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食の歴史その26~ユダヤ教と食のタブー~

8 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いてみました。

図表で説明もするため、今回も画像を載せます。

 

世界には様々な宗教と食のタブーがあります。

世界三大宗教と言われるユダヤ教も例外ではなく、興味深い食のタブーもあったりします。

ユダヤ教で食に関する戒律を「適正な」を意味するカシェールを語源とするコシェルと呼びまして、神によって定められた約束事とされており、『旧約聖書』の「レビ記」第11章の中で次のように述べられています。

「……獣のうち、全てひづめの分かれたもの、すなわち、ひづめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べる事が出来る。ただし、反芻するもの、またはひづめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、ラクダ…岩タヌキ…野ウサギ…これらは反芻するけど、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。豚、これはひづめが分かれており、ひづめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、汚れたものである」

このあと魚、虫、と各カテゴリーごとに目録が続きますが長いので割愛して下に食べてもいいもの、いけないもののリストを出しておきます。

獣についてもう少し述べますと、ひづめがわかれていない馬、肉球とも言う、足の裏のふくらみで歩く猫や狐なども食べてはいけないものとされています。

なぜ神は食肉には食べてよいものといけないものと細かく分類し、どんな基準によって分けたのかをい文化人類学者のマービン・ハリスは次のように説明しています。

食べてよいとされた獣を整理すると、ひづめが分かれていて反芻する哺乳類であり、さらに付け加えれば、乳が搾り取れ、食料が人間と競合しないうえに、おおむね群れをなしているので、家畜にしやすいなどの合理的な理由もあると説明しています。

反芻する哺乳類はすべて草食動物ですが、これらは人間の食用に適さない固い繊維質の植物、たとえば草やワラ、切り株、木の葉などを食べて大きくなります。

飼育のために人間にとって大切な穀物を与える必要がないばかりか、肉やミルク、皮を提供してくれる上に移動や農作業などの労働力としても十分に使えます。

このような特性は食べてよいとされる動物とされるにあたって極めて重要で、肉を得るための家畜化が簡単で、雑食や肉食獣の動物に比べたら元手がほとんど掛からないなどがあって、ひづめが分かれて反芻する動物は食べても良いとされた最大の理由と考えられています。

最初は反芻するかしないかが条件でしたが、ひづめ云々は後付けで加わったとされてあり、その理由としてはラクダを食べてはいけないほうに分類するためだったと考えられています。

定住した農耕民であるユダヤ人は、ラクダをほとんど使わず、その代用として牛や羊を利用してきました。

ラクダはきわめて繁殖が遅く、しかも産むのは一頭で離乳期間も1年近くに及ぶなど、食肉にするには効率が悪いので、反芻以外にも複雑な条件を持ち込んでタブーとしたのは古代ユダヤ人の経験から基づく比較的合理的な理由を神の言葉として『旧約聖書』に書いたのだろうと推測されています。

コシェルは上に出した図表に示したように、哺乳類以外にもおよんでいます。

魚では、ヒレとウロコがあるものと限定され、これによってイカやタコ、カキ、ハマグリなどが禁止されています。この点からボンゴレやグラムチャウダーが好きな自分としては絶対にユダヤ教には改宗できないと思っています。

鳥は羽毛があって空を飛び、かぎ爪がないものが食べても良いとされ、逆にワシ、ハヤブサ、カラスなど20種類が食べるのを禁じられていますが、それらの大半は肉食の猛禽類(もうきんるい)や雑食性であります。

虫の中でイナゴが食べてよいとされたのは、比較的体が大きく、1度に大量に捕まえる事ができるため、効率が極めて良い点を評価されたのでしょう。

しかも、穀物を食い荒らす虫なので、害虫駆除となって一石二鳥でもあります。

また、食材ばかりでなく、調理法殺し方にもややこしい規定があります。

調理法では、魚をのぞく肉類と乳製品を同じ道具で煮炊きしてはならないとされています。

獣とそれが生み出したミルクは親子関係にあると規定され、「子ヤギをその母ヤギの乳で煮てはならない」が拡大解釈されて肉料理にバターを使ったり、クリームソース入りのソースを添えたりも出来ません。

