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食の歴史その42~古代ローマの食卓その2 昼食編~

4 9月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今回もビジュアルでわかりやすくするよう、画像を多用します。

もともと、古代ローマ人の食事スケジュールは、朝は朝食を意味するイェンタークルム、正午近くにケーナという1日の主となる食事をし、晩に夕食を意味するヴェスペルナをつまむというものでした。

しかし、昼間は暑くて食欲が起きない事と、ローマの勢力が大きくなりギリシャの文化が入って影響を受けると同時に国が豊かになってケーナの内容が次第に豪華になり、ケーナの時間は夕方へ移っていきました。

こうしてケーナ以外の食事は軽食かおやつを意味するようになり、腹が減ったので仕方なくとか、仕事の合間の休憩などに分類されるようになりました。

ケーナで腹いっぱい食べるので。上流階級でもケーナ以外の朝食、昼食を粗食で済ませれば倹約が美徳とされていたので誇るべき事であり。上流階級は昼をパンとワインだけで済ませましたが、肉体労働している人たちはたっぷり昼食を食べました。

時代の移り変わりでヴェスペルナは消え、「2度目の朝食」を意味するプランディウムが導入されました。

古代ローマの人口は100万人以上あり、人口密度は東京23区の5倍以上という過密状態で。一軒家は1700軒ほどしかなく。殆どの庶民が住んでいた七階建てもある賃貸住宅のインスラは机と椅子を広げるのが精一杯で。ベッドを置くスペースが無いので、ワラを袋に詰めたものをベッド代わりするか、直接床に寝ており、水道は皇帝と仲の良いごく限られた人しか家に引くことが出来ず、台所のスペースがあまり無いのでバールという軽食屋またはファーストフード店に分類される所で昼食を済ませるのが一般的でした。

古代ローマ時代に最も多かった食堂の形態 バール

バールは入り口付近にL字型の長いカウンターが置かれ、テーブルと椅子は店の中だけでなく、現在のオープンカフェのように外にもズラりと並べ、大きい店のなかには中庭にも椅子とテーブルを並べ、沢山の客が飲食できるようになっていました。

古代ローマの軽食屋で出された代表的なメニューは豆の入った小麦の粥「プルス」で。それ以外の物を売ることを禁止された時代もありましたが。街頭でこっそり売っていたりと禁止の効果はありませんでした。

プルス以外で人気があったのは豚のゆで肉、豚のもも肉や頭の串焼き、ウナギ、オリーブ、イチジク、ソーセージ、魚肉団子、肉団子、サラダ、ローストチキン、野菜マリネ、ゆで卵、オムレツ、チーズなどが出されましたが。ローストチキンなど肉に火を通した料理を出す事は法律で禁じられていました。

ポンペイで発掘された竈とカウンター

ポンペイで発掘された竈とカウンター

古代ローマは現代の東京23区より過密していて火事が起こりやすかった事情から火を通して調理した肉を出す事は法律で禁じられていましたが。この法律を律儀に守る店はほとんどありませんでした。

共和制ローマの富豪で政治家のクラッスス

共和制ローマの富豪で政治家のクラッスス

そうした事情から厨房や暖房の火の不始末などで火事が起こると、ジュリアス・シーザー、ポンペイウスと組んで3頭政治を行ってローマを牛耳った人物の一人、クラッススは火事になった家の周辺の隣家が延焼を恐れて持ち家や建物・土地を手放すのをいち早く情報を仕入れた上でそれらを買い占め、その後に自らが雇っていた建築に携わる奴隷にそれらを壊させたためにローマの不動産の大部分がクラッススの所有物になったと言われています。

古代の消防用送水ポンプ

古代の消防用送水ポンプ

ローマのトップには何度も起こる火災を座視するだけでなく、初代皇帝アウグストス(紀元前63~西暦14年)は正式な消防隊を組織しました。

この消防隊には2250年前にエジプトのアレキサンドリアで発明された放水ポンプを台車に載せて町中の火消しにまわっていました。

火事の最前線に立つ危険な仕事であるため、奴隷が消防隊にあてがわれていましたが。奴隷が何年も寝ずの番をして消防隊に勤めると。晴れて自由市民になれるので、志願する奴隷が数多くおりました。

