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お知らせ~過去の記事を加筆修正しました。

13 11月

こんばんは。以前に書いた記事に画像を加えてビジュアルで分かりやすくしたり、新たに加筆修正しました。

加筆修正した記事のタイトルとイメージ画像の一覧を下に出します。タイトルをクリックしますと、その記事のURLに移動できます。

世界の食文化その3~イスラム教の食事マナー


食の歴史その36~トマトがなかった昔のケチャップ

世界の食文化その1~世界の4割は直接手で食べている~

食の歴史その18~最初は下品だったフランス料理~

食の歴史その17~パスタのルーツは中国か?~


食の歴史その16~フレンチポテトからポテトチップに至るまで~

食の文化史その2~茶と紅茶とコーヒーの歴史~

以上となります。

また加筆修正したらブログの新着記事にてお知らせします。

食の歴史その35~古代ローマの食卓とパン~

29 7月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願い、コラムを書いて見ました。

まずは下の古代ローマ珍味一覧図をどうぞ。

古代ローマの珍味

古代ローマの珍味

イタリアのローマは2000年前にはローマ帝国の中心として栄えギリシャ料理の影響と中東から入ってくる珍しい食材の流入により、上流階級の食卓は贅を凝らしたものとなりました。

映画『サテリコン』

映画『サテリコン』

キリスト教を弾圧した暴君ネロの宮廷に出入りしていたペトロニウスが『サテュリコン』で肉を中心とした美食を飽くことなく語り、その少し前に美食に命を捧げた大金持ちのアピーキウスは、ラクダの踵(かかと)を材料にした料理やフラミンゴの舌、雌豚の子宮などへの嗜好を著作に書き留めています。

大カトー

大カトー

だが、こうした極端な美食はごく一部の上流階級の食べ物であり、大多数はどういったものを食べていたかと言いますと2200年ほどまえの政治家、大カトーが『農業について』で述べており。

ホラティウス

ホラティウス

2000年前の詩人ホラーチウスが『歌章』で書かれている食卓のほうが大多数の古代ローマの食卓を表しています。

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カトーが友人を招いて楽しい会話が交わされた食卓には、彼の大好物のキャベツをはじめ、穀物スープ、豆、青物野菜、パン、チーズなどが主に出され、肉が出ることは稀でした。

質素ながらも滋養豊富な食卓からは農耕民族らしい植物由来のものであり、古代の食卓ではパン、ワイン、雑穀類・豆類からの粥またはスープ、野菜、それに卵、チーズ、肉がいささか混じれば、それで満足な食卓でした。

シュヴァルツヴァルト

シュヴァルツヴァルト

一方、ローマ帝国を滅ぼす事になるローマの北方に住むゲルマン人の食卓は鬱蒼(うっそう)たる森が広がり、穀物の栽培には向いた土地ではなく、放牧した豚や狩りで得た鳥獣が食事の中心でした。

ローマの歴史家タキトゥスも『ゲルマニア』で

「食事は簡素で、野生の果実、新しい獣の肉、あるいはチーズ」と記しています。

話をローマに戻しますと、古代ローマがイタリアに残した贈り物の一つが「パン」であります。

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既に古代バビロニアや古代エジプトでパン焼き窯が発明されてからギリシャで質が改善され、発酵パンと無発酵のパンの別があり、小麦のパンのほかに大麦、ライ麦や他の雑穀のパンなど様々なパンが焼かれ、そのパンを焼く技術を携えて2500年ほど前からギリシャ人がイタリアやシチリア島に殖民して住み着き、それまで穀物を粉にしたり、粥にして食べていたローマ人に洗練されたパンの技術が伝わりました。

それ以来、古代ローマのお上はパンの供給を正確かつ十分に行う事が、国家の秩序維持のための一大事と心得ており、パン職人学校を作り、特許の組合組織を定めて厳重な統制を行いました。

そのおかげで「パンがなければケーキをお食べ」という事もなければ、民衆が革命を起こす事もありませんでした。

西暦30年、ローマ帝国には329の良質の製パン所があったと記録されています。この製パンは全てギリシャ人によって経営され、ローマ帝国の発展をギリシャ人が陰から支えていました。

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その後ゲルマン人の侵入とローマ帝国の滅亡によりパンの技術はすたれてしましますが、1600年ほど前にローマの遺産を継承し続けていた東ローマ帝国から発酵パンの作り方を教わり、様々なゲルマン民族に伝わると小麦は中世でもっとも重要な食材となりました。

