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食の歴史その48~古代ローマ庶民の接待ディナー

1 12月

こんばんは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回は古代ローマのディナーには金持ちのディナーについての文献は美食を極めたものなど、沢山ありますが。庶民のディナーを書き記したものは珍しいので、庶民のディナーを優先的に取り上げてみようと思います。

童話作家グリム兄弟

グリム兄弟

後にグリム童話を編集するグリム兄弟やシェイクスピアにも影響を与えた古代ローマの詩人オウィディウスが書いた作品に、ロウで作った羽で空を飛び最後は墜落してしまうイカロスの話などの有名なエピソードを複数収めた『変身物語』があります。

フィロモンとバウキスの家の、ジュピターとマーキュリー

バウキスとピレーモーンの家の、ジュピターとマーキュリー

この中に神々が旅人に変身して村人の家でディナーをご馳走になる「バウキスとピレーモーン」という話がありまして。庶民のディナーが描かれていますので、これを中心に取り上げていきます。

天空の神ジュピター

天空の神ジュピター

天空の神ジュピターと、父ジュピターのお供するために翼の着いた靴を脱いだマーキュリーの親子が旅人に化けて。バウキスとピレーモーン老夫婦の家にお邪魔しますと、老夫婦は荒い布をかけた椅子を出し。二人はそこに体を休めます。

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それから囲炉裏の灰を掻き分けて昨晩の火種を見つけ、木の葉や乾いた樹皮に火を移して息を吹きかけ燃え立てたら、その炎で細かく割った薪を燃やし、水を張った銅鍋を暖めていきます。

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鍋の水が温かくなると、菜園で取れたキャベツを取り出して刻んでから煮込むのですが。今も昔もキャベツの芯は捨てています。

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刻んだキャベツと同時に二又のフォークで取ったベーコン細かく刻み、キャベツと一緒に煮込んで柔らかくなるまで待ちます。

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こうしてベーコンとキャベツのシチューが出来るまでの間、客と談笑しつつ桶にお湯を入れて客の手足を温めたりもします。

ついでに、古代ローマ時代はシチューの事を「オフエラ」と呼んでいました。

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シチューが出来るまでの前菜のことを指す「プロムルシス」が用意され。この前菜はゆで卵から始まり、オリーブの実、サクランボみたいに実った山グミ、酒かすに漬け込まれた大根、ヤギのチーズなどが皿に盛られて出てきます。

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古代ローマのゆで卵の特徴は貴族も金持ちも庶民も何故かお湯で茹でず、囲炉裏の熱した灰の中で卵を加熱し、ゆで卵を作る事でした。

ワインを水と混ぜる時に使うクラテル

クラテル

前菜が終わるとワインと水をクラテルという器で混ぜて出し。それからシチューが運ばれてメインディッシュを意味する「ケーナ・プリマ」が始まります。

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メインディッシュのシチューが片付けられると。蜂蜜とともにデザートにクルミ、イチジク、ナツメヤシ、スモモ、ブドウが運ばれ、最後のしめにリンゴが出ます。

古代ローマでは前菜の卵から始まって、しめにリンゴを出して終える事から、「初めから終わりまで」という意味で「卵からリンゴまで」という言い方が生まれました。

古代ローマのベッド

古代ローマのベッド

こうしてワインを飲みながらのデザートがなくなるとディナーは終わり。夜明けとともに起きて日没とともに寝るのが普通だった庶民はベッドを用意し、囲炉裏の火で部屋が暖かいうちに客を眠らせます。

古代ローマ庶民のベッドは柳で出来たベッドに綿が詰まって温かい布団をのせ、その上にシーツをかけていました。

古代ローマの詩人オウィディウス

古代ローマの詩人オウィディウス

以上が古代ローマの詩人オウィディウスの描いた庶民のディナーでしたが。彼は同じ時代を生きた他の詩人と違い、パトロンやタニマチを持たず。ギリシャ神話を参考に書いた『恋の歌』があまりにもエロチックだったために実際に読んだ皇帝が激怒し、罰としてローマから地方の田舎へと飛ばされた人なので、そういった立場から田舎の庶民の生活を見て書き残したのでしょう。

以上でコラムは終わりですが。皆さん、いい暇つぶしになったでしょうか?

