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食の歴史その48~古代ローマ庶民の接待ディナー

1 12月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回は古代ローマのディナーには金持ちのディナーについての文献は美食を極めたものなど、沢山ありますが。庶民のディナーを書き記したものは珍しいので、庶民のディナーを優先的に取り上げてみようと思います。

童話作家グリム兄弟

グリム兄弟

後にグリム童話を編集するグリム兄弟やシェイクスピアにも影響を与えた古代ローマの詩人オウィディウスが書いた作品に、ロウで作った羽で空を飛び最後は墜落してしまうイカロスの話などの有名なエピソードを複数収めた『変身物語』があります。

フィロモンとバウキスの家の、ジュピターとマーキュリー

バウキスとピレーモーンの家の、ジュピターとマーキュリー

この中に神々が旅人に変身して村人の家でディナーをご馳走になる「バウキスとピレーモーン」という話がありまして。庶民のディナーが描かれていますので、これを中心に取り上げていきます。

天空の神ジュピター

天空の神ジュピター

天空の神ジュピターと、父ジュピターのお供するために翼の着いた靴を脱いだマーキュリーの親子が旅人に化けて。バウキスとピレーモーン老夫婦の家にお邪魔しますと、老夫婦は荒い布をかけた椅子を出し。二人はそこに体を休めます。

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それから囲炉裏の灰を掻き分けて昨晩の火種を見つけ、木の葉や乾いた樹皮に火を移して息を吹きかけ燃え立てたら、その炎で細かく割った薪を燃やし、水を張った銅鍋を暖めていきます。

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鍋の水が温かくなると、菜園で取れたキャベツを取り出して刻んでから煮込むのですが。今も昔もキャベツの芯は捨てています。

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刻んだキャベツと同時に二又のフォークで取ったベーコン細かく刻み、キャベツと一緒に煮込んで柔らかくなるまで待ちます。

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こうしてベーコンとキャベツのシチューが出来るまでの間、客と談笑しつつ桶にお湯を入れて客の手足を温めたりもします。

ついでに、古代ローマ時代はシチューの事を「オフエラ」と呼んでいました。

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シチューが出来るまでの前菜のことを指す「プロムルシス」が用意され。この前菜はゆで卵から始まり、オリーブの実、サクランボみたいに実った山グミ、酒かすに漬け込まれた大根、ヤギのチーズなどが皿に盛られて出てきます。

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古代ローマのゆで卵の特徴は貴族も金持ちも庶民も何故かお湯で茹でず、囲炉裏の熱した灰の中で卵を加熱し、ゆで卵を作る事でした。

ワインを水と混ぜる時に使うクラテル

クラテル

前菜が終わるとワインと水をクラテルという器で混ぜて出し。それからシチューが運ばれてメインディッシュを意味する「ケーナ・プリマ」が始まります。

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メインディッシュのシチューが片付けられると。蜂蜜とともにデザートにクルミ、イチジク、ナツメヤシ、スモモ、ブドウが運ばれ、最後のしめにリンゴが出ます。

古代ローマでは前菜の卵から始まって、しめにリンゴを出して終える事から、「初めから終わりまで」という意味で「卵からリンゴまで」という言い方が生まれました。

古代ローマのベッド

古代ローマのベッド

こうしてワインを飲みながらのデザートがなくなるとディナーは終わり。夜明けとともに起きて日没とともに寝るのが普通だった庶民はベッドを用意し、囲炉裏の火で部屋が暖かいうちに客を眠らせます。

古代ローマ庶民のベッドは柳で出来たベッドに綿が詰まって温かい布団をのせ、その上にシーツをかけていました。

古代ローマの詩人オウィディウス

古代ローマの詩人オウィディウス

以上が古代ローマの詩人オウィディウスの描いた庶民のディナーでしたが。彼は同じ時代を生きた他の詩人と違い、パトロンやタニマチを持たず。ギリシャ神話を参考に書いた『恋の歌』があまりにもエロチックだったために実際に読んだ皇帝が激怒し、罰としてローマから地方の田舎へと飛ばされた人なので、そういった立場から田舎の庶民の生活を見て書き残したのでしょう。

以上でコラムは終わりですが。皆さん、いい暇つぶしになったでしょうか?