日本の親子丼も拡大解釈されたらご法度になるかも知れません。

そんな戒律のため、イスラエルのマクドナルドでユダヤ教の戒律を守っている店は青い看板で、チーズバーガーを注文しますと、ご丁寧に「チーズをつけますか?」と言われるとの事です。

どうしても肉を食べた後に牛乳が飲みたかったら、牛肉を食べてから6時間待てばよしとされ。

反対に乳製品を食べたら30分間は牛肉を食べてはいけない。

しかも、調理は別々に行うのが原則ですから、チーズ用のまな板と牛肉用のまな板と別々に用意しなければならず、日本人にとってややこしいことこの上ありません。

より熱心なユダヤ教徒になりますと、牛乳と牛肉を同じ冷蔵庫に入れず、食材ごとに使用する調理器具も使い分けています。人によってはミルク入りコーヒーさえ遠ざけているそうです。

他にも観光者の話として、土曜日に煙草を吸ったら何故か怒られまして、それはユダヤ教の休日が土曜日で日曜日は普通に働きに行く日なので、その休日である土曜日は喫煙さえ戒律で禁じられているようです。

以上でコラムは終わりですが、いい暇つぶしになったでしょうか?

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食の歴史その24~イスラム教はなぜ豚肉を禁じるのか?~

6 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

また、説明に地図を使うので。画像を出します。

古来、世界各地でいわれなき偏見やタブーにさらされた肉は少なくありません。

豚肉はそれらの筆頭にあげられ、豚肉を食べる事を禁じるユダヤ教、特に広く分布しているイスラム教での忌み嫌われぶりも半端ではないです。

たとえば厳格なイスラム教徒となりますと、豚肉が鍋や包丁などの調理器具に触れているかも知れない可能性を恐れ、一般のレストランを避けて、わざわざイスラム教徒専用レストランで食事を取るなど徹底しています。

イスラムの戒律が比較的ゆるいインドネシアでも10年ほど前、味の素の製造過程に豚の成分を使用したという事実が発覚して逮捕者が出たりと大騒ぎになった事もあります。

科学的には味の素という製品になった時点で豚の成分は消滅しているのですが、イスラム教では食用禁止にあたるのだそうです。

ではなぜ、そこまで豚を嫌うのか聞くと、豚を嫌う当事者であるユダヤ教徒、イスラム教徒も明快な答えを出せなかったりします。

そういった事情から生理的な嫌悪感や食わず嫌いとも言えるでしょう。

イスラム教の開祖マホメットによる『コーラン第五章の食卓の章には、

「死んだ獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ邪心に捧げられたもの、絞め殺された動物、撃ち殺された動物、また猛獣の食らったもの」

などは食べてはならないとされてあり、第六章の家畜の章にも「死肉、流れ出た血、豚の肉、これらはまったくのけがれもの」などとタブーであることを強調しています。

イスラム教徒が豚肉を嫌う最大の理由は、これらの戒めを遵守しているからにほかならないのです。

ちなみに、イスラム世界で禁じられた肉は「ハラム」と呼ばれ、逆に食用にしていい肉は「ハラール」と言われています。

ユダヤ教の聖典『旧約聖書』の「レビ記」「申命記(しんめいき)」の中でも、全知全能の神ヤハウェ(エホバ)は事細かに食肉のタブーを命じています。

数ある動物のなかでも、

「ひづめが分かれたもの、ひづめが二つにきれたもの、反芻(はんすう)するもの」

という条件をクリアしないといけませんが、豚は反芻しないという理由で、けがれた獣としてタブーにされてしまいました。

ユダヤ教を母体とするイスラム教は『旧約聖書』の教えの一部を受け継いでいるものなので、タブーとした根源が『旧約聖書』が由来とみても差し支えないと言われています。

このような背景から、豚を禁じるのは宗教に根ざしたものと思われるが、ではなにゆえにヤハウェやマホメットが豚を禁じてしまったのだろうかと言いますと。

豚は人糞も含むあらゆるものをむさぼり食う大食漢で、鈍重なうえに、発情期が21日周期で年中繰り返すといった性欲のを持つ習性が、不潔で汚らわしいというイメージをかきたてられ、ブクブクと醜く肥え太り、どうひいきめに見てもスマートさとは程遠い。

