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番外編その2 古代ローマのオシャレ~髪型について~

20 9月

こんばんは。今日は古代ローマのオシャレの一つ、髪型について軽く語ってみようと思います。

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いつの時代も女性が髪型にこだわるのは共通していまして、2000年前の古代ローマでも貴族や金持ちの婦人は炭火で熱した焼きごてでカールさせ、ボリュームのある髪型が流行っていました。

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初代ローマ皇帝アウグストスの姉オクタウィアは額の上の髪の毛をリーゼントのように纏め、これが「オクタウィア風ヘアスタイル」などと呼ばれていました。

その後、キリスト教を迫害したネロ帝の時代になると三つ編みにした毛で顔を囲む奇抜なヘアスタイルが登場したり、トラヤヌス帝(在位:98~117年)の妻プロティナは髪の毛を逆立てて扇のようなヘアスタイルや王冠のような形に固めた人々もいました。

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このような髪型を作るため、100人以上の女奴隷が女主人一人のために一生懸命働いていたと言われ。相当な労力が必要でした。

古代ローマでは波打つ金髪が最も美しいとされていましたので。ハトの糞、灰汁、ミョウバン、石灰を酢で溶いたもので作った薬剤を髪の毛の脱色に使っていました。

今も昔も脱色の薬剤で髪の毛や頭皮を痛めて頭が薄くなる人がいまして、その場合はゲルマニアという、今のドイツに住んでいた地域の金髪女性の髪の毛で作ったカツラが使われていました。

カツラはたいへん人気があり、インドや中国からも輸入されていましたが、ローマ帝国は高い輸入関税をかけていたため非常に高価でした。

美の追求にお金を惜しまない女性を世の男は風刺してからかい、詩人のオウィディウスは「ローマ女性のヘアスタイルはミツバチの数より多い」と評し。

風刺詩人のマルティリアスは「お前の全身は嘘だらけ」と揶揄していました。

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骨格までいじって整形する現代の美容を見たら「お前の全身は嘘だらけ」などと述べた。古代ローマの詩人たちは、どう風刺したものでしょう?

次は古代ローマのお化粧について語ろうと思います。お時間があったら読んでやってくださいませ。

以上ですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?最後まで読んでくださった皆さん有難うございます。

・参考文献

金森誠也 監修 『一日古代ローマ人』

原始人も使っていた爪楊枝

16 9月

こんにちは。また久しぶりに記事を書いてみます。

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ニュートンのバックナンバーを読みましたら約180年前の原人、ホモ・ハビリスの化石には歯の間に挟まった食べ物を取るためにようじを使った痕跡があると書かれていました。

さらに時代が新しくなり、30万年前に現れたネアンデルタール人にもようじは広くを使われていましたが、歯に挟まったものを取り除くだけではく、別の使い方もあったと言われています。

スペイン、カタロニアIPHES研究所のロザノ博士らはスペインで見つかった8万~3万5000年前の洞窟で見つかったネアンデルタール人の歯を分析した結果、歯に挟まったものを取り除くだけでなく、歯の根元にようじをつかった痕跡が見つかりました。

何故、歯の根元にようじを使うのかというと。歯周病によって生じる歯茎の痛みをやわらげるために歯茎の周辺にようじを当てていたと言われています。

ウィキペディアではインド発祥のものが、中国で虫歯の痛みを和らげるために柳の枝を使ったと書かれていますが。数万年前のネアンデルタール人は既にある種の植物に鎮痛作用あることを知っており、植物からできたようじを使って初歩的な歯科治療をほどこした可能性がある、と博士らは述べています。

