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食の歴史その36~トマトがなかった昔のケチャップ

2 8月

こんにちは、今日も暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

ビジュアルで分かりやすくするため、画像を沢山使ってみました。

今、ケチャップと言いますと完熟トマトを加熱してから湯剝きで皮を取り、裏ごししてから低温で煮詰めてトマトピューレを作り。砂糖、塩、酢、オールスパイス(ピメント)、シナモン、グローブを加え、タマネギ、セロリなどの野菜も加えて作られます。

ケチャップ状の調味料には歴史があり、古代ローマ時代からあるケチャップは広く「ガルム」という名で知られ、リクアメンと呼ばれていました。

ローマでのガルムの製法

ローマでのガルムの製法

ガルム、またはルリクアメンは世界で最も古い調味料の一つで。酢、オイル、コショウ、干したアンチョビをドロドロにしてから潰して裏ごしにして調味したソースでした。

古代ローマで作られたトマトのないケチャップは鶏肉や魚に良く合うソースとして重宝され、ケチャップ工場で有名な町もありました。

2000年ほど前に火山灰に埋もれたポンペイの遺跡には「最高に滑らかなリクアメン。ウンブリクス・アガトホプス工場製」と書かれた世界で最も古いケチャップの瓶が発掘されています。

しかし、これは現在のケチャップの直接の先祖ではなく。1690年代に中国でやはり鶏肉と魚用のソースとして魚の酢漬け、貝、スパイスを塩水で漬け込んだものがマレーシアやその周辺にも伝わり、ここで「ケチャップ」という言葉が初めて出てきます。

このケチャップを1700年代にイギリス人がマレーシアやシンガポールの原住民が食べているのを見つけ、故郷のイギリスに持ち帰り、イギリスでもその味を懐かしんで料理人に作らせたのですがアジアのスパイスが手に入らなかったので、代用として魚介類ではカキ、アンチョビ、ロブスターを使い、他にはマッシュルーム、インゲンマメ、クルミ、キュウリ、クランベリー、レモン、ブドウなどで作り、現在でもパイやシチューに使われています。

イギリスのキノコから作ったケチャップ

イギリスのキノコから作ったケチャップ

この中国、マレーから伝わってイギリスで独自に作られたケチャップはイギリス人を魅了し、ハリスン夫人の書いた『ハウスキーパーのポケットブック』という人気の高い料理書に、主婦は「このソースを決して切らしてはなりません」と書かれています。

チャールズ・ディケンズ

チャールズ・ディケンズ

ヴィクトリア朝時代のイギリスを代表する『オリバー・ツイスト』などの著書を残した作家チャールズ・ディケンズ(1812~1870年)は『バーナビー・ラッジ』の中で「たっぷりケチャップをかけたラムチョップ」に舌鼓をうち、パイロン卿は彼の詩『ペッポー』の中でケチャップを称えています。

このケチャップにトマトに入ったのは1790年ごろ、アメリカのニューイングランド地方で生まれたとされます。

トマトは今のメキシコに繁栄していたアステカ帝国で食用に品種改良し、栽培されており。そのアステカを征服したスペインのエルナン・コルテスが1519年に種を持ち帰ったのですが、毒草のベラドンナに似ているのと、赤い実だけでなく毒のある葉も間違って食べていたから長い間毒とされ、日本でも江戸時代に長崎から伝わり、貝原益軒の『大和本草』にもトマトについて書かれていたのですが。ここでも偏見があり、日本でも食用になるのは明治を待たなければなりませんでした。

トーマス・ジェファーソン

トーマス・ジェファーソン

こういったトマトの偏見を覆したのがアメリカ建国の父の一人トーマス・ジェファーソン(1743~1826年)でして、アメリカで最初にトマトを栽培し、赤い実だけ食べれば毒は無く、すぐれた食べ物である事を知らせました。

アメリカにパリ仕込みのフライドポテトを持ち込んだりとアメリカの食生活にも影響与えたジェファーソンのトマトとそのケチャップはすぐさま広まり、1792年にリチャード・ブリッグが書いた『新しい料理法』にトマトケチャップの料理法が書かれ、1850年代にもなると、どこの家庭にでも見かけられるようになります。

この頃人気のあった料理書、イザベラ・ビートン著『家政学の書』は、「トマトケチャップ・ソースは経験を積んだ料理人にはもっとも利用価値の高いソースの一つです。作る手間を省いてはなりません」と主婦たちにアドバイスしています。