「この豚野郎!」

という感じの、ののしりの言葉が世界共通の代名詞にもなっているほどなので、比較的に禁欲主義的なユダヤ教やイスラム教とは相容れない家畜と、そうそうに決められてしまったのかも知れません。

事実、現在のイスラム法学者たちの多くは、

「アッラーが豚肉を禁じた第一の理由はそのいやしい習性と食べ物がきわめて不潔である豚の生態そのものにある」

と解釈する傾向が強いそうです。

しかし、豚は清潔好きな動物で知られており、悪しき本章とみられるのは飼育する側に問題があるためです。糞を食べるという理由にしても好んで食べるわけではないし、場合によってはニワトリ、ヤギ、ウサギ、イヌも糞を食べる習性があったりしますので、根拠が弱かったりします。

いっぽう、牛やヤギはミルクをはじめとする乳製品を、羊は羊毛を、ニワトリは卵をといったように、肉だけにとどまらず、様々な副産物を提供してくれる家畜ですが、豚は労働力にもならなければ、毛も繊維には向かない。

結局、豚は肉以外に利用価値がないから差別の対象になったのだろうとする意見もあります。

これらの動物の習性論に取って代わったのが、食衛生と生態環境の両面から解釈しようとする試みでして、要約しますと。

第1に、中東のような暑くて乾燥した地域では、豚肉は腐りやすく、これを食べると食中毒にかかりやすい。

第2点は、不潔な食べ物を摂取する豚は病気に感染している危険性が高い。

第3には、絶えず移動を強いられる遊牧中心の中東では、定住性の家畜である豚は生態環境に適さない、

などといったものです。

これらの点を案じた古代の人たちは、生活を合理的に営む知恵として、神の啓示という建前を駆りながら豚肉を食べる事をタブーにしたと考えられております。

豚の祖先は適度な湿度と大量の水に恵まれた河岸を住みかととしてきたと言われています。

このため、豚の体温調節システムは高温で乾燥した場所で生息には適していない事だけは確かです。

そもそも、汗を出す汗腺をほとんど持っていないため、自ら体温を調節することが出来ない。

豚が泥の中を転げまわっている光景も汗を流す事ができない豚の体温冷却のための生理的な動作だったりします。

したがって、中東で養豚業を営もうとすると、風通しの良い場所を選び、直射日光をさえぎるための日陰や水を蓄えた土地を人工的に作る必要があり、飼育してもコストが大変悪い。

飼育するコストが大変悪いのは中東に限った話ではなく、乾燥地帯の遊牧民全てに当てはまる法則だとも言われています。

だが、3000年ほど前まで古代の中東では豚を抵抗無く食べていたことは、各地の遺跡による大量の骨の発掘で証明されていますので、環境条件だけを、タブーにされ続けてきた根拠とするには、根拠が弱かったりします。

諸説入り乱れる中で、最近では古代ユダヤ人による善悪二元論的な世界観に基づいた「肉食可否の分類法」が有力説として浮上してきています。

これは自分達の食体験にのっとって、食べていいもの悪いものを振り分けておけば食生活の安全上の目安になるうえ、肉を得るための家畜化する判断基準にもなりうると考えた一種の○×法です。

この法則によって、草食動物はOKだが肉食動物は駄目という単純な図式が定着したのですが、雑食性とあいまいな動物、とりわけ豚は○か×か判断に迷う正体不明な動物と見られたのでは?と言われています。

一方、乾燥地帯の中東には不向きでコストが高い豚の飼育は中東では重要な農牧とは言えず、タブーになったからといって経済面でもそれほどマイナス要因にならなかっただろうと推測されています。

コラムは以上ですが、いかがでしたでしょうか?

次はヒンズー教やユダヤ教の食のタブーについてもとりあげてみようと思います。