今夜は冷えますので、自分もキャベツとベーコンでシチューを作って体を暖めるとします。

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食の歴史その45~古代ローマのディナー準備~

16 9月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回もビジュアルでわかりやすくするために画像を多用する予定です。

古代ローマでは「ケーナ」と呼ばれたディナーを貴族や金持ちが主催する場合、召使いが家から家を訪問し、口頭や紹介状で日時などの詳細を伝え。出席を確認しますと主催者は忙しくなります。

まずは召使いを集めて予定を伝えるばかりか、屋敷の中を巡って直接監督し。粗相がないよう、恥をかかないよう気配りするものでした。

特に気配りしたのは冷蔵庫のない時代。新鮮な食材とその吟味に神経をすり減らしました。

東京なら上野か浅草にあたるスプラの通りは売り買いの喧騒が激しく。露天や屋台の市場が立ち並び。野菜、魚介類、牛、豚、羊の肉などが並び。ガリア(現在のフランス)から運ばれてきたニワトリ、ガチョウ、アヒル、ウズウなども並んでいました。

スプラは市場だけでなく盛り場、遊び場としてローマ人に認識され。南国的で底抜けに陽気な場所でもありました。

ジュリアス・シーザー

ジュリアス・シーザー

ジュリアス・シーザーはこのスプラ付近に屋敷を構え、庶民と気安く付き合って人心を掌握していきます。

しかし、スプラは貴族や金持ちからしますと。安く仕入れる場所と見なされ、位の高い人にスプラで安く仕入れましたとも言えないし、舌の肥えた美食家なら言わずとも見破られたりしますので、カエサルの市場、トラヤヌスの市場と言われる現在の百貨店に相当する場所で鮮度のいい食材を仕入れるばかりか。時には料理人の組合に頼んで優秀な料理人を出張させてもらったりしました。

トラヤヌスの市場の最上階にあたる5階には海水プールと淡水プールの生簀(いけす)があり、ここではドーバー海峡を越えたイギリスはロンドンの近くの港町ルトゥピアエ(現リッチバラ)から数十日かけて運んできたローマで最上級とされたカキも生のまま仕入れる事ができました。

高級食材は新鮮魚介類ばかりでなく、遠くインドから取り寄せたために100倍の値段で売られていたコショウなどのスパイスなどもありました。

大プリニウス

大プリニウス

この珍しいコショウについてプリニウスは。

「ただピリっとするだけのコショウが珍重されるのは異常なことである。美味しい料理を食べたければ、腹を空かせればいいだけなのに・・・」

と書き記してあります。

ローマでのガルムの製法

ローマでのガルムの製法(文字が見づらい時は画像をクリックして拡大させてください)

コショウのような異国の珍品と違ってディナーに必要不可欠だったのは万能調味料の「ガルム」でした。

「ガルム」はタイのナンブラーのような魚醤(ぎょしょう)の一種で上に乗せたガルムの製法の図にあるように天日で腐らせた様々な魚を合計8ヶ月以上かけて塩水に漬け込むと魚肉のタンパク質が分解されてうま味成分のアミノ酸に変化していきます。

こうして完成したものを麻の布で濾過(ろか)された液体を「ガルム」、濾過した時に残る固形の残りかすを「アレク」と分類され、貧しい庶民は固形のアレクを粥に混ぜて食べていました。

ガルムは種類も豊富でマグロの内臓とエラと血液で作られたガルムが最上級とされ、現在の値段にすると3リットルで600万円近くの値段になりました。

このガルムは元々魚を腐らせたものなので、製品になっても大変魚臭く、古代ローマの料理書を書いたとされるアキピウスは、月桂樹と杉で燻してからブドウの果汁を加えて独特の臭みを消したと言われています。

皇帝ネロ

皇帝ネロ

このアキピウスは皇帝ネロの時代に大勢の料理人を雇い洗練された料理を創造したりもしていました。

自分の料理の知識を人にも伝えようと料理学校を開き、『ラルス・マギリカ』という古代ローマの料理書も残します。

アキピウスの料理書には卵料理も多く、カスタードプリンもアキピウスのアイディアだと言われています。

しかし、皇帝ネロの家庭教師セネカによりますと、ローマの大火事のあと黄金宮でネロが行った饗宴にならってアキピウスも当事のセレブを呼んだ大規模な晩餐会を開き、数十億円もの財産が湯水のように費やされました。

