています。

狼の乳を飲んでいるのは、双子のロムルス(後のローマ建国の王)とレムス

狼の乳を飲んでいるのは、双子のロムルス(後のローマ建国の王)とレムス

朝の飲み物として定番であり、子供の飲み物とみなされたものにミルクもあります。ローマを建国したロムルスは狼の乳を飲んだという神話と関係してミルクが子供の飲み物とみなされていましたが、大人も朝にコップ1杯のミルクを飲み。時にはミルクにハーブを混ぜて滋養強壮の薬として医者が処方する事もありました。
牛乳が主流の現在と違い、古代ローマ人にはヤギ、羊、馬、ロバのミルクが好まれ。牛のミルクはあまり人気がありませんでした。

その一方、ラクダのミルクは珍しさと滅多に手に入らないからなのか、珍重されていました。

こういったミルクはローマ人に人気のあるチーズの材料にされる他に、「メルカ」と呼ばれる羊やヤギのミルクから作られたヨーグルトも作られ。消化を助ける健康食品とみなされていました。

メルカの食べ方にはコショウとガルムという魚醤(ぎょしょう)。あるいはコリアンダーと塩を加えて食べていました。

他には酢を水で薄めた「ポスカ」があり。スパイスや蜂蜜を混ぜて飲む事もありました。

このポスカは主に酢を生水と混ぜて飲むことで生水を飲んで水当たりする事を避ける目的も兼ねた水分補給源で。主に旅人が活用していました。

キリストにスポンジで含ませた酢を飲ませようとするローマ兵

キリストにスポンジで含ませた酢を飲ませようとするローマ兵

この飲み物はキリスト教にもゆかりがあり、キリストがはりつけにされた時、兵士に飲まされたのがポスカだと言われています。

酢はワインの成れの果てでありますので、ワインの手にはいる所なら気軽にポスカが入手できました。

ローマ水道

ローマ水道

最後に水を紹介しますが。300年かけて建造されたローマ水道は現代の日本でも300万人分の水を供給できるほどの能力があり、ローマに住む100万人以上の人々は212箇所あった公共水槽から水を汲んで運び調達していました。この水運びを代行するアクアリウスというという商売もありました。

トレビの泉

トレビの泉

現在は彫刻もほどこされ、観光名所となったトレビの泉も古代ローマの人々が使っていた公共水槽の一つでした。

ミルクで作ったポリッジ

ミルクで作ったポリッジ

ローマで調達された水はお湯にするなどして最も安いソフトドリンクとして飲まれ。ローマの庶民の中にも朝食にパンと塩味のニンニクと水で済ませたり、小麦粉と水を混ぜた「ポリッジ」という粥を作って食べたりしていました。

以上でコラムは終わりますが、次こそは古代ローマのディナーを書いてみるつもりです。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その39~大航海時代の食卓~

16 8月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルでわかりやすくするために画像を沢山使う予定です。

 

スパイスは厳密には「香辛料」と言い。料理の風味を引き立て、食欲をうながす調味料の一つとなっています。

麺類だけでもソバなら唐辛子かワサビ、ラーメンにはコショウ、そうめんにはショウガといったようにセットになっているのでわかるように現代の食生活にスパイスは欠かせない物となっています。
このスパイスを使った歴史は古く、人類がスパイスの存在を知ったのは5万年前からだとされています。

ミケランジェロ作「天地創造」

ミケランジェロ作「天地創造」

聖書にある天地創造の天上会議で出されたワインにゴマが入っていたという伝説がありますが、これがスパイスの始まりとも言われています。

2300年ほど前にギリシャからインドまで遠征したアレキサンダー大王がペルシャの皇帝と戦う前に、ペルシャからアレキサンダー大王に宛ててゴマの実を送られたのに対し、マスタードをペルシャに宛てて送り返したという逸話もありますので、昔から王侯貴族や金持ちはスパイスで食卓を彩っていましたが大変高価で。

インドネシア西部のマラッカ諸島

インドネシア西部のマラッカ諸島

大航海時代以前のクローブの価格だけでも原産地のインドネシアにあるマラッカ諸島からヨーロッパに運ばれまでにインドや中東のアラビア商人、イタリアのヴェネチア商人を経由してヨーロッパ各地に至ると原価の360倍にもなっていました。

このような暴利に音を上げたヨーロッパ諸国はヴェネチア商人も中東のアラビア商人も介さずに直接スパイスを手に入れる独自ルートを手に入れるためにインドや中国、聖書に出てくる東の楽園エデンの園だとみなされていたマラッカ諸島へ向かうべく船を出して探しに出て行き、大航海時代が始まります。