しかし、家庭ではトマトを湯剝きして、裏ごししたものを絶えずかき回して作るトマトケチャップは大変な手間であり、1876年にドイツ系アメリカ人の料理人兼ビジネスマンのヘンリー・ハインツが世界で初めて瓶詰めケチャップを最初に大量生産されたとき、アメリカの主婦達がしきりに買い求めたのも当然のことでした。

ハインツ社のトマトケチャップ

ハインツ社のトマトケチャップ

ハインツ社を作ってトマトケチャップの瓶詰めを量産したヘンリー・ハインツは「お母さんがたと家庭を預かる女性に福音!」とレッテルに書いて売れたケチャップは、瓶の形は底が広くて首が細いデザインと中身のケチャップの製法が百年以上の間、ほとんど変わっていません。

アメリカから飛んで日本に向かいますと、カゴメのトマトケチャップが圧倒的なシェアを得ていますが、これは明治になってから西洋野菜としてカゴメの創業者、蟹江一太郎が1899年にトマトを栽培し、数年後豊作で余ったトマトを保存食にするべく、西洋のケチャップの製法には必要なオールスパイス(ピメント)、シナモン、グローブなどのスパイスの調達が難しく、代用で漢方薬を使ったりと試行錯誤を繰り返し。1904年に生産を開始し、今に至ります。

カゴメが国産ケチャップを開発、販売していなければ。チキンライス、オムライス、ナポリタンは生まれていなかったかも知れません。

今日はケチャップでタマネギとピーマンを炒め、ナポリタンを作りたくなってきました。

皆さんもケチャップがあったら何かに使ってみませんでしょうか?フライドポテトにケチャップも美味しいですよね。

それではケチャップをふんだんに使ったナポリタンを食べますので。今日のコラムはこれで終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

参考文献
チャールズ・パナティ 著 バベル・インターナショナル訳 『はじまりコレクションⅠ』
高平鳴海 著 『図解 食の歴史』(「ガルム」の製法のみ参考)

参考サイト
カゴメ公式サイト 「カゴメの歴史」 http://www.kagome.co.jp/company/about/history/
ウィキペディア

食の文化史その1~フレンチポテトとコーラとアメリカ~

18 6月

こんにちは。皆さんの暇つぶし用に長めのコラムを書いて見ました。
携帯やスマホで見ている人もいるだろうと考え、あえて画像は入れてません。

フレンチポテトが広まった歴史は比較的新しく。1914年から1918年まで起こっていた第1次世界大戦にて、ヨーロッパに派遣されたアメリカ兵がベル ギー人からフライドポテトをお裾分けしてもらったのですが。ベルギー人がフランス語を話すので、フランスのポテトだと思い込み、そこから「フレンチポテ ト」という名前になったようです。

そのベルギーではフライドポテトの歴史がある程度あり。昔、ベルギーの漁村では川で取れた小さな魚を揚げて食べていた。しかし、冬になると川が凍って魚が取れないので代わりにポテトを揚げてみたのが始まりらしいです。

ヨーロッパで本格的にジャガイモが食用になったのはフランス革命が起こった時、パンが不足していたので革命政府が代用として家畜の飼料にしか使われていな かったジャガイモを配給したのが始まりだと言われるので。ベルギーでもジャガイモが食べられたのは。おそらく、フランス革命が起こった1789年以降かも 知れません。

ベルギーでは現在、フライドポテトをフリッツと呼んでおり。これが主食となっているほどです。
フリッツにつけるソースも独特で「サムライソース」というマヨネーズにハリッサという唐辛子とニンニクとその他香辛料を加えた調味料とレモンで味付けしたものをつけて食べるのが一般的らしいです。

フライドポテト先進国であり、偶然にも「フレンチポテト」名付け親となったベルギーからアメリカに渡ったフレンチポテトがアメリカで普及するには時間がかかっており。
ジャガイモ王、フライドポテトの王とも言われる。ジョン・リチャード・シンプロットというアメリカの田舎はアイダホで戦前は農場を営んでいた男が第2次世界大戦後に所有するジャガイモの大農場と巨大な加工工場を使って1950年代に売り込みます。

1950年代に売れるまでの間、シンプロットは第2次世界大戦中に乾燥ジャガイモや乾燥タマネギを軍に納入して莫大な儲けを得ては農場と加工工場を拡大していき。冷凍庫が家庭にも普及した1950年代になると冷凍食品に目をつけます。

実は1920年代にクラレンス・バーズアイと言う人が急速冷凍の特許を取り。冷凍食品を売り込んだのですが、当事はスーパーや食料品店にも冷凍庫がなかったので全然売れませんでした。