その後、爪楊枝は砂糖が広く普及する事によって世界的に使われることになりますが。詳しくは過去に書いた記事のページをご参照下さい。

食の歴史その40~砂糖と爪楊枝~

爪楊枝を使う右端の女性

爪楊枝を使う右端の女性

では、自分も割りばしに付属した爪楊枝で歯の掃除をしようと思います。

最後まで読んでくださって有難うございました。

お知らせ~過去の記事を加筆修正しました。

13 11月

こんばんは。以前に書いた記事に画像を加えてビジュアルで分かりやすくしたり、新たに加筆修正しました。

加筆修正した記事のタイトルとイメージ画像の一覧を下に出します。タイトルをクリックしますと、その記事のURLに移動できます。

世界の食文化その3~イスラム教の食事マナー


食の歴史その36~トマトがなかった昔のケチャップ

世界の食文化その1~世界の4割は直接手で食べている~

食の歴史その18~最初は下品だったフランス料理~

食の歴史その17~パスタのルーツは中国か?~


食の歴史その16~フレンチポテトからポテトチップに至るまで~

食の文化史その2~茶と紅茶とコーヒーの歴史~

以上となります。

また加筆修正したらブログの新着記事にてお知らせします。

世界の食文化その2~箸を使う国々のユニークな食作法~

5 8月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回も画像をつけて説明していきたいと思います。

古来、朝鮮半島では、中国から伝わった儒教の考えが深く根付いていて、なかでも最も重視されているのが「長幼有序(チャンスユソ)」、つまり年下は目上の人を敬わなければならないという年功序列の考え方が徹底し。それは食事作法の中にも連綿と受け継がれています。

たとえば、食事はその家の最年長者が箸(はし)をつけてからはじめるのがマナーである、たとえ客人であろうと年長者が一口食べて「どうぞ」とすすめるまではお預けとなります。

また、目上の人の食事が終わっていなければ、勝手に食事の席を立つことは許されないし、客人より先に食事を終えてしまうのもマナーに反します。

酒は左手を右ひじにかけ、右手で注ぐのが一般的ですが、ここでも目上の人にすすめられた場合のみ頂くのが礼儀と、食作法はけっこう細かくてうるさいものとなっています。

しかし、最近では日本と同じように洋風の生活様式の定着や核家族化現象などによって、年長を敬う習慣も薄れてきたと嘆く声もしばしばあります。

伝統的な食事作法では、おのおのが自分の膳を持って静かに食べるのが礼儀にかなった習わしとされてきましたが、これも最近では大きな卓を囲んでワイワイ話しながら食事する事が一般化していると言われています。

一方、中国では客が最後に一口残すのが招かれた側のマナーとされ。

これは、「十分満足しました。ありあまるほどたくさんの料理をありがとう」という意味があります。

ところが食器が大振りな上に食卓に食べきれないくらいの量の料理を並べる朝鮮半島のもてなし方には「お代わり」という言葉はとくにありません。

椀のたぐいの食器は原則として金属製で大きくて重いため、日本のように手で持ち上げるようなことは絶対にしないし、そうすること自体が極めて行儀の悪い事と考えられています。

朝鮮半島の食卓には、「スッカラク」という柄の長いサジと「チョッカラク」という金属製の箸が必ずセットで並ばれます。

汁物とご飯はサジですくって食べ、箸はキムチなどのおかずをつまむときにだけ使用します。

これは中国で2000年ほど前にあった漢王朝時代の食事作法である「匙主箸従(しちょうちょじゅう)」がいまも朝鮮半島における基本的な食事作法となっているものです。

また、酒や飲み物以外で食器類にじかに口を付けることも、すこぶるはしたないマナー違反で、箸とサジを一緒につかむことも礼に反する行為だとされます。

サジは食事を続けているときは食器にかけておき、これを離して食卓に置くと食事が終了した事を意味します。

日中戦争当事に中国側がスパイの素性を調べる際、箸とサジで食事させたという逸話がどこまで本当の話かはさておき、有名な話だったりします。

具体的にどう見分けるかといいますと。サジを使わず食器を手に持って箸で飯をかきこみ、食穂は端を食器の上にのせるのが日本人、逆に食器を卓に置いたまま箸とサジを使い分けながら食事をとり、食後は卓の上に箸とサジをじかに置くのが朝鮮人と見分けたという話です。

なお、汁物は箸のほうが食べやすいのではと日本人なら思われるようですが、朝鮮半島の汁椀には具が沢山入っており、汁と具をともにすくいながら、すすり味わうにはサジのほうが扱いやすく。