そしてある日。残った金額が現代の金額にして10億円相当の1千万セルティウスになった時。もはや宴を続ける事が出来ないと悟り、友人を招いて晩餐会をしたあと、財産がなくなり飢え死にする事を恐れて毒を飲み自殺したという伝説を残し、後世にはアキピウスの名を借りてペンネームにもされました。

古代ローマ人がいかに際限なくお金と労力をつぎ込んで食材、料理人の調達を行ったか書いてみましたが、次回は「ケーナ」というディナーに招かれた客の方のマナーなども書いていきたいと思います。

皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その33~食と健康をめぐる迷信を科学する~

22 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今日も図で解説しますので、画像を一つ入れようと思います。

 

戦前、戦中生まれの老人ですと、ウナ丼を食べた後に梅干を口に入れるとハッと気がつき、慌てて正露丸を取り出す人が近所にいましたが。

このように、異なる食品を同時に食べると有害と考える事を、古くから「食い合わせ」と呼んできました。

ウナギと梅干をはじめ、天ぷらとスイカ、カニとカキ氷、うどんとスイカ、ドジョウとトロロなどが代表的な食い合わせですが、実際には数え切れないほどあります。

こうした言い伝えは、古くは平安時代にまで遡ると言われ、江戸時代の儒学者である貝原益軒(かいばらえきけん)の健康教訓書『養生訓』の中にも、食い合わせ食品のリストが挙げられています。

これらの食い合わせを検討しますと、熱いものと冷たいもの、消化の良くない食べ物などがある事に気づきます。

しかし、科学的にはほとんど根拠がなく、現在では迷信とされ、ゆとり世代などの層になると食い合わせという言葉自体を知らない人も多い事でしょう。

食い合わせは日本的な食のタブー一種ですが、もともとは古代中国の陰陽思想を端に発しています。

陰陽は宇宙の万物の相反するものを陰と陽に二分、その組み合わせによって吉凶を占う易学の思想で、後にこれが日本に導入されると食生活の面に「食合禁(しょくごうきん)」つまり食い合わせを生んだと見られます。一部では早くから迷信と指摘されていましたが、民間では戦前まで大真面目に信じられていました。

食い合わせと似たような迷信に、中南米や東南アジアなどでみられる「温冷説」があります。

これは、すべての食べ物を温と冷に二分した分類法で、温、冷の基準は体温となります。

つまり、人間の体は非常に繊細に出来ており、熱くなりすぎたり逆に冷たくなりすぎると、ときには死に至る事があるから、食べ物の選択にあたってバランス良く取らなければならないという思想です。

<図表>にも見られるように、肉類などの動物性食品や脂肪の多いものは温に、野菜類や乳製品は冷に分類される事が多いです。

しかし、これは固定化された概念ではなく、地域や民族によって代わる場合も少なくありません。

例えば、卵はタイでは冷のほうに分類されますが、バングラデシュでは温のほうに分類されます。

東南アジアにおける温冷食の習慣は中南米ほど厳格なものではなく、最近では若年層はこだわらない傾向にあります。

もともと血液は温、母乳は冷の性質を持つと考えられていますが、一般に温冷説の背景には、女性の生理サイクルと結びつける事が多いです。

例えば、出産は母体の体温を大きく奪うために、それを補う意味でも出産・授乳期間は積極的に温の食事を取るようにすすめられ、これによって全身の血行をよくして貧血を防ぐ事ができると信じられています。

このような方法は栄養学的に理にかなっている点が多く、一概に迷信だからと言って軽んじるべき物ではありません。

食品を二つに分類する方法論は、ユダヤ教の戒律や中国の陰陽思想とも通じるものがありますが、この思想は古代ギリシャ、古代ローマに発生しアラブ世界に伝えられたと言われています。

のちにイスラム勢力のスペイン侵攻にともない再びヨーロッパ南部に逆輸入され、コロンブスなどが活躍した大航海時代の波に乗る植民地政策で中南米や東南アジアに持ち込まれたと見るのが、現在の定説となっています。