今夜は冷えますので、自分もキャベツとベーコンでシチューを作って体を暖めるとします。

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食の歴史その45~古代ローマのディナー準備~

16 9月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルでわかりやすくするために画像を多用する予定です。

古代ローマでは「ケーナ」と呼ばれたディナーを貴族や金持ちが主催する場合、召使いが家から家を訪問し、口頭や紹介状で日時などの詳細を伝え。出席を確認しますと主催者は忙しくなります。

まずは召使いを集めて予定を伝えるばかりか、屋敷の中を巡って直接監督し。粗相がないよう、恥をかかないよう気配りするものでした。

特に気配りしたのは冷蔵庫のない時代。新鮮な食材とその吟味に神経をすり減らしました。

東京なら上野か浅草にあたるスプラの通りは売り買いの喧騒が激しく。露天や屋台の市場が立ち並び。野菜、魚介類、牛、豚、羊の肉などが並び。ガリア(現在のフランス)から運ばれてきたニワトリ、ガチョウ、アヒル、ウズウなども並んでいました。

スプラは市場だけでなく盛り場、遊び場としてローマ人に認識され。南国的で底抜けに陽気な場所でもありました。

ジュリアス・シーザー

ジュリアス・シーザー

ジュリアス・シーザーはこのスプラ付近に屋敷を構え、庶民と気安く付き合って人心を掌握していきます。

しかし、スプラは貴族や金持ちからしますと。安く仕入れる場所と見なされ、位の高い人にスプラで安く仕入れましたとも言えないし、舌の肥えた美食家なら言わずとも見破られたりしますので、カエサルの市場、トラヤヌスの市場と言われる現在の百貨店に相当する場所で鮮度のいい食材を仕入れるばかりか。時には料理人の組合に頼んで優秀な料理人を出張させてもらったりしました。

トラヤヌスの市場の最上階にあたる5階には海水プールと淡水プールの生簀(いけす)があり、ここではドーバー海峡を越えたイギリスはロンドンの近くの港町ルトゥピアエ(現リッチバラ)から数十日かけて運んできたローマで最上級とされたカキも生のまま仕入れる事ができました。

高級食材は新鮮魚介類ばかりでなく、遠くインドから取り寄せたために100倍の値段で売られていたコショウなどのスパイスなどもありました。

大プリニウス

大プリニウス

この珍しいコショウについてプリニウスは。

「ただピリっとするだけのコショウが珍重されるのは異常なことである。美味しい料理を食べたければ、腹を空かせればいいだけなのに・・・」

と書き記してあります。

ローマでのガルムの製法

ローマでのガルムの製法(文字が見づらい時は画像をクリックして拡大させてください)

コショウのような異国の珍品と違ってディナーに必要不可欠だったのは万能調味料の「ガルム」でした。

「ガルム」はタイのナンブラーのような魚醤(ぎょしょう)の一種で上に乗せたガルムの製法の図にあるように天日で腐らせた様々な魚を合計8ヶ月以上かけて塩水に漬け込むと魚肉のタンパク質が分解されてうま味成分のアミノ酸に変化していきます。

こうして完成したものを麻の布で濾過(ろか)された液体を「ガルム」、濾過した時に残る固形の残りかすを「アレク」と分類され、貧しい庶民は固形のアレクを粥に混ぜて食べていました。

ガルムは種類も豊富でマグロの内臓とエラと血液で作られたガルムが最上級とされ、現在の値段にすると3リットルで600万円近くの値段になりました。

このガルムは元々魚を腐らせたものなので、製品になっても大変魚臭く、古代ローマの料理書を書いたとされるアキピウスは、月桂樹と杉で燻してからブドウの果汁を加えて独特の臭みを消したと言われています。

皇帝ネロ

皇帝ネロ

このアキピウスは皇帝ネロの時代に大勢の料理人を雇い洗練された料理を創造したりもしていました。

自分の料理の知識を人にも伝えようと料理学校を開き、『ラルス・マギリカ』という古代ローマの料理書も残します。

アキピウスの料理書には卵料理も多く、カスタードプリンもアキピウスのアイディアだと言われています。

しかし、皇帝ネロの家庭教師セネカによりますと、ローマの大火事のあと黄金宮でネロが行った饗宴にならってアキピウスも当事のセレブを呼んだ大規模な晩餐会を開き、数十億円もの財産が湯水のように費やされました。

そしてある日。残った金額が現代の金額にして10億円相当の1千万セルティウスになった時。もはや宴を続ける事が出来ないと悟り、友人を招いて晩餐会をしたあと、財産がなくなり飢え死にする事を恐れて毒を飲み自殺したという伝説を残し、後世にはアキピウスの名を借りてペンネームにもされました。