アメリカへ向かったコロンブスのサンタマリア号

アメリカへ向かったコロンブスのサンタマリア号

マルコ・ポーロの「東方見聞録」を信じてジパング、中国を目指したコロンブスが1492年にアメリカを発見。1498年にバスコ・ダ・ガマがアフリカ最南端の喜望峰を経由して直接インドへ向かう航路を発見。1522年にはマゼラン率いる船団がマラッカ諸島を発見し、世界1週をして帰ってきました。

このような華々しい成果の陰には船乗りの厳しい食生活がありました。

1度の航海に3ヶ月分の食糧を積み込みますが、その内容は今よりも硬く味気の無いビスケット、塩漬け肉、塩漬け魚、干し魚、乾燥した豆やニンニク、チーズ、玉ねぎ、果物、ビール、ワイン、真水、油、酢、塩などですが。船出して数日で新鮮な野菜、果物は無くなり、その後はひたすら塩漬けの肉類とビスケットを食べ続けるほかありませんでした。

何週間もするとビスケットにもコクゾウムシが湧き、ネズミにかじられその糞も付着し。塩漬け肉もウジが湧いてドロドロになっていきます。水も黄ばんで汚水となり、ワインやビールを飲むほかありません。

こうした食生活で沢山の船乗りの命を奪ったのがビタミンC不足による壊血病でした。

壊血病は倦怠感の顔色の悪化に始まり、歯茎や口の粘膜からの出血、皮膚内出血、手足のむくみなどが起こり最悪は衰弱死します。

ある船乗りの日誌の中には、壊血病の身の毛のよだつような内容が記録されています。

「俺の歯茎はすっかり腐ってしまった。真っ黒な腐った血が流れ出ている。太ももは壊疽を起こしていて、俺はナイフでこの腐った肉を削り取って、どす黒い 血を無理やり流しだす。土気色になった歯茎もナイフで削り、腐った血をしぼり出す。俺は小便で口をゆすぎ、強くこする。ものを噛めないので、飲み込むしか ない。毎日この病気で仲間が次々と死んでゆく。包みや戸棚の裏でいつの間にか死んでいて、発見された時は目や指はネズミにかじり取られてなくなってい る・・・・。」

バスコ・ダ・ガマの10ヶ月にのぼる長期航海でもこのような地獄絵図が船乗りに起こり、出発した時は170人いましたが壊血病で次々と死んでゆき、ヨーロッパに帰ってきたときは44人しか残っていませんでした。

キャプテン・クックことジェームズ・クック

キャプテン・クックことジェームズ・クック

この壊血病による船乗りの死人を出さないようになったのは大航海時代が始まって250年以上も経ってイギリスのキャプテン・クックことジェームズ・クックの登場を待たなければなりませんでした。

ザワークラウトとソーセージ

ザワークラウトとソーセージ

1753年にイギリス海軍省のジェームズ・リンドが新鮮な野菜を食べたら壊血病が防げる事を発見し、キャプテン・クックが1768~1771年にかけての長期航海にて1500年代から1700年代にかけてヨーロッパ全土に伝わった千切りキャベツと塩を瓶に詰めて発酵させた漬け物ザワークラウトを積み込ませ、船乗りに食べさせたところ、壊血病で死ぬ者が一人も出さなかったという功績を残しました。

その後、イギリスの軍艦には壊血病予防にライムが詰まれ、長い航海中ひたすらライムをかじっていたのでイギリス人の事を「ライミー」と呼んだりします。

今も「ライミー」という言葉が使われていまして、邦題『イギリスから来た男』という映画も原題はイギリス人を意味する『THE LIMEY』です。

最後にその『THE LIMEY』からテレンス・スタンプ演じるイギリスから来たおじいちゃんの話すコテコテのイギリス英語をどうぞ。

よく聞けば、英語わからなくても何とくアクセントや話しかたがアメリカ英語と違うなあと感覚でわかるかと思います。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

 

食の歴史その37~古代バビロニアと野菜、果物~

9 8月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしにと思ってコラムを書いてみました。

今回も画像を使ってビジュアル的に分かりやすくなればと願っています。

ナツメヤシの樹

ナツメヤシの樹

ナツメヤシは古代エジプトや古代バビロニアにて8000年前から栽培されていると考えられており、アラビアで6000年前に栽培されたのが確認され、3000年以上前に栄えたアッシリア帝国の王宮建築の石材に刻まれたレリーフにナツメヤシを人工授粉させる光景があったりと、古代人に馴染み深い植物であります。
これだけ馴染み深いのは炎天と塩害に強く、ナツメヤシの実はビタミンと糖分が豊富で食べ方も生食、パン、酒、家畜の飼料、ジャム、ジュース、ドライフルーツと多種多様で、葉っぱも幹も芽も使えて捨てる所がなく、大きくなると樹高25メートルにもなり、古代バビロニア文明が栄えた場所は雨が少なく、日差しが強く40度を越える事も珍しくないため、野菜を栽培するのに適していない土地ですが、この大樹の木陰でタマネギ、ネギ、ニンニク、キュウリ、カボチャ、レタス、カブなどの野菜を栽培できたため、古代中東では豊穣の象徴や神聖なものとして彫刻にも残されており。『旧約聖書』に出てくる「生命の樹」もナツメヤシの事を指しています。