話を日本の食い合わせなどに戻しますと、「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがありますが。文字通りに読めば、秋口のナスは味が良いので憎い嫁に食べさせる道理はない、と世に言う「姑(しゅうとめ)の嫁いびり」となっているが、それだけではない様々な解釈がみられます。

秋茄子はあくが強く体にさわるものなので、かわいい嫁の身を案じて食べさせるなという、まったく逆の例えをする説も根強いです。

ナスはヒスタミンという物質を多く含み、人によってはアレルギー症状を引き起こすとも言われ、味が良いからといって食べすぎると夏の暑さで弱った胃腸をこわしかねない。

こうした点を戒めたことわざと、一般には解釈される事が多いです。

中には、秋茄子は種が少ないので、子種がなくなることを案じた縁起かつぎだとする説もあります。

いずれの説にせよ、ことわざながら迷信のようなものだから本音部分はわからない。

しかし、故事とことわざに引き寄せた食のタブーは世界各地に無数にあります。

なかでも出産や授乳に関する食のタブーが特に多く、殆ど世界中でみられます。

生まれてくる子供にイボがつきやすいから「妊婦はタコを食べてはならない」、双子が生まれやすくなるため「二股ダイコンは食べない方が良い」といった根も葉もない迷信がまかり通っています。

また、スリランカでは「妊婦はネズミなどのげっ歯類やウミガメを食べるな」との迷信がみられます。

食べた動物に外見のよく似た子供が生まれるからというのが禁止の理由ですが、このような肉を本格的に食べる習慣が明治までなかった日本では首をひねる話です。

セックスと結婚にまつわる食のタブーの迷信も少なくありません。

インドで言う「女性は卵を食べない方がいい」は、多産なニワトリの習性から淫乱な女性になりかねないという戒めだとか。

しかし、インドネシアの「未婚の男はニワトリの手羽先を食べると結婚ができない」は現地語の「手羽先」と「拒否」の発音が似てることによる語呂合わせだったりします。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

自分は食い合わせを気にしないので、もらったスイカを食べた後、夕食に天ぷら蕎麦でも頂こうと考えています。

食の歴史その30~ジャガイモと大正日本とコロッケ~

16 7月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今日は画像をふんだんに使ってビジュアル的にも理解しやすくなればと願っています。

大正6年(1971年)は、外国では第1次世界大戦がまだ終わらず、ロシア革命など歴史的な出来事が起こっていましたが。日本の帝国劇場や東京の下町、浅草オペラで「コロッケの歌」が上演され、目新しいものが好きな江戸っ子がコロッケに興味を持ち、次第に家庭での手軽なおかずになっていきました。

ホワイトアスパラのクロケット、トリュフマヨネーズと共に

ホワイトアスパラのクロケット、トリュフマヨネーズと共に

このコロッケは元々はフランス料理の付け合せで、正しくは「クロケット」と言いまして。

このクロケットはジャガイモを使わず、肉や海老を主な材料で作り、ホワイトソースで和えてから、形を整え、フライパンで焼いた付け合せ料理でして。日本人のイメージにあるコロッケとは程遠いもののようです。

フランス料理のレシピを見ますと、デザートとしてリンゴを使ったクロケットや作り方を見てるだけでうんざりするほど面倒な手順で作ったりして、とても庶民の料理とは思えない代物だったりします。

日本では明治の文明開化とともにクロケットが入ってきますが、明治5年(1872年)に書かれた『西洋料理指南』では、ジャガイモとひき肉を使って牛脂で揚げるとあるので、今の肉じゃがコロッケに近いものが紹介されています。

明治31年(1898年)には日本橋の浜町にあった吉田という蕎麦屋のメニューに鶏肉たたきを材料にしたコロッケを乗せた「コロッケそば」が出てきます。

東京ではそばに冷たくなったコロッケを乗せて食べるメニューが立ち食いそばに当たり前のようにありますが、考えれば100年以上前からあった伝統的なメニューだったりします。

そして、大正5年には民間の料理書に洋食の雰囲気がある立派なコロッケの作り方が出てきます。

下に作り方を書きますと、

「牛肉のひき肉200g近く、ジャガイモ5個、小麦粉少々、卵1個、パン粉少々、牛脂、ウスターソース、バター少々、塩を用意。

牛肉のひき肉をバターで炒め、塩で味付けし、ジャガイモは皮をむいて茹でてから裏漉し(うらごし)にかけ、牛肉のひき肉と混ぜてちょうどいい大きさに丸め、小麦粉をまぶし、卵をつけ、パン粉をつけて牛脂で揚げ、ウスターソースを添えて出す。」

