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食の歴史その30~ジャガイモと大正日本とコロッケ~

16 7月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今日は画像をふんだんに使ってビジュアル的にも理解しやすくなればと願っています。

大正6年(1971年)は、外国では第1次世界大戦がまだ終わらず、ロシア革命など歴史的な出来事が起こっていましたが。日本の帝国劇場や東京の下町、浅草オペラで「コロッケの歌」が上演され、目新しいものが好きな江戸っ子がコロッケに興味を持ち、次第に家庭での手軽なおかずになっていきました。

ホワイトアスパラのクロケット、トリュフマヨネーズと共に

ホワイトアスパラのクロケット、トリュフマヨネーズと共に

このコロッケは元々はフランス料理の付け合せで、正しくは「クロケット」と言いまして。

このクロケットはジャガイモを使わず、肉や海老を主な材料で作り、ホワイトソースで和えてから、形を整え、フライパンで焼いた付け合せ料理でして。日本人のイメージにあるコロッケとは程遠いもののようです。

フランス料理のレシピを見ますと、デザートとしてリンゴを使ったクロケットや作り方を見てるだけでうんざりするほど面倒な手順で作ったりして、とても庶民の料理とは思えない代物だったりします。

日本では明治の文明開化とともにクロケットが入ってきますが、明治5年(1872年)に書かれた『西洋料理指南』では、ジャガイモとひき肉を使って牛脂で揚げるとあるので、今の肉じゃがコロッケに近いものが紹介されています。

明治31年(1898年)には日本橋の浜町にあった吉田という蕎麦屋のメニューに鶏肉たたきを材料にしたコロッケを乗せた「コロッケそば」が出てきます。

東京ではそばに冷たくなったコロッケを乗せて食べるメニューが立ち食いそばに当たり前のようにありますが、考えれば100年以上前からあった伝統的なメニューだったりします。

そして、大正5年には民間の料理書に洋食の雰囲気がある立派なコロッケの作り方が出てきます。

下に作り方を書きますと、

「牛肉のひき肉200g近く、ジャガイモ5個、小麦粉少々、卵1個、パン粉少々、牛脂、ウスターソース、バター少々、塩を用意。

牛肉のひき肉をバターで炒め、塩で味付けし、ジャガイモは皮をむいて茹でてから裏漉し(うらごし)にかけ、牛肉のひき肉と混ぜてちょうどいい大きさに丸め、小麦粉をまぶし、卵をつけ、パン粉をつけて牛脂で揚げ、ウスターソースを添えて出す。」

そうして出来上がったコロッケは下の画像のようになります。既に現在のコロッケと変わりないです。

肉じゃがコロッケ ウスターソース添え

肉じゃがコロッケ ウスターソース添え

こういった西洋の料理を日本風にアレンジしたもののパイオニア(先駆者)は戦前ですと、海軍だったりします。

明治41年(1908年)発行の『海軍割烹(かっぽう)術参考書』にはフィッシュコロッケ、ビーフコロッケ、エッグコロッケなど3種類のコロッケが登場してきます。

3つめのエッグコロッケは皮をむいたゆで卵に合いひき肉を味付けしたもので包んでパン粉または砕いたポテトチップをまぶして揚げるスコッチエッグです。

研究家にとってもスコッチエッグを基にしたエッグコロッケの作り方が珍しいようで、図になっていますので、下に出してみます。

このようにコロッケの普及が明治時代になったばかりの頃に北海道で男爵様がイギリスからもちこんで栽培してみた男爵イモはデンプンが多く、ほくほくした食感があり、煮崩れしやすいのでコロッケなどに使われ、東日本で主流の品種であります。

いっぽう、大正時代にイギリスから持ち込まれたメークイーンは荷崩れしずらいので、カレーやシチューに適し、皮もむきやすい品種で、こちらは西日本で主流の品種であります。

こういった男爵イモとメークイーンを代表としたジャガイモの栽培とコロッケ、カレーの普及から、明治時代は25万トンだったジャガイモ生産量が、大正時代には4倍の100万トンにまで膨れ上がります。

そして、日露戦争の日本海海戦でロシアの艦隊を撃破した海軍大将の東郷平八郎がビーフシチューを作らせようとしたらワインやバターが無かったので、醤油と砂糖で代わりを作らせたら肉じゃがができたという伝説があります。