この消火用水はローマに引かれた上水道から使われており、この水は普段ローマに大小ふくめて1000軒以上あった公衆浴場に供給されていました。

ローマ市民は用事を午前中に済ませたら「シエスタ」、つまり昼寝をし、起きたら公衆浴場に出かけますが。公衆浴場は浴場、プール、トレーニングジム、マッサージ室、談話室、ゲーム広場、軽食屋などの施設が揃った健康ランドのようなもので入場料は現在の価値にして10円程度でした。

公衆浴場に入りますと。まずはトレーニングジムでレスリング、球技、槍投げ、円盤投げなど練習で汗を流してからマッサージ室で体をほぐしてもらい、それからいよいよ入浴。

入浴は低温サウナと高温サウナの2種類がありまして、体が温まったらプールでひと泳ぎします。

カリグラ帝

カリグラ帝

ちなみに水泳は帝王学の一環であったので、カリグラ帝に関して諸説ありますが、とにかく泳げなかった事が記録に残っているほどです。

プールから上がりますと談話室、ゲーム室へ行ったり。10円の入場料で食べられる軽食屋ではビスケット、油で揚げたスナック、野菜のマリネ、果物とドライフルーツ、肉団子や魚のパテ、ソーセージなどに舌鼓を打っていました。

繰り返しますが、軽食屋の食事は別料金ではなく。10円の入場料で食べる事ができ、不景気な時でも6皿の食事にありつけました。

公衆浴場に来る人たちは様々な思惑を持って訪れ。庶民は金持ちと知り合って豪華なディナーのケーナに招待されるのを期待して訪れ。招待されなければ、また10円払って別の公衆浴場へとハシゴしていました。

一方、元老院の議員や貴族などのケーナに招待する側にとって、ここで投票権を持つ市民を見つけて招待することは、立候補して投票してもらう際、知名度や人気を高める上で意味のあることでした。

以上で古代ローマ人の昼食に関するコラムは終わりですが、次は古代ローマの晩餐を書こうと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

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食の歴史その41~古代ローマの食卓その1 朝食編~

29 8月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになるようコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルで分かりやすくなるよう画像や動画を色々使っていきます。

古代ローマ人は夜明けとともに起きて取る朝食をイェンタークルムと呼び。この朝食を祭壇に捧げて祈ってから食べていました。

ポンペイで発見された古代ローマのパン

ポンペイで発見された古代ローマのパン

朝食の内容は庶民ですと丸くて平らなパンと塩味のニンニク、そして水という内容でした。

こういった質素な朝食でも食べられるだけありがたいという庶民も多数おりました。

しかし、後で詳しく説明する「パトローヌス」から朝食をもらいますと、ローマのミルクの大部分がチーズの加工に使われ、ピンからキリまであり大量に出回っていたものも朝食に加わります。

同じチーズでも普通に加工されたチーズ、燻製にされたチーズ、チーズにドライフルーツとワインを入れて加熱した「イポトゥリマ」、すりおろしたニンニクとスパイスを混ぜた「モリトゥム」などがありました。

他にも果物とミルクかワインも加わり、腐らないよう硬くなっているパンを水でなければミルク、ワインに浸して食べたりしました。

朝食の主食であるパンも蜂蜜入りロールパン、平らなケーキ「プラケンタ」、お供え菓子「リープム」などがありました。

古代ローマの軽食屋 バール

古代ローマの軽食屋 バール

こういった多少手の込んだパンやチーズ、ミルク、ワインなどを当事庶民が島を意味する「インスラ」という水道は通っておらず、ろくな台所も無いに等しい7階建て以上ある高層アパートに住んでいた事情もあって、バールと呼ばれる軽食屋か屋台で買って済ませたりもしました。