そうして出来上がったコロッケは下の画像のようになります。既に現在のコロッケと変わりないです。

肉じゃがコロッケ ウスターソース添え

肉じゃがコロッケ ウスターソース添え

こういった西洋の料理を日本風にアレンジしたもののパイオニア(先駆者)は戦前ですと、海軍だったりします。

明治41年(1908年)発行の『海軍割烹(かっぽう)術参考書』にはフィッシュコロッケ、ビーフコロッケ、エッグコロッケなど3種類のコロッケが登場してきます。

3つめのエッグコロッケは皮をむいたゆで卵に合いひき肉を味付けしたもので包んでパン粉または砕いたポテトチップをまぶして揚げるスコッチエッグです。

研究家にとってもスコッチエッグを基にしたエッグコロッケの作り方が珍しいようで、図になっていますので、下に出してみます。

このようにコロッケの普及が明治時代になったばかりの頃に北海道で男爵様がイギリスからもちこんで栽培してみた男爵イモはデンプンが多く、ほくほくした食感があり、煮崩れしやすいのでコロッケなどに使われ、東日本で主流の品種であります。

いっぽう、大正時代にイギリスから持ち込まれたメークイーンは荷崩れしずらいので、カレーやシチューに適し、皮もむきやすい品種で、こちらは西日本で主流の品種であります。

こういった男爵イモとメークイーンを代表としたジャガイモの栽培とコロッケ、カレーの普及から、明治時代は25万トンだったジャガイモ生産量が、大正時代には4倍の100万トンにまで膨れ上がります。

そして、日露戦争の日本海海戦でロシアの艦隊を撃破した海軍大将の東郷平八郎がビーフシチューを作らせようとしたらワインやバターが無かったので、醤油と砂糖で代わりを作らせたら肉じゃがができたという伝説があります。

この伝説は出所がはっきりしないので、この話は眉唾ですけど。昭和13年(1938年)の海軍の教科書にある「甘煮」という名前で肉じゃがの原型が登場します。甘煮のレシピを下に出しますと、

「材料は牛肉、こんにゃく、じゃがいも、たまねぎ、ゴマ油、砂糖、醤油。

作り方

1. 油を入れて熱する

2. 3分後牛肉を入れる

3. 7分目に砂糖を入れる

4. 10分目に醤油を入れる

5. 14分目にコンニャクを入れる

6. 31分目にタマネギを入れる

7.こうして35分くらいで甘煮こと肉じゃがが完成」

この海軍の教科書には「醤油を早く入れると、醤油臭くて味を悪くすることがある」とまで補足されており、何分目にどんな食材を入れるかまで時間を細かく指定していますので、おそらく誰が作っても失敗しないようマニュアル化させたものなのだと思います。

最後にトリとして出した肉じゃがですが、各家庭では「おふくろの味」になっていたりと日本人に馴染み深い和食となっている肉じゃがが決定打となったのか。現在の日本のジャガイモ生産量は275万トンまで跳ね上がり。

275万トンのジャガイモのうち、78%を占める215万トンが北海道で作られ、2位が長崎で11万トン、3位が鹿児島となっています。

こうしてスーパーのお惣菜コーナーにはジャガイモを原料にしたお惣菜が沢山並ぶにまで至ります。

最後に、長野県の方とコロッケの話をしていたら「野菜コロッケ知らないの?」と言われ、よく聞きますと、長野県では野菜コロッケがコロッケのコーナーの半分を占めるほどになっていて、冷凍野菜のミックスベジタブルの野菜が具に入っています。

野菜コロッケ

野菜コロッケ

写真を探してきましたが、上の写真のような感じのコロッケです。東京でも野菜コロッケがあったら試しに食べてみたいと思います。

それでは、今日の夕食のおかずは肉じゃがコロッケとカニクリームコロッケにしようかと思います。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

皆さんも気が向いたら夕食にコロッケはいかがでしょう?