古代ローマ人がいかに際限なくお金と労力をつぎ込んで食材、料理人の調達を行ったか書いてみましたが、次回は「ケーナ」というディナーに招かれた客の方のマナーなども書いていきたいと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その44~古代ローマの夜とディナーに招かれるまで~

12 9月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルで分かりやすくするよう画像を多用する予定です。

古代ローマでは庶民も貴族も日の出に起きて日没には家に帰って横になるのが普通でした。

古代ローマ時代にもタイマツやランプなどがあり、その明かりで夜のローマを出かける事も可能でしたが、警察組織が無い時代のローマの夜はスリ、強盗、殺人が横行していたので護衛もつかずに無事帰れたら神に感謝するほどでした。

他にも夜の街では東京23区の5倍人口密度で、7階建ての高層アパートがひしめいており。そこにはトイレも無ければ、ごみ収集もないので、窓から食い残し、糞尿、ゴミが何の掛け声も無く降って来たので、何か特別な用事がない限り、犯罪がなくとも古代ローマの夜道を歩き回らないのが当たり前でした。

古代ローマには現代の横断歩道もあり、人と馬車、大八車の交通を区別していましたが、夜になるとローマが征服したヨーロッパほぼ全土とエジプト、北アフリカ、中東から運ばれた産物などを運ぶべく一晩中狭くデコボコした道を車両が通行するため、その騒音で高層アパートに住む住民は慢性的な睡眠不足だったと言われています。

ジュリアス・シーザー

ジュリアス・シーザー

夜に車両が行きかう背景にはジュリアス・シーザーなどの政治家が交通渋滞を解消するべく。荷馬車、大八車が日中のローマ市内に入る事を禁止したため、日没から夜明けまでに荷物を運び終えて車両を市外に出さなければいけなくなった事情などもありました。

これを風刺詩人のユウェナリスは「ひどい騒ぎだローマの夜は、貧乏人を安眠させない」と風刺しています。

そうした事情から「ケーナ」と言われるディナーは貴族も庶民も夕方4時か5時に行い。暗くなったら早々に帰ったりしました。

このケーナというディナーは貴族や金持ちが主催し、庶民も招待され。招待された庶民はディナーに出た料理を包んで家族のために持ち帰ったりする場合もあれば、特定の記念日に庶民たちが集まり、仲間同士でつつましく行うものと大体2種類ありました。

庶民が集まってつつましく行うディナーと違い。貴族、金持ちのディナーには面倒なマナーや習慣がありました。

まず、ディナーを主催する場合。召使を客の一人一人に差し向け、家から家へと訪れては優雅かつ丁寧な物腰でディナーの日取りと正確な時間、集まってくる客の数、相席する客の名前も知らせ了解を取る事から始まります。

召使は口頭で伝えるだけでなく、招待状を手渡す時もあり。具体的な招待状が『マルティリアス詩集』に載ってあるので一部抜粋しますと。

ローマの詩人マルティリアス

ローマの詩人マルティリアス

「ユリウス・ケリアリス君、私の家で素晴らしい晩飯が食べられるぞ。もっとよい先約がなければ是非うちに来て欲しい。午後3時ならどうだろう?まず一緒に風呂へ行こう。近所に浴場があるのは君もよく知っているはず。

料理の最初はお通じを良くするレタスとニラのみじん切り。シラスよりちょっと大きめなマグロの稚魚の塩漬けには香りのいいハーブをあしらって卵とじにするつもりだよ。程よく茹で上がったゆで卵もきっと出す。上等のチーズにオリーブ。前菜はこんなところ。

何、次に出す料理を教えろ?

では君を逃がさないために大嘘を書くぞ。

魚にカキに牝豚の乳房、それによく肥えたニワトリ、アヒル、沼の野鳥を色々。

あのグルメのステラさんだってめったに出さない珍味ばかりだ。

そうそう肝心な事を約束する。

僕は君に何も朗読しないから安心したまえ。君が苦心して作った長編などを読み上げるのはOKだよ。」

と、古代ローマ人はこんな感じの招待状を書いていたようです。

さて、人気者は複数のディナーに招待されたりするので、ディナーに出ると約束しておきながら、他のもっと豪華で肩肘張らない別のディナーに出る者もよくいまして。博物学者のプリニウスが出席すると約束しておきながらドタキャンしてよそのディナーに出た客に書いた怒りの手紙を書き残しています。