このバールではイチジクを固めたもの、ゆで卵、塩漬け魚、ローストチキンも注文でき、飲み物はホットワイン、ホットワインの中でも人気があったのは蜂蜜やスパイスを加えた「ピペラーツゥム」でした。

これだけ豊富にあれば満腹になりますが、朝食をガツガツ食べるのは育ちが悪いとされ。朝食は貴族も庶民も軽く済ませ。バールや屋台などでガツガツ食べられるメニューは昼か夕方に注文しました。

屋台や店で使うお金が無い庶民にはタダで朝食にありつく方法もありました。

それは個人的な保護者を意味し、パトロンの語源でもある「パトローヌス」という貴族、金持ちへ挨拶に行く事でした。

この面倒見のいい親方か先輩的な存在の貴族、金持ちに保護されている庶民を「クリエンテス」と言いますが。保護の対象になった庶民には「スポルトゥラ」というカゴに入った食べ物が与えられることがあります。

もらった朝食は食べてもいいし、売ったり交換してもお咎め無しでした。

「パトローヌス」は朝食だけでなく就職の斡旋、結婚相手探し、借金の保証人などの世話もします。

そうやって世話してもらった庶民たちはこの「パトローヌス」が選挙で立候補したあかつきには投票するだけでなく、熱心に選挙活動したりして日ごろの恩返しをしたりします。

小さな国の国家予算レベルに等しい借金をしているので、転勤しようとしたら借金取りに囲まれて外へ出られない事もあったジュリアス・シーザーや初代ローマ皇帝とされるアウグストスも軍隊を使った実力行使だけでなく、「パトローヌス」として庶民たちを世話した結果できた沢山の支持者の票が背景にあったので君臨できたという話もあります。

さて、様々な手段で得た朝食を食べた後は歯磨きをします。

歯磨き粉の原料は人の尿を原料とした歯磨き粉でした。

尿素は現在でも歯の美白に使われているので意外と合理的なのだそうですが。何故かポルトガル人の尿が特に歯によいと信じられており。時間とお金と労力をかけてローマからはるか遠くポルトガルまで出かけて調達していました。

尿を原料とした歯磨きをしてもローマ庶民が朝から食べるニンニクの匂いが気になるのか、虫歯予防の薬草と匂い消しの効果があった香料のはいった飴を舐めていました。

砂糖も蜂蜜も今より貴重品で博物学者プリニウスが書きのこした文書には「鉛の鍋で腐敗したワインかブドウ汁を煮詰めるとサパが得られる」とあり。サパという鉛を含んで明らかに体に悪い人工甘味料で代用するほど果物以外の甘い物が乏しく。歯を磨いたあと、現代人には想像のつかない不味い飴を舐めていたようでした。

以上でまずは古代ローマ人の朝食を紹介してみました。次は古代ローマの昼食、夕食を紹介してみたいと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その21~ハンバーガーとモンゴル帝国~

29 6月

おはよございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

地図で説明する箇所があるので、画像を一枚アップロードします。

ハンバーガーはアメリカの国民食であり、世界のファーストフードの王者となっており。

10年ほど前のデータでは、マクドナルドは世界120カ国に進出し、1日あたりの来客者数はのべ4000万人に達するそうです。

ハンバーグステーキを丸型のパンでくるむというアイデア料理の俗称がハンバーガーだが、その起源はドイツ北部の港町ハンブルグの家庭料理をヒントとしてアメリカで改良され、のちにハンブルグの英語なまりであるハンバーガーtご呼ばれたといわれています。

しかし、この説は現在ではほとんど試みられていません。これはれっきとしたアメリカ生まれのアメリカ料理だからです。

例えば日本語に「日本風天ぷら」という呼び方がないように、「ハンバーグステーキ」もドイツ語には見当たらない言葉です。

地元のドイツでは皿に出されたものを「ドイチェス・ビーフシュテーキ」と言い。牛肉のミンチを丸めて平たくしたもので、つなぎなどを混ぜていないためにポロポロした食感だと言われています。