また、箸で食べると汁と一緒に幸運も逃げてしまうといって縁起の悪いこととされています。

汁物の中に飯を入れるカルビタン

汁物の中に飯を入れるカルビタン

朝鮮半島ではカルビタンなどの汁物のなかに飯を入れるぶっかけ飯があります。

これは日本では「猫まんま」といって不作法とされる食べ方の一つですが、朝鮮半島では中国の影響によるもので一向にかまわないようです。

ただ、例えば日本の牛丼のように飯に汁をかけるのと逆に、通常は汁の入った器に飯を入れます。

 

スーパーカップ もやしみそラーメン

スーパーカップ もやしみそラーメン

話が逸れますが、北朝鮮で金正日の料理人をやっていた藤本健二がテレビで語っていた話によりますと、北朝鮮ではスーパーカップのカップラーメンが兵士に褒美として与えられ、兵士は麺を食べた後のスープにご飯を入れて食べたとありますが、これも朝鮮半島の伝統的な食べ方に沿ったものなのかも知れません。

韓国風混ぜご飯ビビンパブ

韓国風混ぜご飯ビビンパブ

一方、韓国風まぜご飯のビビンパブに代表されるような丼ものは、とにかく上から下まで徹底的にかき混ぜて、その結果、料理の素材がなんであったか分からなくなってしまう事が多いです。

日本では卵かけご飯や納豆はともかく、このように料理をかき混ぜるやり方は行儀がよくないと考えられていますが、朝鮮半島ではまったく問題ありません。

かえって徹底的にかき混ぜる事によって、独自の風味や香りが増すと受け止められています。

このほかでは、床暖房施設のオンドル式部屋で食事をとるため、客人の前で片ひざ立ててたり、あぐらをかいて食べても無礼になりません。

というよりもこれこそが、朝鮮半島における「正座」にあたります。ひざを折って座る日本式の正座は、恭順(きょうじゅん)の意を表すときの座り方で、上司や年長者など目上の人の前に出た時のみ行う座り方です。

しかし、それも「楽にしなさい」の一言ですぐにあぐらをかくのが普通となっています。

また、最近では洋風のテーブルに座る事が多く、若い人の間では少なくなってきているとはいえ、女性は片ひざ立ちして食事を取るのが正式な礼儀作法とされています。

朝鮮半島の挨拶としては「アンニョンハシムニカ(安寧でいらっしゃいますかの意)」が有名ですが、これは1960年代に一般化したあらたまった用語で、長い間「食事は済みましたか?」が挨拶言葉でありました。

これは食事をわかちあう仲間意識と、食に対するこまやかな価値観が生んだ言葉といってよいでしょう。

様々な食事作法の違いの背景には、多種多様な料理の存在、ひいては料理を盛る食器の素材の違いも影響しているかも知れません。
下にある素材別の分布図は1400年代末期のものですが、おおむね地図のようになっています。

 

食器の素材(1400年代末期)

食器の素材(1400年代末期)

以上でコラムは終了ですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その36~トマトがなかった昔のケチャップ

2 8月

こんにちは、今日も暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

ビジュアルで分かりやすくするため、画像を沢山使ってみました。

今、ケチャップと言いますと完熟トマトを加熱してから湯剝きで皮を取り、裏ごししてから低温で煮詰めてトマトピューレを作り。砂糖、塩、酢、オールスパイス(ピメント)、シナモン、グローブを加え、タマネギ、セロリなどの野菜も加えて作られます。

ケチャップ状の調味料には歴史があり、古代ローマ時代からあるケチャップは広く「ガルム」という名で知られ、リクアメンと呼ばれていました。

ローマでのガルムの製法

ローマでのガルムの製法

ガルム、またはルリクアメンは世界で最も古い調味料の一つで。酢、オイル、コショウ、干したアンチョビをドロドロにしてから潰して裏ごしにして調味したソースでした。

古代ローマで作られたトマトのないケチャップは鶏肉や魚に良く合うソースとして重宝され、ケチャップ工場で有名な町もありました。

2000年ほど前に火山灰に埋もれたポンペイの遺跡には「最高に滑らかなリクアメン。ウンブリクス・アガトホプス工場製」と書かれた世界で最も古いケチャップの瓶が発掘されています。

しかし、これは現在のケチャップの直接の先祖ではなく。1690年代に中国でやはり鶏肉と魚用のソースとして魚の酢漬け、貝、スパイスを塩水で漬け込んだものがマレーシアやその周辺にも伝わり、ここで「ケチャップ」という言葉が初めて出てきます。