その手紙を一部抜粋しますと。

博物学者プリニウス

博物学者プリニウス

「おい君、晩飯に来ると約束しておいて、何で来てくれなかったんだ。裁判所に訴えるぞ。賠償金をたっぷり取られても知らないよ。

うちのコックたちが用意していたのはレタス1個、カタツムリ3匹、卵2個、大麦のポタージュ。それに雪で冷やした蜂蜜酒つきだ。

オリーブ、キュウリ、玉ねぎ、その他たくさんあるけど、けっして安くない。

それに芝居、講談、歌、どれか一つを聴けた。出来る限りのサービスをさせてもらえば3つ一緒に聞かせることだってできたんだ。

それなのに、君は誰か知らないが、カキ、牝豚の乳房、ウニ、スペインのダンサーを出してくれる人の方を選んだ。

高くつくぞ、はっきりいくらとは言わないが。薄情な事をしてくれたもんだ。

われわれは存分に遊び、談笑して豆知識を耳に入れる事も出来たのだよ。

なるほど君は方々で、もっと豪華な晩飯にありつけるかも知れない。

しかしだ、僕のところほど陽気に、のびのびと、ひとの口など気にせずに済むところは決してない。

論より証拠だ、実験してみたまえ。

そのあとで、どうしてもよその招待を断る口実が見つからないのなら、僕のところはいつでも構わない、断ってくれたまえ。」

この怒りの文章はプリニウスが書いた他の文書とまったく調子が違うので、プリニウスが社会風刺のつもりで創作した文書だろうと言われております。

カティリナ(右端)を追及するキケロ(左側手前)

カティリナ(右端)を追及するキケロ(左側手前)

あと、補足しますと。古代ローマは現代のアメリカのような訴訟大国で。記録に残っている訴訟を列挙しますと。

・乗船中に女性が産気づき、子供が生まれた。そのため、その子供の船代が欲しいと船のオーナーが訴えた。

・逮捕を免れた泥棒が店に逃げ込んだところ、番犬に手を噛まれた。泥棒は、飼い主への怠慢によるものと訴えた。

・蛇使いの芸人が見物料を払わなかった見物人をヘビで脅したのは罰にあたるかどうか。

などなど下らない事まで裁判になっていたので、プリニウスが手紙に「訴えてやる」と書いているのは日常茶飯事のありきたりな書き出しだったのかも知れません。

以上でコラムは終わりますが。次は「ケーナ」と言われるディナー本番について触れてみたいと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その42~古代ローマの食卓その2 昼食編~

4 9月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今回もビジュアルでわかりやすくするよう、画像を多用します。

もともと、古代ローマ人の食事スケジュールは、朝は朝食を意味するイェンタークルム、正午近くにケーナという1日の主となる食事をし、晩に夕食を意味するヴェスペルナをつまむというものでした。

しかし、昼間は暑くて食欲が起きない事と、ローマの勢力が大きくなりギリシャの文化が入って影響を受けると同時に国が豊かになってケーナの内容が次第に豪華になり、ケーナの時間は夕方へ移っていきました。

こうしてケーナ以外の食事は軽食かおやつを意味するようになり、腹が減ったので仕方なくとか、仕事の合間の休憩などに分類されるようになりました。

ケーナで腹いっぱい食べるので。上流階級でもケーナ以外の朝食、昼食を粗食で済ませれば倹約が美徳とされていたので誇るべき事であり。上流階級は昼をパンとワインだけで済ませましたが、肉体労働している人たちはたっぷり昼食を食べました。

時代の移り変わりでヴェスペルナは消え、「2度目の朝食」を意味するプランディウムが導入されました。

古代ローマの人口は100万人以上あり、人口密度は東京23区の5倍以上という過密状態で。一軒家は1700軒ほどしかなく。殆どの庶民が住んでいた七階建てもある賃貸住宅のインスラは机と椅子を広げるのが精一杯で。ベッドを置くスペースが無いので、ワラを袋に詰めたものをベッド代わりするか、直接床に寝ており、水道は皇帝と仲の良いごく限られた人しか家に引くことが出来ず、台所のスペースがあまり無いのでバールという軽食屋またはファーストフード店に分類される所で昼食を済ませるのが一般的でした。

古代ローマ時代に最も多かった食堂の形態 バール

バールは入り口付近にL字型の長いカウンターが置かれ、テーブルと椅子は店の中だけでなく、現在のオープンカフェのように外にもズラりと並べ、大きい店のなかには中庭にも椅子とテーブルを並べ、沢山の客が飲食できるようになっていました。

古代ローマの軽食屋で出された代表的なメニューは豆の入った小麦の粥「プルス」で。それ以外の物を売ることを禁止された時代もありましたが。街頭でこっそり売っていたりと禁止の効果はありませんでした。

