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食の歴史その47~アメリカの辞書にも載っている「テリヤキ」

3 11月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルで分かりやすくするために画像を多く使うつもりです。

醤油工場

醤油工場

アメリカで消費される醤油は醤油メーカーのキッコーマンがアメリカで製造している量だけでおよそ10万リットルと言われていますが。アメリカで消費される醤油のほとんどが照り焼きソースになっていると言われています。

映画『サイン』のワンシーン

映画『サイン』のワンシーン

映画『サイン』でも晩飯にメル・ギブソン演じるパパが家族に「好きなもの食っていいぞ」言うと。まずはチーズバーガー、スパゲッティとアメリカらしい食事を家族がリクエストしていき、最後に筋肉質のあんちゃんが「teriyaki」とさり気無く言うシーンがあるほど、照り焼きという言葉も料理もアメリカでは一般的になっており。アメリカの辞書にも「teriyaki」が載っています。

ブリの照り焼き

ブリの照り焼き

アメリカに伝わる以前の照り焼きは醤油、砂糖、酒で魚を調理したもので。日本ならではの料理、肉じゃが、すき焼き、今も缶詰に使われる大和煮などと共通しているのは調味料に砂糖を使っているところです。

ここからは推測で述べますが。日本料理に醤油と砂糖で煮〆た料理が普及したのは戦前に日本全国から人を集めた軍隊の中で食べ親しまれ全国的に普及したのだと思われます。

吾妻ひでお著 『失踪日記』よりアル中病棟のひとコマ

吾妻ひでお著 『失踪日記』よりアル中病棟のひとコマ

人間は酒が飲めないと、むしょうに甘いものが欲しくなるもので。アル中の体験を小説にした故、中島らも氏も断酒時代は冷凍バナナやあんぱんに凝り出し、桃の天然水をよく飲んでいました。

フランス軍の戦闘糧食に付属する菓子類

フランス軍の戦闘糧食に付属する菓子類

ミリタリーに疎いので、詳しい人の解説が欲しいところですが。軍隊もなかなか酒が飲めないらしく、どこの軍隊でも甘いものが求められ。各国軍隊の携行食糧には菓子や粉末の紅茶、コーヒー、ジュースが付属しているのが、よくあるパターンで。日本も例外ではありません。

大和煮の缶詰

大和煮の缶詰

明治時代の日本軍では醤油と砂糖とその他調味料で煮〆た大和煮の缶詰に人気があり。日清戦争、日露戦争では日本の肉牛が全て大和煮の缶詰になったほどだったといわれています。

京都の福神漬け

京都の福神漬け

もうひとつ、日本の軍隊で人気が高かったのは砂糖で甘口に漬け込んだ福神漬けの缶詰もありました。

このような甘口メニューを軍隊に入って口にし。戦争が終わって故郷に帰った後も海軍名物である肉じゃがのように家庭でも作らせて家庭料理として砂糖と醤油で煮〆た料理、または砂糖で味付けした料理が広まり、砂糖と醤油で味付けするのが共通項の照り焼きも軍隊で食べた大和煮の代わりに生まれたのだろうと推測しています。

海上自衛隊のカレー

海上自衛隊のカレー

話がわき道にそれますが。激辛、辛口がブームになったのは1980年代の事で。昔のカレーも甘口が普通でして、特に軍で出すカレーは辛くて食えない人を出さないようにするためなのか、必ず甘口だったそうですので、今時の辛口カレーが食べられないお年寄りも結構いたりします。

チキンテリヤキ

チキンテリヤキ

閑話休題。こうして戦前には各家庭でおふくろの味となった照り焼きが戦後の1957年に醤油メーカーのキッコーマンがアメリカに進出して醤油を売ろうとした時、キッコーマンの日系二世のセールスマン、タム吉永が彼の母親の調理した和食、魚の照り焼きをヒントに、肉料理に合う醤油ベースの料理法「テリヤキ」を発案。テリヤキソース調理法はキッコーマン主催の料理教室や販売促進用の小冊子などで、ゆっくりとアメリカに定着し、アメリカの辞書に乗るほどの現在の地位を確立してきました。

ヨシダソース創業者 吉田 潤喜(よしだ じゅんき)

ヨシダソース創業者 吉田 潤喜(よしだ じゅんき)

それから50年以上経った今のアメリカでは。アメリカ人が好きなバーベキューに照り焼きソースをつけて食べられていますが。そのソースは吉田 潤喜(よしだ じゅんき)が80年代初期に考案して販売し。大成功を収めたヨシダソースが有名です。

ヨシダソース

ヨシダソース

もし、アメリカで照り焼きを食べる機会がありましたら。おそらくはヨシダソースを塗って焼いたものが出されるかと思います。

ブリの照り焼き

ブリの照り焼き

照り焼きの事を書いていましたらお腹が空いてきましたので、魚屋に行ってブリの照り焼きを買って生姜をそえて頂こうと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

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食の歴史その8~歴史から見る関東と中部と関西の醤油の違い~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと思ってコラムを書いてみます。
携帯やスマホから見る人もいるだろうと考え、あえて画像は載せていません。

関西の方が東京に来られるとうどんの汁が真っ黒なのに驚き。
そして食すと「醤油の主張が強すぎてダシが負けている」などと評されたりします。

一方関西のしょうゆは味が薄かったりします。

この関東と関西の醤油の違いには歴史がありまして。江戸時代にまで遡る事ができます。

まず、関東の濃口醤油は大豆、小麦、塩を主な原料とし。
江戸時代に関東の濃口醤油の一大生産地であった千葉県の銚子では大豆と小麦の比率を1対1とし。大豆は蒸して煮て、小麦は炒ってから砕き、これに種麹(こうじ)を混ぜて熟成させて麹を作ります。

