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食の歴史その51~チーズの起源

7 6月

こんばんは。久しぶりに皆さんの暇つぶしになればと思って短文を書いてみました。

皆さんに問いかけますが、チーズはいつから食べられたかご存じでしょうか?

ウィキペディアを見ますと5000年ほど前にエジプトやシュメールで作られた記録がありますが。考古学が発展した結果、ポーランドの遺跡で見つかった7000年前の陶器から山羊のミルクの脂肪分が残っていたのが最も古いチーズの痕跡とされています。

10000年前に羊と山羊が家畜化され、それから1000年後に牛も家畜化されたので、この頃からチーズが作られたのではと推測されています。

最初にチーズが作られた時は容器に陶器ではなく、羊、山羊、牛など、反芻する動物の胃袋の中にミルクを入れてかき回して作ったのだろうと考えられています。

古代人にとってチーズは保存食として必要とされ、生乳より保存が利くヨーグルトやバターと一緒に作られていますが、チーズが作られた理由は保存だけでなく、およそ1万年前の新石器時代人はミルクに含まれる乳糖を消化できず、乳糖を消化できる遺伝子が広まったのは2000~3000年前ですので。ミルク作りの際にミルクの中の乳糖が細菌によって乳酸になって消化されやすくなったのもチーズが重宝され、盛んに作られた理由だと言われています。

最初のチーズがどんなものだったのかはっきり分かりませんが。地理と気候からある程度は推測がつきます。

中東や南アジアなどの暑い地方ではチーズに保存が利くように大量の塩が使われていたものだと思われます。

フェタチーズ

現在でも中東やギリシャなどでは羊のミルクを塩水の中で熟成させたフェタチーズが作られている一方、より涼しいヨーロッパでは保存のための塩分が少なく、微生物のはたらきで特色のある風味があるチーズが各地で作られ。イギリスでは700種類、フランス、イタリアでは400種類ある中、青カビで熟成されたロックフォールチーズ、白カビで熟成されたブリーチーズ、乳酸菌などで熟成され、穴が開いているのが特徴のスイスチーズなどがあります。

ラクレットハイジ ラクレット

話は逸れますが。アニメ「アルプスの少女ハイジ」の中で出てくる料理は「ラクレット」と呼ばれ。スイスはバレー州またはフランスのサヴォワ地方の郷土料理です。

「ラクレット」の作り方はシンプルで、暖炉の熱(今は電熱ヒーターを使用)などで車輪のような形の大きなバレー・チーズを溶かし。その溶けたチーズをナイフで削いで、蒸したジャガイモにかけてからピクルスと一緒に食べ。スイスの地酒の白ワインを飲むのが美味しい食べ方だと言われています。

 

久しぶりに書いたので、リハビリとして短めに書きましたが。皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その38~長い間高貴であり続けたチョコレート

11 8月

こんばんは、今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。
ビジュアルで分かりやすくするために画像をいくつか使ってみます。

メキシコのカカオの実

メキシコのカカオの実

チョコレート、ココアの原料はカカオですが。原産地の中南米では3900年ほど前から利用され、栽培されている事がマヤ文明、アステカ文明の遺跡から明らかになっております。

当時カカオは貴重品でお金の代わりにもなっており。マヤ人の間ではカカオの断片10個でウサギ一頭、カカオ4粒でカボチャ1個、100粒で奴隷が買えました。

今でも偽札を作る人は沢山おりますが、カカオの皮に灰を詰めた偽物を作って騙す悪いマヤ人もいました。

壁画:コルテス率いるスペイン軍のアステカ征服

壁画:コルテス率いるスペイン軍のアステカ征服

このカカオを最初に発見したヨーロッパ人は1502年に中南米のポンジュラスでカカオの種を見つけたコロンブスですが、彼が一緒にヨーロッパへ持ち帰った唐辛子と同じく忘れられ。メキシコにあるアステカ帝国を征服したコルテスが1519年にカカオを煎って砕き、熱湯を加えてかき混ぜて泡立ったものを飲む利用法を知り、ハプスブルグ家の血を引くスペイン国王カルロス一世に献上されました。