これだけ利点のあるナツメヤシを3750年ほど前にバビロニアで作られた「目には目を、歯に歯を」で有名なハンムラビ法典でもナツメヤシの果樹園を保護するように法律で決めていました。

ただ、唯一の難点は実をつけるのに5年かかり、成木となるのに10年かかる事です。

アッシリア時代の受粉の儀式 神官とナツメヤシ

アッシリア時代の受粉の儀式 神官とナツメヤシ

このため、古代人は春になると梯子をかけて木に登り、雄の樹の花粉を取っては雌の樹の花につける世界で最も古い人工授粉を行っておりました。
また、メソポタミアでは都市に届く野菜の値段が高い事から、野菜が買えない理由によりビタミン不足で眼病を患う貧民も多く、目の不自由な貧民はナツメヤシの世話をして働く場所として認められていました。

ギルガメシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩

野菜と果物が不足することによるビタミン欠乏症は昔からの経験則で知られており、健康のために野菜を取る教訓が転じたのか、4000年以上昔に編纂された『ギルガメシュ叙事詩』には不老長寿の薬草として野菜が登場し、野菜は健康維持だけでなく回春の薬ともみなされていました。

3600年前のバビロニアから出土された世界最古のレシピでは40種類ある中で20種類の料理にはタマネギ、ネギ、ニンニクのいずれかが必ず使われており、レタス、カブ、カボチャも好まれていましたが、多くは煮込み料理に使われており、煮込みの料理法も研究され、野菜を煮崩したりパンを加えるなどしてとろみをつけてポタージュのようにするのが流行っていました。

飲み物では40度を超える暑さのために冷たいソフトドリンクがいち早く作られ。最初はレモン、ザクロ、イチジク、リンゴなどを絞った生ジュースや飲み水に果汁を入れて味と香りをつけ、他にも保存の利く乾燥ナツメヤシやレモンを煮出して作る作ることもありました。

乾燥レモンを煮出したハーモズ

乾燥レモンを煮出したハーモズ

乾燥果物は甘味料やケーキの材料として広く出回っており、各家庭で使いやすく便利だったことから、今でもイラクには熱して潰してから乾燥させたレモンの煮出し汁の「ハーモズ」がありますが、これは古代から受け継がれた文化遺産の一つだったりします。

余談ですが、独特の苦味と酸味のあるハーモズは二日酔いに効くと評判だそうです。

現存する古代の素焼きの壷

現存する古代の素焼きの壷

古代では生ジュース、乾燥果物の煮出し汁を冷たくする工夫として素焼きの瓶に入れて冷暗所で保管し、移動の際には皮袋に移し替えます。

素焼きの瓶や皮袋には少しずつ表面に水分がにじみ出てくる性質があり。滲み出した水分は蒸発して気化し、その気化熱で中身が冷やされるなどの工夫が凝らされていました。

他には夏に振ってきた雹(ひょう)や北方の山にある氷や雪などを集めては地下室の倉に運び、ワラで包んで溶けないよう保存していました。

こうして保存した氷などで涼をとった記録はあちこちにありますが、そんな事が出来たのは大きな地下倉庫を持つ上流階級だけでした。

一般庶民も夏にアイスクリームなどで涼を取れるようになるには1560年、ローマに住んでいたスペイン出身の医者プラシウス・ヴィリャフランカが雪と氷の入った桶に硝石を入れると材料が氷点まで下がる事を発見し、大量のアイスクリームを凍らせる事ができるようになるまで待つしかありませんでした。
今日も暑いので自分はミントチョコアイスで涼を取りたくなってきました。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その14~神々とワイン~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見ている方もいるだろうと考え、あえて画像は入れていません。

聖書では人類が初めて口にした酒はワインとされています。
「旧約聖書」にはワインの記述が500箇所ほどあり。
その中でノアの大洪水の話では洪水が終わって箱舟から出てくると。
「ここにノア、農夫となりて、ブドウ畑をつくることはじめしが、ワインを飲みて酔い、天幕のうちにありて裸になれり」
と「旧約聖書」ではノアが初めてブドウを栽培し、ワインを作った事になっています。

「新約聖書」では、最後の晩餐にてキリストが、
「お前達のために流す私の血」
と言って弟子達に分け与えて以来、教会のミサに欠かせないものとなりました。

また、ギリシャ神話では酒の神ディオニソスの血とされ、古代ローマでは酒の神バッカスへのささげ物でした。

古代ギリシャではディオニューシア祭という。酒の神ディオニソスにちなんだ祭りがありましたが。
この日に限っては酒の席だからなのだろうか、階級や男女問わず、からかったり冷やかしても許され。