プルス以外で人気があったのは豚のゆで肉、豚のもも肉や頭の串焼き、ウナギ、オリーブ、イチジク、ソーセージ、魚肉団子、肉団子、サラダ、ローストチキン、野菜マリネ、ゆで卵、オムレツ、チーズなどが出されましたが。ローストチキンなど肉に火を通した料理を出す事は法律で禁じられていました。

ポンペイで発掘された竈とカウンター

ポンペイで発掘された竈とカウンター

古代ローマは現代の東京23区より過密していて火事が起こりやすかった事情から火を通して調理した肉を出す事は法律で禁じられていましたが。この法律を律儀に守る店はほとんどありませんでした。

共和制ローマの富豪で政治家のクラッスス

共和制ローマの富豪で政治家のクラッスス

そうした事情から厨房や暖房の火の不始末などで火事が起こると、ジュリアス・シーザー、ポンペイウスと組んで3頭政治を行ってローマを牛耳った人物の一人、クラッススは火事になった家の周辺の隣家が延焼を恐れて持ち家や建物・土地を手放すのをいち早く情報を仕入れた上でそれらを買い占め、その後に自らが雇っていた建築に携わる奴隷にそれらを壊させたためにローマの不動産の大部分がクラッススの所有物になったと言われています。

古代の消防用送水ポンプ

古代の消防用送水ポンプ

ローマのトップには何度も起こる火災を座視するだけでなく、初代皇帝アウグストス(紀元前63~西暦14年)は正式な消防隊を組織しました。

この消防隊には2250年前にエジプトのアレキサンドリアで発明された放水ポンプを台車に載せて町中の火消しにまわっていました。

火事の最前線に立つ危険な仕事であるため、奴隷が消防隊にあてがわれていましたが。奴隷が何年も寝ずの番をして消防隊に勤めると。晴れて自由市民になれるので、志願する奴隷が数多くおりました。

この消火用水はローマに引かれた上水道から使われており、この水は普段ローマに大小ふくめて1000軒以上あった公衆浴場に供給されていました。

ローマ市民は用事を午前中に済ませたら「シエスタ」、つまり昼寝をし、起きたら公衆浴場に出かけますが。公衆浴場は浴場、プール、トレーニングジム、マッサージ室、談話室、ゲーム広場、軽食屋などの施設が揃った健康ランドのようなもので入場料は現在の価値にして10円程度でした。

公衆浴場に入りますと。まずはトレーニングジムでレスリング、球技、槍投げ、円盤投げなど練習で汗を流してからマッサージ室で体をほぐしてもらい、それからいよいよ入浴。

入浴は低温サウナと高温サウナの2種類がありまして、体が温まったらプールでひと泳ぎします。

カリグラ帝

カリグラ帝

ちなみに水泳は帝王学の一環であったので、カリグラ帝に関して諸説ありますが、とにかく泳げなかった事が記録に残っているほどです。

プールから上がりますと談話室、ゲーム室へ行ったり。10円の入場料で食べられる軽食屋ではビスケット、油で揚げたスナック、野菜のマリネ、果物とドライフルーツ、肉団子や魚のパテ、ソーセージなどに舌鼓を打っていました。

繰り返しますが、軽食屋の食事は別料金ではなく。10円の入場料で食べる事ができ、不景気な時でも6皿の食事にありつけました。

公衆浴場に来る人たちは様々な思惑を持って訪れ。庶民は金持ちと知り合って豪華なディナーのケーナに招待されるのを期待して訪れ。招待されなければ、また10円払って別の公衆浴場へとハシゴしていました。

一方、元老院の議員や貴族などのケーナに招待する側にとって、ここで投票権を持つ市民を見つけて招待することは、立候補して投票してもらう際、知名度や人気を高める上で意味のあることでした。

以上で古代ローマ人の昼食に関するコラムは終わりですが、次は古代ローマの晩餐を書こうと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

世界の食文化その3~イスラム教の食事マナー

8 8月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュルアルで分かりやすくするために幾つか画像を使います。
イスラム教では、預言者ムハンマドの行動を信者の慣習と定め、イスラム教にとって民法、刑法、行政法というありとあらゆる範囲にまで及んでいるイスラム法のシャリーアを学ぶ上で重要な第1経典『コーラン』の次に重要な第2経典『ハディース』という経典にまとめられています。
その中から、食事に招かれたときの礼儀作法やマナーなどをおおまかに説明していきます。
まず基本は多くの人で分け合って食べる事です