他にはジャガイモをつなぎに使った「フリカデレ」というドイツのひき肉料理もあります。

フランス料理には馬肉のひき肉、たまねぎ、薬味、生卵をまぜたタルタルステーキがありますが、このタルタルステーキが原型ではないか、という説が注目されているそうです。

タルタルとは生肉をミンチ状に刻んで賞味するいわば、牛肉や馬肉のタタキであり、そもそもタルタルとは1200年代にチンギス・ハーンとその子孫によって征服された中央アジアやロシアに移住したモンゴル系の人たちの総称で、一般にはタタールと言われています。

タタールの由来はギリシャ神話に登場する最悪の死後の世界であり、奈落も意味する「タルタロス」から生まれ、ハンガリーやポーランドにまで攻め入ってヨーロッパ連合軍を殲滅させた強さから野蛮で凶暴と恐れられたモンゴル帝国率いるモンゴル系、トルコ系遊牧民が、タタールと呼ばれるようにjなったのだと言われています。

このタタールと呼ばれた遊牧民は中央アジア平原で放牧された羊や馬などの肉質の硬い生肉を細かく刻んで食べていましたが、1200年代末期にこの料理法がドイツに伝わり、素材を羊や馬から牛に変えて定着したのが、タルタルステーキの源流とされています。

はじめのころは、硬いスジ肉を塩や身近な調味料だけで味付けしていたらしいのですが。

そのご、今日のタルタルステーキのように生卵やピクルス、刻みタマネギなどを添えて深みのある味を出すようになりました。

そして数百年経ちましたら、焼いてハンバーグの原型になるものがイギリスとアメリカに伝わります。

イギリスはジェームズ・ヘンリー・ソールズベリー博士が食事改善運動を行い、全ての食材は細かく切ってから食べると健康にいいと提唱し、南北戦争(1861~1865年)に従軍の際、兵士が下痢をしないよう、消化の悪いステーキではなく、脂身を含まない牛肉の赤味を細かく刻んだステーキを考案。この考案者ソールズベリー博士にちなんでイギリスではソールズベリー・ステーキとも言われているそうです。

ちなみに、第2次世界大戦中のアメリカではハンバーグは敵国ドイツの言葉としてソールズベリー・ステーキと言うようにお上からの指示があったそうです。

さて、ハンバーグ、ハンバーガーという名前を考案し、世界的にその名を広めたアメリカはと言いますと。1850年代からドイツ移民がハンブルクからニューヨークまでのアメリカに至る長い船旅の中で硬くなったり、古くなった燻製肉を細かく刻んで調理していた料理法を伝えたとされ、1884年2月16日のボストン・ジャーナルという新聞に

「ニワトリを1羽捕まえて煮る。冷めたらハンバーグステーキの肉と同じように刻む」

という調理記事が紹介され、これが活字で記録された最も古いハンバーグの記録とされています。

これからアメリカの北部ウィスコンシン州セイモアという小さな田舎町は、ハンバーガー発祥の地として名乗りを上げ、ハンバーガー博物館まで設置していたりするなど、アメリカ各地でハンバーガー発祥の地と名乗りを上げている場所がいくつかあります。

下にハンバーガーとゆかりのある場所を指し示す地図を出します。

上の地図のようにアメリカ各地に広まったハンバーグ、ハンバーガーですが。1900年代初頭になっても評判の悪いものでした。

歴史学者デイヴィット・ジェラード・ホーガンによれば、ハンバーガーは汚くて、口にするのは危険な貧乏人の食べ物と思われていました。

レストランで出される事はほとんどなく、工場のそばにくるランチのワゴン、サーカス、カーニバル、博覧会などで売られる代物でした。

これは今の日本人の感覚で言えば、噂話ですが、地元で夏祭りになると路上の屋台に出す焼きそば、たこ焼き、お好み焼きなどを買ってたべようとしたら親に「屋台のは路上に水道なんてなく、汚い水で作っているからやめなさい」と言われ、食べられなかった思い出がありますが。博覧会で売られたハンバーガーも似た様な認識だったかも知れません。