ディオニューシア祭のメインイベントである演劇の上演も普段は言えない反戦のメッセージや体制批判などを表立って行える貴重な場でもありました。

ワインがいつから飲まれたのかについては諸説ありますが。6000年前のメソポタミア文明があった所の遺跡からワインを醸造していた痕跡がありますし。このメソポタミアは「ギルガメシュ叙事詩」にて「旧約聖書」よりもはるか昔に洪水伝説が発祥した所でもあります。

ちなみに、ワインという言葉はラテン語の「ウィヌム」、古代ギリシャ語の「オイノス」に由来しています。
このラテン人や古代ギリシャ人が参考にしたもっとも古いワインを指す言葉「ウィヤナス」はトルコのアナトリア半島に勢力を持った世界最古の製鉄民、ヒッタイト帝国の言葉であるとの説があります。

こうして古代からヒッタイト人、ラテン人、古代ギリシャ人がそれぞれ命名したワインは3700年ほど前にエジプトや中東からギリシャに伝わり、さらにギリシャが植民地を拡大していきますと。イタリアにも広まり、そこから南フランス、スペインへと広まっていきました。

この当事はワインをまず宴会を行う家の主人が最初に飲み、これを時計周りと逆の順番で回し飲みするマナーなどもありました。

他にも古代ギリシャ、古代ローマではワインを水で割って飲むのが常識でした。

割る割合もワイン1に対して水が3で割ると決まっておりました。

割らずに飲むと野蛮人の飲み方とされました。

こうした水で割って飲む習慣はワインがまだ大量生産されず貴重品だったので、生のまま浴びるほど飲む余裕が無かったのと。アンフォラという素焼きのかめの中に保存していると水分が蒸発して濃縮され甘みも酸味も強くなってしまう事が多々ありました。

そこで、濃縮されたワインが発酵しないよう松ヤニや塩水を加えましたが。それでも味が濃縮されているので、水で割って飲みやすいよう工夫したとも言われています。

その後、ローマ帝国の時代である西暦300年代にはフランスのボルドーやブルゴーニュ、シャンパーニュ、そしてドイツのライン川沿いなど、現在でもワインの名産地とされている場所でブドウの栽培と同時にワインの製造も行われていたようでした。

それからも少し時代を経て、ローマ皇帝がキリスト教を帝国の宗教とし、布教が広まると。教会では僧侶がワイン作りを熱心に取り組み技術も向上させ、「聖なるキリストの血」の研究に没頭していきました。

こうして教会の僧侶が努力して醸造していったワインは上質なものを醸造するためには品質、気象、土壌、地形などに左右され。あらゆる面で繊細さを求められるので、ワインが文化と呼ばれてきたゆえんでもあります。

欧米のアルコール文化は、
フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの南ヨーロッパを中心とした「ワイン文化圏」

イギリス、オランダ、北欧を中心とした「ウイスキー文化圏」

ドイツ、オーストリア、チェコとアメリカを加えた「ビール文化圏」
に大きく区別されます。

ワイン文化圏では、基本的にワインを飲みながら食事をします。

なかでもフランス人はワインと食事の調和になみなみならぬ情熱を注ぎ、料理の味を引き出すために、ワインの銘柄や種類にこだわります。

これは和食と日本酒との関係にも共通するところがあり。

例えば本膳料理や会席料理などの和食の多くは酒のためのおかずという意味合いが強く、肴(さかな)と言う字も、元々は「酒菜」、つまり酒を飲みながら食べるおかずという意味合いから生まれた言葉なのだと言われています。

晩酌という言葉がありますが、これは厳密には食事の前にお酒を軽く楽しむもので。以外に新しい習慣で。平安時代から食事と酒を一緒に味わうものでした。

ワインの話に戻しますと。ワインは食事中の酒ですが。ウイスキーやビールは食前の酒とされてきました。

ウイスキー文化圏ではカクテルも含めて酒を楽しんでからメインディッシュにかかるのが伝統とされているようです。

おもしろいことに、ワイン文化圏は食生活が豊かで農耕もいち早く発展し。産業革命後もそれほど工業が発展せず。宗教はカトリック文化圏と重なります。

逆に食生活が貧弱で産業革命が急速に進んだイギリスやドイツなどのプロテスタント文化圏ではウイスキーやビールを好む傾向があります。

これには、ブドウが暖かい所でしか栽培できないのに対し、ウイスキーの原料の大麦などが寒いところでも育つ事。

さらに気候的に寒い条件では度数の強いアルコールが好まれる事。

儀礼を重視してワイン作りに情熱を傾けるカトリックと、儀礼を軽視するプロテスタントの宗旨の違いなども深く関係していると思われます。

ここでコラムは終わりですが。皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

それではよい週末を。