この伝説は出所がはっきりしないので、この話は眉唾ですけど。昭和13年(1938年)の海軍の教科書にある「甘煮」という名前で肉じゃがの原型が登場します。甘煮のレシピを下に出しますと、

「材料は牛肉、こんにゃく、じゃがいも、たまねぎ、ゴマ油、砂糖、醤油。

作り方

1. 油を入れて熱する

2. 3分後牛肉を入れる

3. 7分目に砂糖を入れる

4. 10分目に醤油を入れる

5. 14分目にコンニャクを入れる

6. 31分目にタマネギを入れる

7.こうして35分くらいで甘煮こと肉じゃがが完成」

この海軍の教科書には「醤油を早く入れると、醤油臭くて味を悪くすることがある」とまで補足されており、何分目にどんな食材を入れるかまで時間を細かく指定していますので、おそらく誰が作っても失敗しないようマニュアル化させたものなのだと思います。

最後にトリとして出した肉じゃがですが、各家庭では「おふくろの味」になっていたりと日本人に馴染み深い和食となっている肉じゃがが決定打となったのか。現在の日本のジャガイモ生産量は275万トンまで跳ね上がり。

275万トンのジャガイモのうち、78%を占める215万トンが北海道で作られ、2位が長崎で11万トン、3位が鹿児島となっています。

こうしてスーパーのお惣菜コーナーにはジャガイモを原料にしたお惣菜が沢山並ぶにまで至ります。

最後に、長野県の方とコロッケの話をしていたら「野菜コロッケ知らないの?」と言われ、よく聞きますと、長野県では野菜コロッケがコロッケのコーナーの半分を占めるほどになっていて、冷凍野菜のミックスベジタブルの野菜が具に入っています。

野菜コロッケ

野菜コロッケ

写真を探してきましたが、上の写真のような感じのコロッケです。東京でも野菜コロッケがあったら試しに食べてみたいと思います。

それでは、今日の夕食のおかずは肉じゃがコロッケとカニクリームコロッケにしようかと思います。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

皆さんも気が向いたら夕食にコロッケはいかがでしょう?

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食の歴史その12~肉食と海軍と福沢諭吉~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いてみました。
携帯やスマホから見ている人もいると考え、あえて画像は載せていません。

江戸時代に外国との窓口だった長崎には中華料理とオランダから伝わった料理をかけあわせて日本流にアレンジした「卓袱料理(しっぽくりょうり)」と言われるものが長崎から京都、大阪。そして江戸へと伝わっていきます。

幕末になると牛鍋も登場します。その幕末に大阪の牛鍋屋に若い頃頻繁に通っていたのが、一万円札の顔で知られている慶応義塾を開き、いち早く新聞を出版して戦前の大マスコミを作り出した福沢諭吉でした。

彼の自伝を要約しますと。

「まず、たびたび行くのは鶏肉屋。それよりもっと便利なのは牛鍋屋。大阪には牛鍋屋が2軒だけで。1軒は難波橋(なにわばし)。もう一軒は新町の風俗街の近くにあって、最下級の店だから出入りする客は刺青を入れたゴロツキと貧乏学生ばっかり。肉も何処から取り寄せたのか分からない怪しい肉なので安く満腹にはなるけど牛肉は硬くて臭かった。」

と書いてありますが。この牛鍋屋には相当頻繁に通っていたようで。店の親父に頼まれて豚を水で溺れ死にさせて屠殺してから、オランダ医学を学んでいたので「解剖」と理屈をつけて豚の頭を持ち帰り、バラバラにしてから煮て食ったというエピソードもあります。

その後、福沢諭吉は英語を学び。幕府の使節としてアメリカとヨーロッパへ行って欧米と江戸幕府の日本との違いを体感して西洋の学問を日本がもっと取り入れないと思うようになり。

明治になると外国の学問や外国語を慶応義塾などで教えつつ新聞を書く著名な知識人でした。

彼の開いた慶応義塾には後に海軍のお偉方になるひとが複数いまして。海軍がイギリスを模範としたのは福沢諭吉の影響もあったことでしょう。

肉じゃがのルーツか?と思われる海軍の献立を書いた新聞も福沢諭吉が出版した新聞での掲載だったりするので、自分の門下生だった人たちがいる海軍との仲は良かったようです。