アメリカに話を戻しますと昔、ひき肉は合成保存料がたっぷり添加された腐った古い肉から出来ていると信じられていました。ですから、

「ハンバーガーを食べるのは、ゴミ箱から取り出した肉を食べるのと同じくらい危険だ」

と、昔のアメリカの食品評論家は論じていました。

それからしばらくして、1920年代に、アメリカ初のハンバーガー・チェーンであるホワイト・キャッスルは、ハンバーガーの悪いイメージを払拭するために、グリルを客が見れるようにした上で1日に2回新鮮なひき肉が搬入されている事を訴え、チェーン店の名前も清潔なイメージを受け付けられるようにとの思いから命名し、さらには、ミネソタ大学の実験のスポンサーとなり、医学生がホワイトキャッスルのハンバーガーと水だけで13週間生きられる事を証明しました。

こうした努力と成功がハンバーガーの偏見を取り除きましたが、客層はほとんどが都会の男性労働者で、女性や子供も一緒に食べる国民的な食べ物になるには、30年ほど経った1950年代にマクドナルドが家族向けチェーン店として売り出すのを待つしかありませんでした。

こうして現在、スーパーに行きますと安く真空パックのハンバーグが置いてあり。街へ出るとMをかたどった金色アーチの看板をかかげたマクドナルドがあちらこちらにあるようになりました。

最後に一つ蛇足しますと、日本のハンバーグは日本独自の調理法を取っていて。

日本の一般的レシピでは、牛、豚、7対3のミンチと、みじん切りして炒めた玉ネギを加え、塩、胡椒、ナツメグ、全卵、パン粉混ぜを合わせ、表面をしっかり焼いて肉汁を閉じ込め、オーブンで中まで火を通す。仕上げにブラウンソース、またはデミグラスソースをかける。

といった感じで、アメリカやイギリスより手の込んだ代物なのだそうです。

今日のコラムはここで終わりですが、皆さん楽しんで頂けたでしょうか?

食の安全その1~アメリカの食中毒と縦割り行政~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見る人もいるかと考え、あえて画像は載せていません。

日本では新聞やテレビで役所の縦割り行政の話をすることがしばしばありますが。
この縦割り行政の弊害は日本だけでなく、アメリカにもあったりします。

アメリカでは12の政府機関が食品衛生と安全に関わっており。議会の28の委員会がこの政府機関を監督しています。

所属する省庁も利益も異なる役人が介在するため、食品安全製作の運用に混乱や格差がみられ、不合理な事も数多くあります。

農務省は屠殺(とさつ)した牛には細菌検査を行う権限がありますが。食肉加工場から例えばBSEなどに汚染された牛を排除するために生きた牛を検査する権限がありません。

冷凍チーズピザの製造は、食品医薬品局が取り締まっていますが。このピザにペパローニを載せると管轄が農務省になります。

卵は食品医薬品局が取り締まりますが。卵を産む鶏は農務省の管轄で、この二つの役所は縦割り行政の弊害で連携ができず。サルモネラ菌に感染された卵を取り除く努力が阻害されています。

オランダやスェーデンでは卵の雑菌をほぼ完全に取り除いていますが。アメリカでは年間50万人以上が卵で食中毒になり、年間300人以上がその食中毒で死んでいます。

「ファストフードが世界を食いつぶす」の著者、エリック・シュローサーはアメリカの食品衛生全般を一手に引き受ける役所を作り、徹底的に検査する権限も与えるべきだと主張しています。

エリック・シュローサーの著書では。農務省は農業の促進と監視の二つの業務があるが、両立しえないと主張し。

もう一方の食品医薬品局も病院や薬屋で手に入る医薬品の監視に予算を殆ど使っており。
食品医薬品局の検査官が食肉加工場に訪れるのは平均して10年に1回のみ。

こんな状況なのでアメリカに20万も店舗があるファーストフード店の食品衛生は全く監視されていません。

このせいで悲惨な事が発生しました。
1993年シアトルの病院で血の混じった下痢便のために受診する子供が急激に増えた事に医者が気づきました。

以前は珍しかった「溶血性尿毒症症候群(HUS)」という、腎臓を破壊する病気にかかった子供もいました。

そこから保険職員がすぐに、集団食中毒の原因が地元のジャックインザボックスで出された生焼けのハンバーグであることを突き止めました。

問題のハンバーガーパテを調べたところ、牛を解体する食肉加工の段階で無理して大量生産させた結果、製造ラインの速度が速すぎて雇われた大勢の不法移民がラインのスピードについていけず、誤って胃腸を傷つけ、そこから出た未消化物や糞便が混じった事が原因とされる大腸菌O-157H7が含まれる事が判明しました。