それから家庭にも冷凍庫が普及した30年後にクラレンス・バーズアイが考案したアイディアにジャガイモ王シンプロットが目をつけました。

1950年代は「食品加工の黄金時代」と言われ。冷凍TVディナー(これは1960年の映画「アパートの鍵貸します」に出てくる都会で一人暮らししている サラリーマンが家に帰るとテレビ見ながらマッチで火をつけたコンロで解凍したTVディナーを食べているシーンが出てきます)に始まり、袋から出てくるポテ トサラダ、冷凍オレンジジュース、スプーンで簡単にすくえるほど柔らかいチーズが詰まったチーズウィズ(アメリカではこれを使ったチーズマカロニがお袋の 味のようです)などなどが最先端の食料品としてもてはやされ。レストランでは誇らしげに缶詰スープを出し、冷凍食品を出すのが売りのレストランもありまし た。

ここでシンプロットは家庭がどんな加工食品を欲しているのかリサーチを開始します。
その結果、アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンが1802年にパリ仕込みの「ポム・フリッド」という正真正銘なフレンチポテトのレシピを持ち込み、 第1次世界大戦後にアメリカで庶民に流行したフレンチポテトを冷凍食品にして売ったら儲かるとのリサーチ結果が出ました。

そして、1965年にマクドナルドがフライドポテトをシンプロットが売り込んだ冷凍ポテトに切り替えてより爆発的に広がって今に至ります。

マクドナルドのフライドポテトの味の秘訣は揚げる油にありました。
それは7%の大豆油と93%牛脂という割合で混ぜた混合油にありました。
しかし、フライドポテトのコルステロールの高さに非難が高まり。1990年に100%植物油へと切り替えます。
この時に使えなくなった牛脂で出していた風味をどうやって出すか考えた結果。
「香料」とも「人工香料」とも言われる添加物を使って風味をつけました。

もし、この「香料」がなかったらファーストフードは存在しなかっただろう。と言われるほど大変重要なものです。

加工食品は洗浄、カット、詰め込み、乾燥、冷凍、貯蔵、輸送などの過程で風味が殆ど失われるため、人工香料で風味をつけざるおえないのです。

スーパーで食品の添加物の表示を注意して見ると、さりげなく「香料」と書かれている割合が高いのに気づく事でしょう。

これらの香料は製法が門外不出で限りられた場所のラボで科学者たちが調合して常に新たな風味をつける香料を開発しています。

匂いは食べ物の味の90%を決めるほど重要な要素で。この香料さえあれば、誰でも美味しい料理を簡単に作れてしまいます。

これまでラボで開発された香料を一部だけ羅列しますと。ポップコーン、ポテトチップ、パン、クラッカー、朝食用シリアル、スポーツドリンク、紅茶、天然オーガニック食品全般、醸造酒、ビールなど。どんな食品の風味も香料で作れてしまいます。

ノンアルコールビールを飲んでもビールの味がするのは香料で人工的に作られたビールの香りのおかげです。

こうした人工、天然を問わず。「心地よい食べ物」の匂いが脳に記憶されると。特定の食べ物を無意識に食べたくなるようなります。こうしてアメリカでは週に4~5回以上マクドナルドなどに通う。業界用語では「ヘビーユーザー」と言われる客層を産み出しました。

そんなヘビーユーザーの一人らしい有名人がいます。元アメリカ大統領のビル・クリントンです。

彼はアレルギーが多く。牛乳やら花粉やら様々なアレルギーがあるので、チーズバーガーは食べないようですが。フライドポテトを食べながらコーラを飲むのが 大好きで。その結果心臓病になり、手術を受けることになって一命を取り留めましたが。それ以来コーラは飲んでもフライドポテトは控えるようになったと言わ れています。

このコーラも中毒者が多く。まだ元気で「バック・トゥー・ザ・ヒューチャー」に出演中だったマイケル・J・フォックスにインタビューしたライターのガモ川口さんが言うには彼がやたらダイエットコーラをがぶがぶ飲む姿が印象的だったと語っています。

他にもエルトン・ジョンは演奏しながらダイエットコーラを飲む姿が有名なほどのコーラ愛好者です。

カロリー0のダイエットコーラは一見、悪くないように見えますが。カロリーを0にするために使う人工甘味料が肝臓やすい臓を悪くするという話もあります。

こうした話の結論か言わせてもらうと、アメリカ人はコーラとフライドポテトの組み合わせで中毒になっている人が多い。

そういった人ほど肥満がひどく、糖尿病や心臓病の割合が高い。

なので、お子様が炭酸飲料全般とポテトチップ、フライドポテトの組み合わせが病みつきにならないよう、食育が必要となりますでしょう。

ここでコラムは終わりですが。いい暇つぶしになったでしょうか?

楽しんでもらえたら幸いです。