このケチャップを1700年代にイギリス人がマレーシアやシンガポールの原住民が食べているのを見つけ、故郷のイギリスに持ち帰り、イギリスでもその味を懐かしんで料理人に作らせたのですがアジアのスパイスが手に入らなかったので、代用として魚介類ではカキ、アンチョビ、ロブスターを使い、他にはマッシュルーム、インゲンマメ、クルミ、キュウリ、クランベリー、レモン、ブドウなどで作り、現在でもパイやシチューに使われています。

イギリスのキノコから作ったケチャップ

イギリスのキノコから作ったケチャップ

この中国、マレーから伝わってイギリスで独自に作られたケチャップはイギリス人を魅了し、ハリスン夫人の書いた『ハウスキーパーのポケットブック』という人気の高い料理書に、主婦は「このソースを決して切らしてはなりません」と書かれています。

チャールズ・ディケンズ

チャールズ・ディケンズ

ヴィクトリア朝時代のイギリスを代表する『オリバー・ツイスト』などの著書を残した作家チャールズ・ディケンズ(1812~1870年)は『バーナビー・ラッジ』の中で「たっぷりケチャップをかけたラムチョップ」に舌鼓をうち、パイロン卿は彼の詩『ペッポー』の中でケチャップを称えています。

このケチャップにトマトに入ったのは1790年ごろ、アメリカのニューイングランド地方で生まれたとされます。

トマトは今のメキシコに繁栄していたアステカ帝国で食用に品種改良し、栽培されており。そのアステカを征服したスペインのエルナン・コルテスが1519年に種を持ち帰ったのですが、毒草のベラドンナに似ているのと、赤い実だけでなく毒のある葉も間違って食べていたから長い間毒とされ、日本でも江戸時代に長崎から伝わり、貝原益軒の『大和本草』にもトマトについて書かれていたのですが。ここでも偏見があり、日本でも食用になるのは明治を待たなければなりませんでした。

トーマス・ジェファーソン

トーマス・ジェファーソン

こういったトマトの偏見を覆したのがアメリカ建国の父の一人トーマス・ジェファーソン(1743~1826年)でして、アメリカで最初にトマトを栽培し、赤い実だけ食べれば毒は無く、すぐれた食べ物である事を知らせました。

アメリカにパリ仕込みのフライドポテトを持ち込んだりとアメリカの食生活にも影響与えたジェファーソンのトマトとそのケチャップはすぐさま広まり、1792年にリチャード・ブリッグが書いた『新しい料理法』にトマトケチャップの料理法が書かれ、1850年代にもなると、どこの家庭にでも見かけられるようになります。

この頃人気のあった料理書、イザベラ・ビートン著『家政学の書』は、「トマトケチャップ・ソースは経験を積んだ料理人にはもっとも利用価値の高いソースの一つです。作る手間を省いてはなりません」と主婦たちにアドバイスしています。

しかし、家庭ではトマトを湯剝きして、裏ごししたものを絶えずかき回して作るトマトケチャップは大変な手間であり、1876年にドイツ系アメリカ人の料理人兼ビジネスマンのヘンリー・ハインツが世界で初めて瓶詰めケチャップを最初に大量生産されたとき、アメリカの主婦達がしきりに買い求めたのも当然のことでした。

ハインツ社のトマトケチャップ

ハインツ社のトマトケチャップ

ハインツ社を作ってトマトケチャップの瓶詰めを量産したヘンリー・ハインツは「お母さんがたと家庭を預かる女性に福音!」とレッテルに書いて売れたケチャップは、瓶の形は底が広くて首が細いデザインと中身のケチャップの製法が百年以上の間、ほとんど変わっていません。

アメリカから飛んで日本に向かいますと、カゴメのトマトケチャップが圧倒的なシェアを得ていますが、これは明治になってから西洋野菜としてカゴメの創業者、蟹江一太郎が1899年にトマトを栽培し、数年後豊作で余ったトマトを保存食にするべく、西洋のケチャップの製法には必要なオールスパイス(ピメント)、シナモン、グローブなどのスパイスの調達が難しく、代用で漢方薬を使ったりと試行錯誤を繰り返し。1904年に生産を開始し、今に至ります。