ジャックインザボックスはカルフォルニアのヴォンズ社が製造した汚染ひき肉の回収を、すぐさま宣言しました。

しかし、時既に遅く。少なくとも4つの州で700人以上がジャックインザボックスのハンバーガーを食べて病気になり、200人以上が入院し、4人が死亡しました。

この食中毒の被害者のほとんどが子供でした。

最初に発症したうちのひとり、ローレン・ベス・ルドルフは、クリスマスの1週間前にジャックインザボックスのハンバーガーを食べて1週間後のクリスマスに入院。

ローレンは入院中、激しい痛みに苦しみ、3回心臓発作を起こして1992年12月28日、母親の腕に抱かれて息を引き取りました。

ローレンはまだ6歳でした。

こんな惨事が実は80年代にマクドナルドでも起こっていたにも関わらず、アメリカの農産物の生産、流通、加工、貿易など食に関して多岐にわたって携わるアグリビネジネスの大企業とファーストフード大手は政治家に多額の政治献金をしたおかげで。
「農産物名誉毀損法」
という恐ろしい法律を2001年の段階で13の州に制定させました。

この法律は”正当”な科学的根拠も無しに農産物や食品を批判してはいけないという法律です。

この”正当な”は食品関連の大企業から献金や天下り先を約束されている人たちが決めますので。
消費者にとって公平な判断が出来るのかどうか疑問です。

ドキュメンタリー映画「フード・インク」では。O-157などの細菌が混じった食べ物を食べた子供が死んでしまい。遺族が製造元を批判したところ、大企業から名誉毀損などで訴訟を起こされてしまい。カメラの前でも遺族は、また訴訟が起こされないかビクビクしていたようで歯に物が詰まった物言いでした。

こうやって大企業への批判を圧殺する手口を「まるでソ連の人民委員だ」と例えられてもいます。

日本の食品行政は不勉強なので、わかりませんが。アメリカみたいに杜撰で無い事を願うばかりです。

それと、アメリカから輸入された物もちゃんと検査されている事も願うばかりです。

以上でコラムは終わりですが、いかがでしたでしょうか?

皆さんのいい暇つぶしになったら幸いです。

食の歴史その4~寿司の歴史~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしにコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見ている人もいるかと考え、あえて画像はつけていません。

日本における「酸し(すし)」「熟すし(なれすじ)」の歴史は長く。塩漬けにした魚を米に漬け込んで発酵させた保存食として発展したすしは東南アジアから稲作とともに日本に伝わったとされています。

それらは酢を使わない熟すしと呼ばれる古いもので、今もその名残が琵琶湖名物の鮒(ふな)寿司に残しています。

だが、この方法では発酵などで半年はかかるため、より手っ取り早くより美味しく食べたい需要が高まり。酢の醸造技術が発展した江戸時代は1700年頃までに酢を使った人工ずしが発案されました。

酢を使った人工ずしは「押しずし」「一夜漬けずし」などと呼ばれ。その後、大阪では箱ずしと呼ばれる押しずしが、江戸では散らし寿司が相次いで生まれ、庶民の人気となりました。

しかし、現在は寿司と言えば日本でも外国でも。板前さんが酢飯の上にネタを載せて握って出す江戸前寿司とも握り寿司とも言われる物ですが。

短気でせっかちな江戸っ子を魅了したこの即席すしの原型を作ったのは1825年ころに華屋与兵衛(はなやよへい)が江戸は両国に店を構えて「与兵衛すし」として出したのが始まりと言われています。