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しかし、小麦栽培に適しない地域では雑穀のアワやライ麦がパンの原料となりました。ローマ帝国末期から中世にかけて数百年もかけて抵抗力の強いライ麦が、まずはアルプスの山地を経由してヨーロッパ各地に広がりました。こうして黒っぽいライ麦パンが庶民のものでありました。

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こうして、一旦はローマ帝国の崩壊で廃れたけど再び広がったパンが現在でも食べられており、イタリのトスカーナ地方の伝統的な朝食ないし昼食はパンにオリーブオイルを塗り、塩を振るもので、コロンブスが1492年にアメリカ大陸を見つけてトマトが伝わると潰したトマトを潰して塗りつけるようになります。

そして現代でも余って堅くなったパンの再利用として、現在でも人気があるトスカーナ地方の伝統的な料理にリポッリータとアクアコッタがあります。

リボッリータ

リボッリータ

リボッリータは野菜のごった煮スープに古いパンを入れて煮込み直したオジヤ風の一品で、オリーブオイルとチーズを加えて食べます。

アクアコッタ

アクアコッタ

アクアコッタは大きなフライパンの底を塩漬け豚肉のパンチェッタで擦るかまたはオリーブオイルを敷き、そこにタマネギを入れて、とろ火で炒め、水を加えて、塩を少々、もしもあれば唐辛子を少々入れ、それらをスープ皿に入れた古く堅くなった薄切りのパンの上にかけ、ペコリーノチーズを振り掛けます。

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このように古くなって堅くなったパンを再利用するほど、イタリアではパンだけは貴族も庶民も欠かせないという思いが歴史を一貫して強く、使用人にも自分達と同等のパンを大枚はたいて支給している事がわかる領主の帳簿も存在します。

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1300年前からローマ法王領の中心であるローマでは、パンの供給が保証され、小麦価格の上下に関わらずパンの価格は一定していました。誰にでも丸パンが供給され、緊急時には無料になりました。

こんな歴史もあって、現在でもイタリア人は無類のパン好きで、イタリア人は1日平均230グラム食べるという統計もあります。近年まで南イタリアの貧しい人たちは満腹感を得るべくパンを大量に食べられています。

作家ナタリア・ギンスブルグ

作家ナタリア・ギンスブルグ

ナタリア・ギンスブルグが『ある家族の会話』で長兄のジーノが学生時代、食後に本を読みながら、またパンをボリボリ食べ続け、1キロくらい平らげることがあった、と記しているのも、あながち例外的な話ではなく。ヨーロッパで一番パンの消費量が多く、どんな食事にもパンがついてきます。

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レストランでも学食でも必ずパンはかならずつき、おかずはパンと一緒に食べるものとされ、パンなくしておかずもありえないのがイタリアが2500年ほど前にギリシャ人から伝えられたパンに始まって現在に至るイタリアの食文化の歴史となります。

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記事を書いていましたら、パンは無いですが、クラッカーがありますので。このクラッカーを古くなったパンの代わりにして、なんちゃってアクアコッタを作ろうかと思います。

以上でコラムは終わりですが、いい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その17~パスタのルーツは中国か?~

23 6月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いて見ました。

今日のコラムはいくつか画像を載せています。

よく「中国4000年の歴史」なんてフレーズがありましたが。

歴史をかじってますと。殷(いん)が3600年以上昔にあったかな?という段階で4000年も歴史があるのか疑問が沢山あるのですが。数年前に中国で麺の化石が出てきました。

4000年前の麺の化石

4000年前の麺の化石

写真を見ると現在の麺と変わりない形をしております。

およそ1800年前の後漢という中国の王朝の時代に書かれた語学書「釈名(しゃくみょう)」に麺の記録が現れ。1500年ほど前に書かれた「斉民要術(せいみんようじゅつ)」という世界的に初めて書かれた農業に関する学術書には農業だけでなく、調味料や麺の製法まで書かれています。

現在の湯餅のひとつ

現在の湯餅のひとつ

それによると、湯餅(たんぴん)と呼ばれる小麦粉で作った麺を温かいスープで煮込んだものが現在の麺料理の元祖らしいです。

麺の製法の中で最も古いとされるのは、こねた小麦粉を手でひたす延ばす「手述べ麺」でして、日本ではそうめんが代表的です。

この手述べ麺が中国北部では拉麺(ラーミェン)と呼ばれ、後に日本でラーメンと呼ばれるルーツになったとも言われています。

中国では元々「麺(ミェン)」は小麦粉を意味したものでしたが、穀物を粉にしたもの全てを表す言葉になり、現在の中国では麺類を「麺条(ミェンティアオ)」と呼んで使い分けています。