そして仕込蔵で桶に入れた食塩水を入れて麹と混ぜ合わせ、諸味(もろみ)として1年熟成させます。

最後に諸味を袋に入れて絞り火と言う、火であぶって雑菌を殺しつつ焦げた匂いも風味としてつける工程を経て樽に詰め込み出荷されます。

これに対して関西の醤油は米の甘(甘酒)を用いた淡口醤油でありました。

あと、中部地方では大豆、塩を原料として。大豆を煮て種麹を混ぜて発酵させた豆麹に塩水を加えて熟成させ。底に溜まった汁を溜り(たまり)として醤油の代わりに使っていました。

江戸と大阪を往来していた喜田川守貞が1837年に書かれた百科時点「守貞漫稿(もりさだまんこう)」の記述を要約すると。
「今でも愛知などの中部地方では溜りを使い、醤油を使わない」
とあるので、中部の溜り醤油は醤油と別口に分類されていたようです。

現代ではブランドになっている醤油の名前にヤマサ、ヒゲタ、キッコーマンが江戸時代から存在し。

銚子のヤマサ、ヒゲタ。これまた千葉県の野田で作られたキッコーマンなどは江戸でも有名な醤油でした。

原料の大豆は茨城県から、小麦は神奈川県から、塩は千葉県や忠臣蔵に地名が出てくる兵庫県は赤穂(あこう)から、大豆の蒸し煮に使われる木材、木炭は群馬県、栃木県から運ばれて関東の醤油製造は成り立ちました。

このような広範囲からの調達ができたのは江戸時代に海や川を船で運ぶ流通が発達したためと言われています。

いつ頃から流通が発達して醤油が作られたのかは定かでは無い所が多いですが。ヒゲタの伝承では。兵庫県西宮の真宜(さなぎ)家から製法を教わり、1670~80年代に作られたと言われています。

ヤマサの場合は和歌山県の醤油の産地として名高い湯浅から近所の広村に伝わり、それを広屋義兵衛が故郷を出て銚子に渡り、1700年に製造を開始したと言われています。

キッコーマンは分かりませんが。ヤマサとヒゲタは兵庫や和歌山など関西がルーツとなっているようです。

ここでコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その7~世界的調味料 醤油~

21 6月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶし用にコラムを書いてみました。
携帯やスマホで見ている人もいるでしょうから、あえて画像は載せません。

醤油とは大豆、小麦、食塩を原料に麹(こうじ)菌の働きによって発酵、熟成させて作られますが。ルーツは醤(ひしお)にまで遡ります。

醤とは穀物、鳥獣魚肉、野菜などの素材を塩漬けにして熟成させたもので。それぞれ「穀醤(こくしょう)」
「漁醤(ぎょしょう)」「草醤(そうしょう)」と呼ばれます。

日本では穀物を使った穀醤が好まれ、太古から使われてきたと考えられています。

この穀醤に使われた大豆は歴史が古く、大豆のもとになる種は昔は満州と言われた中国北東部、朝鮮、日本で自生していたツルマメと言われます。

ツルマメは昔から食用に使われていましたが。本格的な栽培は中国北東部とロシアの国境に至るアムール川流域で4000~5000年前から始まり。2000年以上前には中国北部で重要な作物となりました。

この大豆が2200年ほど前に稲作とともに伝わりましたが、当初は煮豆や煎り豆にして食べられていました。

その後、大陸から穀醤などの技術が伝わり、本格的な醸造が600年代に確立し。701年の大宝律令には大豆で作った醤油の記録が見られます。

それから数百年後の1254年の鎌倉時代には中国の宋から「経山寺(きんざんじ)味噌」の製法が伝わり。味噌樽の底にたまった汁から「溜り(たまり)じょうゆ」なるものが考案されています。

この溜りじょうゆから現代の醤油へと変化していくのは1500年代半ば以降でして。江戸時代になると関西の西宮(にしのみや)や龍野(たつの)、関東では野田や銚子(ちょうし)などで本格的な醤油作りがされていきます。

江戸時代初期は醤油が贅沢品でして。米一升(1.8リットル)が26文だったのに対し。醤油一升は銚子の醤油が60文、大阪の河内屋の108文までありました。
ここから勘定すると、現代の感覚では醤油一本が数千円から1万円ほどになっていたようなものでしょう。

この贅沢品であった醤油は1647年、江戸時代に長崎からオランダの船に乗って東南アジア、インド、ヨーロッパへと運ばれていました。

長崎から海外に運ばれた醤油は最初アジア各地に住む華僑が中国の醤油より質が高い評価して消費されていました。

この輸出された醤油は「ゲルテル瓶」という商品名がついていましたが。醤油のオランダ訛りである「ソヤ」「ゾヤ」という通称で呼ばれるようになりました。

このヨーロッパに運ばれた醤油は美食王として名高いルイ14世がそのうまさを愛でていて。ベルサイユ宮殿の食卓にものぼりました。

その後、20世紀後半以降のアメリカで醤油をソイソースと呼ばれ。2000年の統計によると、年間10万リットルの消費があるほどになりました。

アメリカを筆頭にヨーロッパでも消費されるようになったのは。肉、野菜などあらゆる食材を焼き物、煮物、揚げ物、生物などいずれの調理法にもなじむ調味料で。料理用と食卓用療法にも使える利便性からも海外でもてはやされています。

以上でコラムは終わりですが、いい暇つぶしになったでしょうか?