カゴメが国産ケチャップを開発、販売していなければ。チキンライス、オムライス、ナポリタンは生まれていなかったかも知れません。

今日はケチャップでタマネギとピーマンを炒め、ナポリタンを作りたくなってきました。

皆さんもケチャップがあったら何かに使ってみませんでしょうか?フライドポテトにケチャップも美味しいですよね。

それではケチャップをふんだんに使ったナポリタンを食べますので。今日のコラムはこれで終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その34~箸の文化と作法~

27 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

日本における食生活の基本はお箸です。最近は正しく使う人が少なくなった、という声をご老人から、しばしば聞くのも、箸は物を食べる単なる道具ではなく、民族がはぐくんできた文化という思いがあるのだと考えられます。

その背景には箸を使う食べ方が、手で食べる方法を別にすれば最も古い食器を使った作法なのだという事もあります。

箸のルーツは中国でして、およそ3400年前の殷王朝の都から、多くの出土品の中に世界最古の青銅で出来た箸が発掘されていますが、それは日常の食生活に使用したものではなく、祖先に供え物をするための儀式的な道具だったと推測されています。

箸が生まれた背景には、衛生面や熱い料理を取りづらいという問題がありました。

他にも、来客や目上の人とともに食事をする際、手掴みだと飯を丸めてしまい、どうしても多めに取ってしまう傾向があり、すると食をめぐる醜い争いという印象を与えるために、1度に多く取れない食器が必要であった、という内容が孔子の教えを伝える儒教の経典『礼記』に書かれています。

いかにも礼儀を重んじる儒教の国らしい発想です。

ともあれ箸は、長い間王侯貴族の宴席に限って使われていましたが、ようやく大衆のものとなったのは2100年ほど前の漢王朝の時代となります。

先の『礼記』には「おかずは箸、飯はサジを使うこと。具の無い吸い物も箸を使わない」と当事の箸使いのマナーが説明されています。

つまり、箸はサジの添え物的な存在で、漢王朝の時代から700年ほど経った唐王朝の時代でもサジと箸の半々で使われていました。

箸が必須の食器となるのは、麺類が庶民の食べ物として人気を呼ぶようになった1000年ほど前の宋王朝の時代以降となります。

説明するまでもありませんが、麺類を食べるときはサジより箸の方がもっと扱いやすく。この風潮が箸文化を大きく後押しし、更には中国の歴史で初めて中国南部を拠点にして、およそ700年前に天下統一した明王朝の時代になりますと、中国南部に流れる長江周辺の粘り気のある米飯は箸にもってこいの食器で、ここにきて箸が主役になっていきます。

わが国の箸文化の始まりについては諸説ありますが、一般には西暦607年に小野妹子(おののいもこ)が隋から持ち帰ったとされ、聖徳太子が朝廷の儀式に初めて採用したと伝えられています。

それ以前は手掴みだったのは言うまでもありません。

箸文化は世界的に見ると、東アジアとベトナムに見られる局地的な食事の作法です。

しかし、同じ箸文化でも色々と違いがあります。

たとえば、中国や朝鮮半島の端は長くてずんどう形でで、先は丸くて尖っていないのが特徴で、日本人には少々扱いづらいものとなっています。

材質も中国は竹か象牙で出来た箸で、朝鮮半島は基本的に金属製の箸です。

先端が丸いのは、凶器として使わせないための配慮だったと言われています。

大皿などに盛られている料理を自分の箸で取る「直(じか)ばし」は、日本ではすき焼きなどの一部を除くと不作法とされているが、中国・朝鮮ではすべて直ばしで逆に「取りばし」というものがありません。

これは食器に対する個人所有の概念が無く、家族を単位とする平等性、共有性といった大家族制な考えから生まれたものらしいです。

日本では図のように箸は横向きに並べるのが礼儀ですが、中国・朝鮮では縦に並べるのが常識になっています。

かつては、目上の人より先に食べ終わったときに謙遜の意を表すため、本家の中国でも横向きに置くのが常識でしたが、宋の時代からモンゴル帝国の中国征服によって生まれた元王朝へと支配者が移り変わっていくと同時に箸の置き方も縦向きに変わっていきます。