経典にも「二人分の食べ物は3人に十分であり、3人分の食べ物は4人に十分である」として列席者が増えるのを歓迎されます。

こうして列席者もそろったところで大皿に盛られた料理は必ず蓋をして運ばれてきます。これは悪魔が料理に悪さをするのを防ぐためで、イスラム教では悪魔を意識した行動が数多く。

例えば、食事に右手を使うのは、悪魔が左利きとされているからです。

そのため、全ての行為は右から行い。順番は右回り。歩く時も右足から歩き、文字を書くときも右から左へ書き。上座(かみざ)も右側とされています。

クルスィー

クルスィー

食事の席は円形の敷物に「クルスィー」という小さなテーブルのようなものを置き。その上に「シーニーヤ」という金属製の大きな盆が置かれ、これは平安と祝福があるようにと預言者がした行いに近いものとされています。

シーニーヤ

シーニーヤ

そして、敷物の上に置かれた大きな盆の周囲に置かれたゴザに靴を脱いで座り。この時は寄りかからず、片ひざを立てます。

この片ひざの立て方も右ひざを立て、左足に重心を置くようにと決まっています。

こうやって詰めて座る事によって多くの人が列席できるようにするためと、胃を圧迫して食べ過ぎないようにするためです。

経典に「・・・(胃の)1/3は食事に、1/3は飲み物に、1/3は呼吸のために」とあって食べすぎが厳しく戒められ、ベルトもきつく締めるように言われます。

イスラム教では異教徒は腸(はらわた)が7つあるが、イスラム教徒はひとつの腸を満たせば良いと言われ、預言者ムハンマドは痩せて健康的であるのが望ましいと語ったとされてあるので、その影響から小食で満足できる工夫がされたのかも知れません。

ただ、イスラム教は例外事項も多く。座るスペースに余裕があれば、あぐらをかくのも許されます。

中東の水差し

イブリーク(水差し)

こうして準備が出来たら水差しから注がれた水で手を洗い、食後も同じく手を洗います。

食前と食後の手洗いに関してイスラムの学者は石鹸や洗剤で洗うのが好ましいとも述べています。

こうして準備が整うと、いただきますにニュアンスの近い言葉として「神の御名にかけて」を意味する「バスマラ」と唱えて食べ物が浄化されたと見なされてから食事が開始されますが、最初に食べるのは年長者、徳のある人から食べ始め、それから他の人も食べ始めます。

もし、うっかりバスマラと唱える前に食べてしまった場合は気づいた時点で「始めも終わりも神の名において」を意味する「ヒズミッラー・アッワリヒ・ワアーヒリヒ」と唱えると良いとされています。

素手で食べる場合は右手の親指、人差し指、中指を使って、一口分だけちぎって口に運び。よく噛んで口に入っている食べ物を飲み込むまで他の食べ物に手を伸ばさないよう注意します。

パンをちぎる場合、肉から骨をはがす場合など、両手で行う必要がある場合は左手を使う事も許されています。

イスラムの食事風景

イスラムの食事風景

こうやって近くの皿に盛られた食べ物に手を伸ばし、黙って食べないよう談笑して時間をかけ、音を立てず、美味そうに食べていきます。

リチャード・フランシス・バートン

リチャード・フランシス・バートン

余談ですが、通称『アラビアンナイト』とも『千夜一夜物語』とも言われるイスラム文学の翻訳者である1800年代を代表するイギリスの探検家リチャード・フランシス・バードンがイスラム圏に滞在していた時に、母国で食事する時と同じように静かに食べていたところ、周りにいた人から
「君はなんだって小動物みたいにそんなに静かに食べるんだ。食欲がないのか?もっと、にぎやかに食べなさい。」と言われたそうです。

話を食事マナーに戻しますが。食事中、皿の位置を変えたり、美味しそうな部分を独り占めしてはいけません。

他にも嫌いな料理はスルーして文句は言わない事。客は好き嫌い関わらず、勧められても勧めた側の家族が食べ残しで食事をするためにも、あえて遠慮します。

その他のマナーも箇条書きにしますと。

・よく噛んで時間をかけて食べる。

・人に「食べろ」と言って困らせない

・人が食べている姿をじっと見つめないよう心がける。

・複数の料理を1度にまとめて口に入れない。

・音を立てずに食べる。

・食べるときに他人の服にこぼしてを汚さないように気を付ける。

・口の中に食べ物があるまま喋ったりしない。

他にも大事なマナーとして食事中に指を舐め、その舐めた手で料理を取ってはいけない。というのがありますが、食が進んで満腹になってきて手を止めてから指をなめるのは満腹を示す仕草として推奨されています。