これが珍しいものや目新しいものが好きな江戸っ子に大人気となり。行列も出来て。
「こみあいて、待ちくたびれる与兵衛ずし、客ももろ手を握りたりけり」
と狂歌が残るほどの大人気でした。

華屋与兵衛の考案した握り寿司は市民権を得ましたが。それが稲荷ずしや散らし寿司をおしのけ、都市部で主流になったのは第2次世界大戦後からとなります。

地方でも食べられるようになったのは魚介類が地方にも流通したのと、冷蔵庫の普及により1970年代からとなります。

ですので、寿司がどこでも食べられるようになったのはつい最近の出来事だったりします。

ここでコラムは終わりですが。いい暇つぶしになったでしょうか?

食の文化史その1~フレンチポテトとコーラとアメリカ~

18 6月

こんにちは。皆さんの暇つぶし用に長めのコラムを書いて見ました。
携帯やスマホで見ている人もいるだろうと考え、あえて画像は入れてません。

フレンチポテトが広まった歴史は比較的新しく。1914年から1918年まで起こっていた第1次世界大戦にて、ヨーロッパに派遣されたアメリカ兵がベル ギー人からフライドポテトをお裾分けしてもらったのですが。ベルギー人がフランス語を話すので、フランスのポテトだと思い込み、そこから「フレンチポテ ト」という名前になったようです。

そのベルギーではフライドポテトの歴史がある程度あり。昔、ベルギーの漁村では川で取れた小さな魚を揚げて食べていた。しかし、冬になると川が凍って魚が取れないので代わりにポテトを揚げてみたのが始まりらしいです。

ヨーロッパで本格的にジャガイモが食用になったのはフランス革命が起こった時、パンが不足していたので革命政府が代用として家畜の飼料にしか使われていな かったジャガイモを配給したのが始まりだと言われるので。ベルギーでもジャガイモが食べられたのは。おそらく、フランス革命が起こった1789年以降かも 知れません。

ベルギーでは現在、フライドポテトをフリッツと呼んでおり。これが主食となっているほどです。
フリッツにつけるソースも独特で「サムライソース」というマヨネーズにハリッサという唐辛子とニンニクとその他香辛料を加えた調味料とレモンで味付けしたものをつけて食べるのが一般的らしいです。

フライドポテト先進国であり、偶然にも「フレンチポテト」名付け親となったベルギーからアメリカに渡ったフレンチポテトがアメリカで普及するには時間がかかっており。
ジャガイモ王、フライドポテトの王とも言われる。ジョン・リチャード・シンプロットというアメリカの田舎はアイダホで戦前は農場を営んでいた男が第2次世界大戦後に所有するジャガイモの大農場と巨大な加工工場を使って1950年代に売り込みます。

1950年代に売れるまでの間、シンプロットは第2次世界大戦中に乾燥ジャガイモや乾燥タマネギを軍に納入して莫大な儲けを得ては農場と加工工場を拡大していき。冷凍庫が家庭にも普及した1950年代になると冷凍食品に目をつけます。

実は1920年代にクラレンス・バーズアイと言う人が急速冷凍の特許を取り。冷凍食品を売り込んだのですが、当事はスーパーや食料品店にも冷凍庫がなかったので全然売れませんでした。

それから家庭にも冷凍庫が普及した30年後にクラレンス・バーズアイが考案したアイディアにジャガイモ王シンプロットが目をつけました。

1950年代は「食品加工の黄金時代」と言われ。冷凍TVディナー(これは1960年の映画「アパートの鍵貸します」に出てくる都会で一人暮らししている サラリーマンが家に帰るとテレビ見ながらマッチで火をつけたコンロで解凍したTVディナーを食べているシーンが出てきます)に始まり、袋から出てくるポテ トサラダ、冷凍オレンジジュース、スプーンで簡単にすくえるほど柔らかいチーズが詰まったチーズウィズ(アメリカではこれを使ったチーズマカロニがお袋の 味のようです)などなどが最先端の食料品としてもてはやされ。レストランでは誇らしげに缶詰スープを出し、冷凍食品を出すのが売りのレストランもありまし た。