これが1400年前に出来た一度は教科書で習った「遣唐使(けんとうし)」の時代である、唐王朝の時代になりますと、小麦粉を板状に広げて切っていく「切り麺」が普及していきまして。日本でもこの頃、中国からこの切り麺の製法が伝わり、そば切りやうどんなどに発展していきます。

シルクロードを経由してイタリアに伝わったパスタにもフィットチーネ(幅広パスタ)という切り麺がありまして、カルボナーラなどによく合います。

130年の歴史があるイタリアで初めての押出式パスタマシン

130年の歴史があるイタリアで初めての押出式パスタマシン

イタリアのパスタやマカロニなどでよく行われている製法にトコロテン方式のこねた小麦粉を小さな穴から突き出して麺にするもので、アジアでも冷麺やビーフンがこの製法で作られています。

こうして200年ほど前になりますと。麺類はアジア、中近東、イタリアに分布しますが。これらは独自にうまれたのか、アジアから伝わったのか、確認する方法は今のところ無いみたいですが。東南アジアの麺料理は200年ほど前に東南アジアのあちこちに住み着いた華僑(かきょう)と言われる中国人と関係があると言われています。

マルコ・ポーロ

マルコ・ポーロ

一方、イタリアのパスタ、マカロニに関して古くからある論争に「東方見聞録」を1298年ごろに書いたマルコ・ポーロが中国から伝えたという説についての論争がありますが。ヨーロッパの学者達でさえ、このマルコ・ポーロが本当に中国へ行った事があるのか疑念を抱いています。

大英図書館

大英図書館

イギリス国立図書館のフランシス・ウッドは「東方見聞録」では中国に長く滞在した事になっているが。もし、そうだとしたら後に中国へ本当に滞在した人なら必ず珍しがって記録する中国の文化面が致命的に抜けていると指摘しています。

台湾の飲茶(ヤムチャ)

台湾の飲茶(ヤムチャ)

たとえば、コーヒー、紅茶が伝わり。沸騰させた水が飲める事にヨーロッパ人がやっと気づいたのが400年前ですが。それ以上前に中国に行ったのであれば、茶を飲む習慣を書いていなければおかしいと指摘していますし。中国で長期間滞在したら、お茶を飲みながら点心を食べる飲茶(ヤムチャ)も見たはずです。

その時に食器として箸を使う習慣も、今から300年ほど前にベルサイユ宮殿に君臨していたルイ14世がフォークやスプーンを使わずに手づかみだった事を考えれば、物珍しいものとして書いていなければおかしいと指摘。

万里の長城

万里の長城

他にもアルファベットや中東の文字と全く違う文字である漢字の存在や木版画、女性が行う纏足(てんそく)、観光客を圧倒させる万里の長城などを書いていない事を挙げ。マルコ・ポーロは家族が貿易やっていたので、ヨーロッパにいながら中国の産物を運んでくるペルシャやアラビアの商人から情報を仕入れて、さも中国に行ったように書いたのではなかろうか?と言われています。

そして、マルコ・ポーロが帰国したのが1295年とされていますが。それより前の1279年の記録にマカロニと書かれたものが出てきています。

ジョヴァンニ・ボッカッチョ

ジョヴァンニ・ボッカッチョ

それから数十年経ってイタリアの詩人である作家であるジョヴァンニ・ボッカチオが書いた10日間を意味するタイトルの「デカメロン」が出版された1353年には、パスタやマカロニがもうしっかりイタリアの定番料理になっていたようです。

「デカメロン」の中には2種類のパスタが書かれており、上にかけるソースやチーズについても書かれています。一部を抜粋しますと、

「イタリアのベンゴディ地方にはブドウのつるをソーセージで結ぶ。そこにはおろしたチーズの山があって、その上で一日中男達は、スパゲッティとラビオリを作っては、チキンのソースをかけて食べる」

とあります。

さて、フォークは1700年代頃まで普及していなかったので、どうやって食べたかと言いますと。

下の図のように長い間手づかみで食べていました。

フォークが普及する300年以上昔のパスタの食事風景

手づかみでパスタを食べる300年以上前の人たち

こんな食べ方を長い事していたものですから、中国のように温かいスープに入れて箸で食べるのではなく、手掴みが前提でバターやチーズをまぶして食べるタイプになったのも当然の成り行きなのでしょう。