それから口に水を拭くってゆすぎ、手をハンカチなどの布でぬぐいます。

ミスワーク

ミスワーク

預言者ムハンマドは木の枝でできた歯ブラシ「ミスワーク」で歯磨きしてから口をゆすぐ事を推奨していますので、食後に歯磨きをする場合もあります。

手をぬぐい、水で口をゆすいだらニュアンス的にはご馳走様を意味する「ハムダラ」と唱えて席を立ちます。

他の人も満腹を感じたら「神に感謝を」を意味する「アルハムド・リッラー」と唱えて席を立ちます。

ムルジファーン

ムルジファーン

こうして席を立つと別室で食後のコーヒーか紅茶が出される場所へと移動し。先ほど食事終了したさいに手を布でぬぐった手をより清潔にするためテシュト(水受け)の上にイブリーク(水差し)を載せた、運ぶときに金属の擦れ合う音を立てる「震え声をたてるもの」を意味するムルジファーンという道具が運ばれてきますので。この道具で手洗いをします。

この手洗いを「あきらめの父」を意味する「アブー・イヤース」と言われます。

コーヒーを注ぐイスラム教徒

コーヒーを注ぐイスラム教徒

手洗いを済ませて運ばれる飲み物にもマナーがあって、右手で器を取り、中身を確認してから穏やかに口をつけて3度にわけて飲みます。

食後に用意されるのはコーヒー、紅茶だけでなく、「余力の父」を意味する「アブー・サルウ」と言って、香炉で香を焚いて食事中についた匂いを落とし、さっぱりさせて出ていけるよう気づかいをする場合もあります。

食事を開いたホストの家の格によってお香のグレードが上がったりします。

さて、世間でも広く知られており、このブログでも取り上げましたが、イスラム教では豚と酒がタブーで。

豚成分の入った調味料、豚肉に触れた食器、酒を注いだコップを使うことさえ禁じられています。

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そのせいもあって2000年に、味の素の成分に豚の酵素が入っているとしてのインドネシアの現地法人の社長が逮捕され、味の素の製品が姿を消しましたが。その後、豚の酵素を使わない商品をだして製造販売を許可をされ、現地法人の社長も釈放され、再びインドネシアで味の素の商品が出回るようになりました。

2000年に起きた味の素の事例でも分かるとおり今でもイスラム教では大雑把に言うと豚や酒が駄目でイスラム法で許可された食材しか食べてはいけないとする「ハラール」があるため、敬虔なイスラム教徒は一般的な日本人の家で食事する事はないでしょう。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

世界の食文化その2~箸を使う国々のユニークな食作法~

5 8月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回も画像をつけて説明していきたいと思います。

古来、朝鮮半島では、中国から伝わった儒教の考えが深く根付いていて、なかでも最も重視されているのが「長幼有序(チャンスユソ)」、つまり年下は目上の人を敬わなければならないという年功序列の考え方が徹底し。それは食事作法の中にも連綿と受け継がれています。

たとえば、食事はその家の最年長者が箸(はし)をつけてからはじめるのがマナーである、たとえ客人であろうと年長者が一口食べて「どうぞ」とすすめるまではお預けとなります。

また、目上の人の食事が終わっていなければ、勝手に食事の席を立つことは許されないし、客人より先に食事を終えてしまうのもマナーに反します。

酒は左手を右ひじにかけ、右手で注ぐのが一般的ですが、ここでも目上の人にすすめられた場合のみ頂くのが礼儀と、食作法はけっこう細かくてうるさいものとなっています。

しかし、最近では日本と同じように洋風の生活様式の定着や核家族化現象などによって、年長を敬う習慣も薄れてきたと嘆く声もしばしばあります。

伝統的な食事作法では、おのおのが自分の膳を持って静かに食べるのが礼儀にかなった習わしとされてきましたが、これも最近では大きな卓を囲んでワイワイ話しながら食事する事が一般化していると言われています。

一方、中国では客が最後に一口残すのが招かれた側のマナーとされ。

これは、「十分満足しました。ありあまるほどたくさんの料理をありがとう」という意味があります。

ところが食器が大振りな上に食卓に食べきれないくらいの量の料理を並べる朝鮮半島のもてなし方には「お代わり」という言葉はとくにありません。

椀のたぐいの食器は原則として金属製で大きくて重いため、日本のように手で持ち上げるようなことは絶対にしないし、そうすること自体が極めて行儀の悪い事と考えられています。