彼は新聞にキャッチコピーを書く才能もあり。明治になったとはいえ。まだ、卵でさえ食べたら氏神様の祟りにあるといって村人が卵を食べた男性を追い出そうとした事もあった頃、築地の食肉業者から何かいいキャッチコピーをと頼まれるとすぐさま。

「数千年の久しき、一国の風俗を成し、肉食を穢(けが)れたるものの如く云いなし、妄り(みだり)に之を嫌う者多し。畢(ひつ)異人の天性を知らず人身の窮理を弁え(わきまえ)ざる無学文盲の空論なり」

自分でも読み解くのが難しい言葉だけど自分なりに要約すると。様々な理屈をつけて、

「肉食わない奴は馬鹿だ」

と結論づけて書いてみせたわけです。

他にも腸チフスにかかったが、牛乳を飲んで全快したという話も書きましたが、真相は愛飲した牛乳メーカー宣伝目的で書いていました。

他にも西洋料理店の宣伝、広告を行い。

「西洋料理は栄養価が高く健康にいい、初物を買う金があったら西洋料理にその金を使ったほうがいい」

などと書いていました。

福沢諭吉が明治になって肉食、牛乳、西洋料理を盛んに勧めましたが。その後もなかなか普及しなかった逸話を。

1905年に起こった戦艦ポチョムキンの反乱は昼食のボルシチに腐った肉が入ってた事から始まりこの反乱自体は大したものではないですが、後のロシア革命の伏線になったと言われています。

戦艦ポチョムキンの反乱の前に従順な国民性の日本人も軍艦でちょっとした反乱を起こしていました。

明治の軍艦で朝になり起床の時間になったのだが、誰も起床しない。

これは前日に起床のラッパが鳴っても「死んだフリして起きない」と打ち合わせた日本人なりのストライキでした。

上官は反乱を起こした部下に理由を聞くと、

「軍隊に入ったら白米が食えると思って期待していました。しかし、パンやらビスケットなどのおやつしか出ない。これじゃやってられません」

と答え、これを聞いた上官は上司に内緒で米を取り寄せて部下に食わせる事で解決しました。

この当事の海軍の食事は主食がパン、ビスケット、乾パン。おかずは缶詰肉、塩漬け肉、チーズ、コンデンスミルクなどで作ったスープ、シチューなどを洋食に馴染みのない日本人に無理やり食わせていました。

しかし、日露戦争(1904年~1905年)から数年後の海軍の献立を見ますと。当時の軍艦には冷凍庫があったせいもあって牛肉を材料にした献立だけでも随分充実しています。

1908年に出された「海軍割烹(かっぽう)術参考書」から説明つきでメニューを一部出すと。

・ビーフステーキ
150gの肉で焼いたステーキだったようです。

・ローストビーフ
付け合せは蒸し焼きまたは茹でたジャガイモ。

・ロールキャベツ

・ジャーマンビーフ
牛ひき肉を刻んだたまねぎと一緒に炒めてから半熟卵をかける。

・チーズマカロニ
茹でたマカロニの上に牛ひき肉、チーズの順に敷いていって蒸し焼き。

・シャトー・ブリアン
フランスの美食家、ブリアン子爵(ししゃく)が由来のフランス料理。
肉は牛ヒレ肉に油を塗ってグリル焼きにするだけで終わりだが。
ソースはネギ科の植物エシャロット、ヨモギの一種エストラゴン、タイム、ローリエに白ワインなどを材料としたデミグラスソースと手が込んでいます。

・カレーライス
付け合わせに福神漬けやラッキョウが無く。
マンゴーなどの果物に酢、砂糖、香辛料を加えてジャム状にしたチャツネが付け合わせになっています。

他にもミンチパイ、コロッケ、キュウリの肉詰め、牛タンのシチューなどがあります。

この頃やっと明治の海軍にも福沢諭吉の思想だけでなく、彼が強く勧めた肉食も既に普及していたようです。

ちなみにカレーは今で言う甘口だったようです。

激辛も商品にし、辛口がもてはやされたのは1980年代からで、それ以前の世代は辛口が苦手な人も結構いたりします。

以上でコラムは終わりですが。いい暇つぶしになったでしょうか?