食の歴史その26~ユダヤ教と食のタブー~

8 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いてみました。

図表で説明もするため、今回も画像を載せます。

 

世界には様々な宗教と食のタブーがあります。

世界三大宗教と言われるユダヤ教も例外ではなく、興味深い食のタブーもあったりします。

ユダヤ教で食に関する戒律を「適正な」を意味するカシェールを語源とするコシェルと呼びまして、神によって定められた約束事とされており、『旧約聖書』の「レビ記」第11章の中で次のように述べられています。

「……獣のうち、全てひづめの分かれたもの、すなわち、ひづめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べる事が出来る。ただし、反芻するもの、またはひづめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、ラクダ…岩タヌキ…野ウサギ…これらは反芻するけど、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。豚、これはひづめが分かれており、ひづめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、汚れたものである」

このあと魚、虫、と各カテゴリーごとに目録が続きますが長いので割愛して下に食べてもいいもの、いけないもののリストを出しておきます。

獣についてもう少し述べますと、ひづめがわかれていない馬、肉球とも言う、足の裏のふくらみで歩く猫や狐なども食べてはいけないものとされています。

なぜ神は食肉には食べてよいものといけないものと細かく分類し、どんな基準によって分けたのかをい文化人類学者のマービン・ハリスは次のように説明しています。

食べてよいとされた獣を整理すると、ひづめが分かれていて反芻する哺乳類であり、さらに付け加えれば、乳が搾り取れ、食料が人間と競合しないうえに、おおむね群れをなしているので、家畜にしやすいなどの合理的な理由もあると説明しています。

反芻する哺乳類はすべて草食動物ですが、これらは人間の食用に適さない固い繊維質の植物、たとえば草やワラ、切り株、木の葉などを食べて大きくなります。

飼育のために人間にとって大切な穀物を与える必要がないばかりか、肉やミルク、皮を提供してくれる上に移動や農作業などの労働力としても十分に使えます。

このような特性は食べてよいとされる動物とされるにあたって極めて重要で、肉を得るための家畜化が簡単で、雑食や肉食獣の動物に比べたら元手がほとんど掛からないなどがあって、ひづめが分かれて反芻する動物は食べても良いとされた最大の理由と考えられています。

最初は反芻するかしないかが条件でしたが、ひづめ云々は後付けで加わったとされてあり、その理由としてはラクダを食べてはいけないほうに分類するためだったと考えられています。

定住した農耕民であるユダヤ人は、ラクダをほとんど使わず、その代用として牛や羊を利用してきました。

ラクダはきわめて繁殖が遅く、しかも産むのは一頭で離乳期間も1年近くに及ぶなど、食肉にするには効率が悪いので、反芻以外にも複雑な条件を持ち込んでタブーとしたのは古代ユダヤ人の経験から基づく比較的合理的な理由を神の言葉として『旧約聖書』に書いたのだろうと推測されています。

コシェルは上に出した図表に示したように、哺乳類以外にもおよんでいます。

魚では、ヒレとウロコがあるものと限定され、これによってイカやタコ、カキ、ハマグリなどが禁止されています。この点からボンゴレやグラムチャウダーが好きな自分としては絶対にユダヤ教には改宗できないと思っています。

鳥は羽毛があって空を飛び、かぎ爪がないものが食べても良いとされ、逆にワシ、ハヤブサ、カラスなど20種類が食べるのを禁じられていますが、それらの大半は肉食の猛禽類(もうきんるい)や雑食性であります。

虫の中でイナゴが食べてよいとされたのは、比較的体が大きく、1度に大量に捕まえる事ができるため、効率が極めて良い点を評価されたのでしょう。

しかも、穀物を食い荒らす虫なので、害虫駆除となって一石二鳥でもあります。

また、食材ばかりでなく、調理法殺し方にもややこしい規定があります。

調理法では、魚をのぞく肉類と乳製品を同じ道具で煮炊きしてはならないとされています。

獣とそれが生み出したミルクは親子関係にあると規定され、「子ヤギをその母ヤギの乳で煮てはならない」が拡大解釈されて肉料理にバターを使ったり、クリームソース入りのソースを添えたりも出来ません。