朝鮮半島の食卓には、「スッカラク」という柄の長いサジと「チョッカラク」という金属製の箸が必ずセットで並ばれます。

汁物とご飯はサジですくって食べ、箸はキムチなどのおかずをつまむときにだけ使用します。

これは中国で2000年ほど前にあった漢王朝時代の食事作法である「匙主箸従(しちょうちょじゅう)」がいまも朝鮮半島における基本的な食事作法となっているものです。

また、酒や飲み物以外で食器類にじかに口を付けることも、すこぶるはしたないマナー違反で、箸とサジを一緒につかむことも礼に反する行為だとされます。

サジは食事を続けているときは食器にかけておき、これを離して食卓に置くと食事が終了した事を意味します。

日中戦争当事に中国側がスパイの素性を調べる際、箸とサジで食事させたという逸話がどこまで本当の話かはさておき、有名な話だったりします。

具体的にどう見分けるかといいますと。サジを使わず食器を手に持って箸で飯をかきこみ、食穂は端を食器の上にのせるのが日本人、逆に食器を卓に置いたまま箸とサジを使い分けながら食事をとり、食後は卓の上に箸とサジをじかに置くのが朝鮮人と見分けたという話です。

なお、汁物は箸のほうが食べやすいのではと日本人なら思われるようですが、朝鮮半島の汁椀には具が沢山入っており、汁と具をともにすくいながら、すすり味わうにはサジのほうが扱いやすく。

また、箸で食べると汁と一緒に幸運も逃げてしまうといって縁起の悪いこととされています。

汁物の中に飯を入れるカルビタン

汁物の中に飯を入れるカルビタン

朝鮮半島ではカルビタンなどの汁物のなかに飯を入れるぶっかけ飯があります。

これは日本では「猫まんま」といって不作法とされる食べ方の一つですが、朝鮮半島では中国の影響によるもので一向にかまわないようです。

ただ、例えば日本の牛丼のように飯に汁をかけるのと逆に、通常は汁の入った器に飯を入れます。

 

スーパーカップ もやしみそラーメン

スーパーカップ もやしみそラーメン

話が逸れますが、北朝鮮で金正日の料理人をやっていた藤本健二がテレビで語っていた話によりますと、北朝鮮ではスーパーカップのカップラーメンが兵士に褒美として与えられ、兵士は麺を食べた後のスープにご飯を入れて食べたとありますが、これも朝鮮半島の伝統的な食べ方に沿ったものなのかも知れません。

韓国風混ぜご飯ビビンパブ

韓国風混ぜご飯ビビンパブ

一方、韓国風まぜご飯のビビンパブに代表されるような丼ものは、とにかく上から下まで徹底的にかき混ぜて、その結果、料理の素材がなんであったか分からなくなってしまう事が多いです。

日本では卵かけご飯や納豆はともかく、このように料理をかき混ぜるやり方は行儀がよくないと考えられていますが、朝鮮半島ではまったく問題ありません。

かえって徹底的にかき混ぜる事によって、独自の風味や香りが増すと受け止められています。

このほかでは、床暖房施設のオンドル式部屋で食事をとるため、客人の前で片ひざ立ててたり、あぐらをかいて食べても無礼になりません。

というよりもこれこそが、朝鮮半島における「正座」にあたります。ひざを折って座る日本式の正座は、恭順(きょうじゅん)の意を表すときの座り方で、上司や年長者など目上の人の前に出た時のみ行う座り方です。

しかし、それも「楽にしなさい」の一言ですぐにあぐらをかくのが普通となっています。

また、最近では洋風のテーブルに座る事が多く、若い人の間では少なくなってきているとはいえ、女性は片ひざ立ちして食事を取るのが正式な礼儀作法とされています。

朝鮮半島の挨拶としては「アンニョンハシムニカ(安寧でいらっしゃいますかの意)」が有名ですが、これは1960年代に一般化したあらたまった用語で、長い間「食事は済みましたか?」が挨拶言葉でありました。

これは食事をわかちあう仲間意識と、食に対するこまやかな価値観が生んだ言葉といってよいでしょう。

様々な食事作法の違いの背景には、多種多様な料理の存在、ひいては料理を盛る食器の素材の違いも影響しているかも知れません。
下にある素材別の分布図は1400年代末期のものですが、おおむね地図のようになっています。

 

食器の素材(1400年代末期)

食器の素材(1400年代末期)

以上でコラムは終了ですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?