その最大の原因は北方の騎馬民族をはじめとする異民族の侵入によって、肉食を中心とした食事へと変わっていったことにあります。

肉食中心の食事に使うナイフはうっかりすると怪我をしかねない、そこで自然とナイフの先を反対側に向けるように縦に置いたマナーがやがて作法として定着してしまったと思われます。

箸の先が丸いのも同じ理由だとされています。

これらは、西洋のフォークやナイフを使う食事マナーと共通する点でもあります。

さらに付け加えますと、中国・朝鮮は必ずしも箸が食器の主役ではありません。

中国ではスプーン状もチリレンゲ、朝鮮半島ではサジをあわせて使用し、箸はおかずをつかむ補助的な食器です。

ですので、箸だけで事足りる日本こそ純粋な箸文化の国と言えるかも知れません。

その日本の伝統的な和食は箸にはじまって箸に終わるといわれるほどです。

日本人の箸に対するマナーは、箸文化圏の中でもっともうるさい国だと思われます。

たとえば、箸袋ひとつ挙げても、まず右手で取り上げ、左手を添えつつ右手で袋から引き出して箸置きに置きます。

その後も箸を取ったり置いたりするたびに、必ず左手を添えるのが基本といったように、正式には細かな作法があります。

現在は多くの人がこのような細かな作法にとらわれていませんが、それでもこれほど箸の扱いにうるさい国は、中国・朝鮮でさえ見られません。

日本人の箸のこだわりは、直ばし、取りばしの区別は言うに及ばず、利休箸、元禄箸、柳箸、天削(てんそげ)箸など形状によるもの、菜(さい)箸、割り箸、塗り箸など用途によるもの、さらに男女別箸、子供用箸といった区別があったりと、実に多種多様にわたっていることからも理解できます。

また、箸への作法はその持ち方にまで及びまして。「箸の上げ下げまで・・・・・・・」という慣用句があるほどですので、当然作法に反した「べからず」スタイルが生まれました。

器の中の料理を箸で探りを入れる「さぐり箸」、料理にあれこれ端を向ける「迷い箸」、椀の上に箸をかけ渡す「渡し箸」などですが、中国や朝鮮でも「渡し箸」は行儀が悪いとされています。

以上でコラムは終わりですが、皆様いい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その17~パスタのルーツは中国か?~

23 6月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いて見ました。

今日のコラムはいくつか画像を載せています。

よく「中国4000年の歴史」なんてフレーズがありましたが。

歴史をかじってますと。殷(いん)が3600年以上昔にあったかな?という段階で4000年も歴史があるのか疑問が沢山あるのですが。数年前に中国で麺の化石が出てきました。

4000年前の麺の化石

4000年前の麺の化石

写真を見ると現在の麺と変わりない形をしております。

およそ1800年前の後漢という中国の王朝の時代に書かれた語学書「釈名(しゃくみょう)」に麺の記録が現れ。1500年ほど前に書かれた「斉民要術(せいみんようじゅつ)」という世界的に初めて書かれた農業に関する学術書には農業だけでなく、調味料や麺の製法まで書かれています。

現在の湯餅のひとつ

現在の湯餅のひとつ

それによると、湯餅(たんぴん)と呼ばれる小麦粉で作った麺を温かいスープで煮込んだものが現在の麺料理の元祖らしいです。

麺の製法の中で最も古いとされるのは、こねた小麦粉を手でひたす延ばす「手述べ麺」でして、日本ではそうめんが代表的です。

この手述べ麺が中国北部では拉麺(ラーミェン)と呼ばれ、後に日本でラーメンと呼ばれるルーツになったとも言われています。

中国では元々「麺(ミェン)」は小麦粉を意味したものでしたが、穀物を粉にしたもの全てを表す言葉になり、現在の中国では麺類を「麺条(ミェンティアオ)」と呼んで使い分けています。

これが1400年前に出来た一度は教科書で習った「遣唐使(けんとうし)」の時代である、唐王朝の時代になりますと、小麦粉を板状に広げて切っていく「切り麺」が普及していきまして。日本でもこの頃、中国からこの切り麺の製法が伝わり、そば切りやうどんなどに発展していきます。