ここでシンプロットは家庭がどんな加工食品を欲しているのかリサーチを開始します。
その結果、アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンが1802年にパリ仕込みの「ポム・フリッド」という正真正銘なフレンチポテトのレシピを持ち込み、 第1次世界大戦後にアメリカで庶民に流行したフレンチポテトを冷凍食品にして売ったら儲かるとのリサーチ結果が出ました。

そして、1965年にマクドナルドがフライドポテトをシンプロットが売り込んだ冷凍ポテトに切り替えてより爆発的に広がって今に至ります。

マクドナルドのフライドポテトの味の秘訣は揚げる油にありました。
それは7%の大豆油と93%牛脂という割合で混ぜた混合油にありました。
しかし、フライドポテトのコルステロールの高さに非難が高まり。1990年に100%植物油へと切り替えます。
この時に使えなくなった牛脂で出していた風味をどうやって出すか考えた結果。
「香料」とも「人工香料」とも言われる添加物を使って風味をつけました。

もし、この「香料」がなかったらファーストフードは存在しなかっただろう。と言われるほど大変重要なものです。

加工食品は洗浄、カット、詰め込み、乾燥、冷凍、貯蔵、輸送などの過程で風味が殆ど失われるため、人工香料で風味をつけざるおえないのです。

スーパーで食品の添加物の表示を注意して見ると、さりげなく「香料」と書かれている割合が高いのに気づく事でしょう。

これらの香料は製法が門外不出で限りられた場所のラボで科学者たちが調合して常に新たな風味をつける香料を開発しています。

匂いは食べ物の味の90%を決めるほど重要な要素で。この香料さえあれば、誰でも美味しい料理を簡単に作れてしまいます。

これまでラボで開発された香料を一部だけ羅列しますと。ポップコーン、ポテトチップ、パン、クラッカー、朝食用シリアル、スポーツドリンク、紅茶、天然オーガニック食品全般、醸造酒、ビールなど。どんな食品の風味も香料で作れてしまいます。

ノンアルコールビールを飲んでもビールの味がするのは香料で人工的に作られたビールの香りのおかげです。

こうした人工、天然を問わず。「心地よい食べ物」の匂いが脳に記憶されると。特定の食べ物を無意識に食べたくなるようなります。こうしてアメリカでは週に4~5回以上マクドナルドなどに通う。業界用語では「ヘビーユーザー」と言われる客層を産み出しました。

そんなヘビーユーザーの一人らしい有名人がいます。元アメリカ大統領のビル・クリントンです。

彼はアレルギーが多く。牛乳やら花粉やら様々なアレルギーがあるので、チーズバーガーは食べないようですが。フライドポテトを食べながらコーラを飲むのが 大好きで。その結果心臓病になり、手術を受けることになって一命を取り留めましたが。それ以来コーラは飲んでもフライドポテトは控えるようになったと言わ れています。

このコーラも中毒者が多く。まだ元気で「バック・トゥー・ザ・ヒューチャー」に出演中だったマイケル・J・フォックスにインタビューしたライターのガモ川口さんが言うには彼がやたらダイエットコーラをがぶがぶ飲む姿が印象的だったと語っています。

他にもエルトン・ジョンは演奏しながらダイエットコーラを飲む姿が有名なほどのコーラ愛好者です。

カロリー0のダイエットコーラは一見、悪くないように見えますが。カロリーを0にするために使う人工甘味料が肝臓やすい臓を悪くするという話もあります。

こうした話の結論か言わせてもらうと、アメリカ人はコーラとフライドポテトの組み合わせで中毒になっている人が多い。

そういった人ほど肥満がひどく、糖尿病や心臓病の割合が高い。

なので、お子様が炭酸飲料全般とポテトチップ、フライドポテトの組み合わせが病みつきにならないよう、食育が必要となりますでしょう。

ここでコラムは終わりですが。いい暇つぶしになったでしょうか?

楽しんでもらえたら幸いです。