パスタを手掴みで食べる光景を写した20世紀初頭の絵葉書用写真

パスタを手掴みで食べる光景を写した20世紀初頭の絵葉書用写真

このような手掴みで食べる伝統イタリアでは20世紀初期までありまして。絵葉書の写真にもされています。

イタリア南部を支配したシチリア王国

イタリア南部を支配したシチリア王国

パスタにはもっと古い記録もありまして、1140年代にイタリア南部を支配していたシチリア王国のロジェル2世に仕えた北アフリカはモロッコ出身の地理学者アリ・イドリーシが書いた「ロジェルの書」によりますと、イタリア半島の南にあるシチリア島の北西部にあるトラビアの町にはパスタの一種イットリーヤが作られ、各地に積み出されている事が記録されています。

中世のアラブ人が書いた本によると、イットリーヤはキシメンに似た手打ちの乾麺だったと記録され、

イスラム圏の麺類リシュタ

イスラム圏の麺類リシュタ

1000年前のペルシャで活躍した哲学者イブン・シーナもイットリーヤはペルシャ語で「糸」を意味するリシュタと同じ食べ物であると記録しています。

イブン・シーナはペルシャからはるか北の中央アジアからやってきたイスラム教徒である事などから、麺を食べる文化が東から中央アジア、中東、北アフリカとはるか昔に広まっていたようです。

こうして東からイタリアへ伝わったであろうイットリーヤなどは大量生産される事なく、今ほどありふれた食べ物ではありませんでした。

大量生産されたのは1800年代にナポリで木製のねじ式の押し出し機を使って細長いパスタが大量に出来上がっては天日干しにされ、手で練っていた生地も1830年代に発明された機械で練られ、イタリア中に広く普及しました。

そして、イタリア系移民がアメリカに大勢住みつき、1920年代になりますと。ニューヨークはマンハッタンのプラザホテルでコックをしていたヘクター・ボイアーディがアメリカ人にもっとイタリア料理を知ってもらいたい思いからトマトソース味のパスタを瓶詰めにしてみました。

この便利なパスタの瓶詰めがA&Pフードの重役ジョン・ハートフォードの目に止まり。アメリカ中の食品店にソースで味付けされたパスタの瓶詰めや缶詰が置かれれるようになり、1940年代に今も量だけは多いけど貧相なアメリカ料理に革命がもたされ、イタリア系じゃないアメリカ人にもパスタが普及しました。

今でもトマトソースで味付けされたパスタを詰め込んだ缶詰がケチャップで有名なハインツ社によってイギリスで作って売られているようですが、フォークでクルクル巻こうとする前にブチブチ切れるほど伸びている代物なので、微妙な味ですが。興味ある方は「缶詰パスタ」とgoogleにキーワードを入れて検索しますと実際に缶詰パスタの中身を写した写真や食べた感想などが書かれている記事を読む事ができます。

検索するのが面倒臭い。そんな人のためにパスタの缶詰の画像を2つほど出しておきます。

イギリスのパスタの缶詰

イギリスのパスタの缶詰

パスタの缶詰を皿に移したもの
パスタの缶詰を皿に移したもの

それから第2次世界大戦後、日本にやってきた米軍が接収していた横浜のニューグランドホテルで今のナポリタンの原型が開発され、1950年代半ば以降から学校給食にケチャップとソーセージで作ったナポリタンが出されるようになり、日本人にも馴染み深い麺料理となりました。

ただ、ナポリタンとミートソース以外のパスタは1980年代のイタメシと言われたイタリア料理ブームが来るまで待たなければなりませんでした。

ここでコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

自分はケチャップとソーセージと乾麺のスパゲッティがあるので、ナポリタンを作ってタバスコと粉チーズをかけてこれから昼飯を楽しもうと思います。

では、ご拝読有難うございました。

・参考文献

辻原康夫 著 『世界地図から食の歴史を読む方法』

池上俊一 『世界の食文化15 イタリア』

チャールズ・パナティ 著 バベル・インターナショナル訳

『はじまりコレクション 1』

アレックス・バーザ 著 小林浩子 訳  『嘘の歴史博物館』

ウィキペディア 『ナポリタン』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3#.E5.8D.A0.E9.A0.98.E4.B8.8B.E3.81.AE.E6.97.A5.E6.9C.AC