シルクロードを経由してイタリアに伝わったパスタにもフィットチーネ(幅広パスタ)という切り麺がありまして、カルボナーラなどによく合います。

130年の歴史があるイタリアで初めての押出式パスタマシン

130年の歴史があるイタリアで初めての押出式パスタマシン

イタリアのパスタやマカロニなどでよく行われている製法にトコロテン方式のこねた小麦粉を小さな穴から突き出して麺にするもので、アジアでも冷麺やビーフンがこの製法で作られています。

こうして200年ほど前になりますと。麺類はアジア、中近東、イタリアに分布しますが。これらは独自にうまれたのか、アジアから伝わったのか、確認する方法は今のところ無いみたいですが。東南アジアの麺料理は200年ほど前に東南アジアのあちこちに住み着いた華僑(かきょう)と言われる中国人と関係があると言われています。

マルコ・ポーロ

マルコ・ポーロ

一方、イタリアのパスタ、マカロニに関して古くからある論争に「東方見聞録」を1298年ごろに書いたマルコ・ポーロが中国から伝えたという説についての論争がありますが。ヨーロッパの学者達でさえ、このマルコ・ポーロが本当に中国へ行った事があるのか疑念を抱いています。

大英図書館

大英図書館

イギリス国立図書館のフランシス・ウッドは「東方見聞録」では中国に長く滞在した事になっているが。もし、そうだとしたら後に中国へ本当に滞在した人なら必ず珍しがって記録する中国の文化面が致命的に抜けていると指摘しています。

台湾の飲茶(ヤムチャ)

台湾の飲茶(ヤムチャ)

たとえば、コーヒー、紅茶が伝わり。沸騰させた水が飲める事にヨーロッパ人がやっと気づいたのが400年前ですが。それ以上前に中国に行ったのであれば、茶を飲む習慣を書いていなければおかしいと指摘していますし。中国で長期間滞在したら、お茶を飲みながら点心を食べる飲茶(ヤムチャ)も見たはずです。

その時に食器として箸を使う習慣も、今から300年ほど前にベルサイユ宮殿に君臨していたルイ14世がフォークやスプーンを使わずに手づかみだった事を考えれば、物珍しいものとして書いていなければおかしいと指摘。

万里の長城

万里の長城

他にもアルファベットや中東の文字と全く違う文字である漢字の存在や木版画、女性が行う纏足(てんそく)、観光客を圧倒させる万里の長城などを書いていない事を挙げ。マルコ・ポーロは家族が貿易やっていたので、ヨーロッパにいながら中国の産物を運んでくるペルシャやアラビアの商人から情報を仕入れて、さも中国に行ったように書いたのではなかろうか?と言われています。

そして、マルコ・ポーロが帰国したのが1295年とされていますが。それより前の1279年の記録にマカロニと書かれたものが出てきています。

ジョヴァンニ・ボッカッチョ

ジョヴァンニ・ボッカッチョ

それから数十年経ってイタリアの詩人である作家であるジョヴァンニ・ボッカチオが書いた10日間を意味するタイトルの「デカメロン」が出版された1353年には、パスタやマカロニがもうしっかりイタリアの定番料理になっていたようです。

「デカメロン」の中には2種類のパスタが書かれており、上にかけるソースやチーズについても書かれています。一部を抜粋しますと、

「イタリアのベンゴディ地方にはブドウのつるをソーセージで結ぶ。そこにはおろしたチーズの山があって、その上で一日中男達は、スパゲッティとラビオリを作っては、チキンのソースをかけて食べる」

とあります。

さて、フォークは1700年代頃まで普及していなかったので、どうやって食べたかと言いますと。

下の図のように長い間手づかみで食べていました。

フォークが普及する300年以上昔のパスタの食事風景

手づかみでパスタを食べる300年以上前の人たち

こんな食べ方を長い事していたものですから、中国のように温かいスープに入れて箸で食べるのではなく、手掴みが前提でバターやチーズをまぶして食べるタイプになったのも当然の成り行きなのでしょう。