スペイン名物 チョコラテとチュロ

スペイン名物 チョコラテとチュロス

それ以来、「苦い飲み物」を意味するココアは最初、貴族が朝食前のベッドで飲んで滋養強壮に使っていましたが、次第に王侯貴族だけでなく、教会の神父や女性にまで流行し。

南米では唐辛子などを入れて飲まれていたココアをスペイン宮廷で工夫を凝らし砂糖、バニラ、シナモンを入れたチョコラテとして飲まれ。揚げ菓子のチュロスと一緒に楽しむ文化も生まれました。

東京ディズニーランドに行った人なら食べた事があるであろう、チュロスは。本場スペインでは単体で食べるだけでなく、チョコラテと一緒に食べるのも定番となっています。

1600年代のスペインでは良家の娘の嫁ぎ先に持参金かわりにカカオを持って行く習慣があり、1615年と1660年の2度にわたってフランスに嫁いだ王女によってココアはフランスにも定着していきました。

ハプスブルグ家の女帝マリア・テレジア

ハプスブルグ家の女帝マリア・テレジア

1736年。フランスの近くからハプスブルグ家の本場オーストリアの女帝マリア・テレジア(1717~1780年)へ婿入りしたフランツによってウィーンの宮廷にも伝わり夫婦仲良くココアをたびたび飲まれました。

当事、ココアはコーヒー、紅茶の3倍の値段で取引され。いまだ珍重された飲み物でしたが、マリア・テレジアとフランツ夫妻が愛飲したココアは乾燥させたバラとジャスミンの花びらをココアパウダーに混ぜて数日間保存して香り付けしたものですが、花びらで香り付けする習慣はアラビアの食文化とされ、アラビアではバラの風味のついた水や油が使われていました。

ですので、ハプスブルグ家のココアは東洋と西洋が融合されたメニューといえるでしょう。

ザッハトルテ

ザッハトルテ

その後、ハプスブルグ家の歴代皇帝に仕えた宰相メッテルニヒが1832年、フランツ・ザッハーに飽食した貴族のために新しいデザートを作るよう命じたところ、1700年代からあるココア風味のケーキをひと工夫加えたザッハトルテを作ってだしたところ、フランツ・ザッハーの特別料理としてウィーン中の話題となり、世界中に広まっていきます。

それから15年経った1847年、イギリスのジョセフ・フライが固形チョコレートを発明し、スイスではネスレの創業者アンリ・ネスレがミルクチョコレートを大量生産して世界最大の食品会社ネスレの礎を築いていきます。

チョコ専門職人ショコラティエとデザート

チョコ専門職人ショコラティエとデザート

こうしてネスレを筆頭とした大企業によって規格化され、大量生産されたチョコレートのおかげで値段が下がり、庶民にもチョコレートが広まる一方、ベルギーやフランスを中心にチョコ専門職人ショコラティエが作る高級チョコレートの店が立ち並び、ヨーロッパでは差別化が図られてきました。

ブラウニーケーキ

ブラウニーケーキ

こうしたチョコレートが大西洋を渡ってアメリカに到着し、1893年のシカゴ万博にて「万博に参加する女性のために、ケーキひと切れよりも小さくて、お弁当箱から気軽に出して食べられるようなデザートを作ってほしい」というリクエストに応えてブラウニーというお菓子が考案されました。

ここから家庭でも作れる様々なチョコレートケーキのレシピが出回るようになり、太平洋を越えた日本でもレシピサイトのクックパッドに「ブラウニー」とキーワードを入力すると、1760種類ものレシピが出てくるのを氷山の一角に、多彩なチョコを原料としたお菓子が企業、家庭問わず作られております。

カカオからチョコレートに至る歴史をかいつまんでかいていましたら、むしょうにチョコが食べたくなったので、今日は寝る前に板チョコを冷凍庫に入れた物を出して夜食にしようかと思います。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?