パスタを手掴みで食べる光景を写した20世紀初頭の絵葉書用写真

パスタを手掴みで食べる光景を写した20世紀初頭の絵葉書用写真

このような手掴みで食べる伝統イタリアでは20世紀初期までありまして。絵葉書の写真にもされています。

イタリア南部を支配したシチリア王国

イタリア南部を支配したシチリア王国

パスタにはもっと古い記録もありまして、1140年代にイタリア南部を支配していたシチリア王国のロジェル2世に仕えた北アフリカはモロッコ出身の地理学者アリ・イドリーシが書いた「ロジェルの書」によりますと、イタリア半島の南にあるシチリア島の北西部にあるトラビアの町にはパスタの一種イットリーヤが作られ、各地に積み出されている事が記録されています。

中世のアラブ人が書いた本によると、イットリーヤはキシメンに似た手打ちの乾麺だったと記録され、

イスラム圏の麺類リシュタ

イスラム圏の麺類リシュタ

1000年前のペルシャで活躍した哲学者イブン・シーナもイットリーヤはペルシャ語で「糸」を意味するリシュタと同じ食べ物であると記録しています。

イブン・シーナはペルシャからはるか北の中央アジアからやってきたイスラム教徒である事などから、麺を食べる文化が東から中央アジア、中東、北アフリカとはるか昔に広まっていたようです。

こうして東からイタリアへ伝わったであろうイットリーヤなどは大量生産される事なく、今ほどありふれた食べ物ではありませんでした。

大量生産されたのは1800年代にナポリで木製のねじ式の押し出し機を使って細長いパスタが大量に出来上がっては天日干しにされ、手で練っていた生地も1830年代に発明された機械で練られ、イタリア中に広く普及しました。

そして、イタリア系移民がアメリカに大勢住みつき、1920年代になりますと。ニューヨークはマンハッタンのプラザホテルでコックをしていたヘクター・ボイアーディがアメリカ人にもっとイタリア料理を知ってもらいたい思いからトマトソース味のパスタを瓶詰めにしてみました。

この便利なパスタの瓶詰めがA&Pフードの重役ジョン・ハートフォードの目に止まり。アメリカ中の食品店にソースで味付けされたパスタの瓶詰めや缶詰が置かれれるようになり、1940年代に今も量だけは多いけど貧相なアメリカ料理に革命がもたされ、イタリア系じゃないアメリカ人にもパスタが普及しました。

今でもトマトソースで味付けされたパスタを詰め込んだ缶詰がケチャップで有名なハインツ社によってイギリスで作って売られているようですが、フォークでクルクル巻こうとする前にブチブチ切れるほど伸びている代物なので、微妙な味ですが。興味ある方は「缶詰パスタ」とgoogleにキーワードを入れて検索しますと実際に缶詰パスタの中身を写した写真や食べた感想などが書かれている記事を読む事ができます。

検索するのが面倒臭い。そんな人のためにパスタの缶詰の画像を2つほど出しておきます。

イギリスのパスタの缶詰

イギリスのパスタの缶詰

パスタの缶詰を皿に移したもの
パスタの缶詰を皿に移したもの

それから第2次世界大戦後、日本にやってきた米軍が接収していた横浜のニューグランドホテルで今のナポリタンの原型が開発され、1950年代半ば以降から学校給食にケチャップとソーセージで作ったナポリタンが出されるようになり、日本人にも馴染み深い麺料理となりました。

ただ、ナポリタンとミートソース以外のパスタは1980年代のイタメシと言われたイタリア料理ブームが来るまで待たなければなりませんでした。

ここでコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

自分はケチャップとソーセージと乾麺のスパゲッティがあるので、ナポリタンを作ってタバスコと粉チーズをかけてこれから昼飯を楽しもうと思います。

では、ご拝読有難うございました。

・参考文献

辻原康夫 著 『世界地図から食の歴史を読む方法』

池上俊一 『世界の食文化15 イタリア』

チャールズ・パナティ 著 バベル・インターナショナル訳

『はじまりコレクション 1』

アレックス・バーザ 著 小林浩子 訳  『嘘の歴史博物館』

ウィキペディア 『ナポリタン』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3#.E5.8D.A0.E9.A0.98.E4.B8.8B.E3.81.AE.E6.97.A5.E6.9C.AC