日本の親子丼も拡大解釈されたらご法度になるかも知れません。

そんな戒律のため、イスラエルのマクドナルドでユダヤ教の戒律を守っている店は青い看板で、チーズバーガーを注文しますと、ご丁寧に「チーズをつけますか?」と言われるとの事です。

どうしても肉を食べた後に牛乳が飲みたかったら、牛肉を食べてから6時間待てばよしとされ。

反対に乳製品を食べたら30分間は牛肉を食べてはいけない。

しかも、調理は別々に行うのが原則ですから、チーズ用のまな板と牛肉用のまな板と別々に用意しなければならず、日本人にとってややこしいことこの上ありません。

より熱心なユダヤ教徒になりますと、牛乳と牛肉を同じ冷蔵庫に入れず、食材ごとに使用する調理器具も使い分けています。人によってはミルク入りコーヒーさえ遠ざけているそうです。

他にも観光者の話として、土曜日に煙草を吸ったら何故か怒られまして、それはユダヤ教の休日が土曜日で日曜日は普通に働きに行く日なので、その休日である土曜日は喫煙さえ戒律で禁じられているようです。

以上でコラムは終わりですが、いい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その25~ヒンズー教はなぜ牛を神聖視するのか?~

7 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

今回も地図で説明するために画像を幾つか貼り付けます。

宗教には戒律などによってタブーがあるものですが、有名なのはユダヤ教、イスラム教で豚肉を食べる事を禁じる事ですが。

インドのヒンズー教が牛を食べる事を禁じるタブーを皆さんも何となく聞いた事があるかと思います。

ユダヤ教、イスラム教で豚が汚らわしい動物となっているのに対してヒンズー教では牛は神格化された動物として祭り上げられています。

その意味でヒンズー教はユダヤ教、イスラム教と好対照となっております。

それは中央アジアかたインドへやってきたアーリア人と関係がありますので、インドへやってくるまでの地図を出します。

注釈しますと、地図にある数字の語尾についている「BC」は紀元前を意味します。

ですので、「20~17BC」とあったら紀元前20世紀~17世紀。およそ4000~3700年前という認識をしてくれればと思います。

およそ4000年程前、中央アジアの遊牧民であったアーリア人にとって、牛は貴重な労働力であり、牛乳やバターの供給源であり、糞も肥料や燃料になったりと、牛は彼らの生活に欠かせない存在だった事から、古代から崇拝の対象になったとされています。

その牛を崇拝するヒンズー教の神学者によると、牛には3三千万の神々が宿っていると述べています。

雄牛はインドを襲う暴風雨と生命を宿す水を運ぶ二面性から破壊と再生を司るヒンズー教の三大神のシヴァ神の乗り物として信仰の対象であり、雌牛は『旧約聖書』のモーゼのような出生伝説があり、民衆から人気の高いクリシュナ神の従者である事から、今も牛殺しは親を殺す事より重罪とみなされています。

したがってヒンズー教徒にとっては、牛は聖なる獣であって、食用にしようという発想は毛頭ありません。

経済用語の「BRIC’S(ブリックス)」は経済成長が著しいブラジル、ロシア、インド、チャイナの略称で、今も経済発展が続き、インドの外周を1週したり、十字架のような形でインドの東西南北を真っ直ぐ横断できる広大な道路網などを急速に整備している現在も野良牛が路上をうろついている光景を目にしますが、牛は神の使いなので、わざわざ牛と牛の糞を避けて通ったりしていまして。それが渋滞の原因になることもしばしばだと聞いております。

それどころか、クリシュナの祭りでは牛の群れが通り過ぎるまで人々はひざまずいてこれを待ち、落としたばかりの牛糞を額に塗ってお恵みにあずかろうとします。

ヒンズー教の僧侶になりますと、牛を世話するのこと自体が信仰のあかしであり、どの家庭も牛を飼う事によって宗教的な喜びを得るべきだと説いています。

1996年にマクドナルドがインドに出店しましたが、むろん牛肉は使われておりません。

羊の肉で作った「マハラジャ・マック」をはじめ水牛の肉、鶏肉などで代用していますが、それでも行列ができるほどの人気があったといわれています。

同じ牛でも水牛は死神の乗り物とされ、殺そうが食べようがヒンズー教徒の間ではまったく問題視されていないそうです。

いっぽう、豚に対してはすさまじい拒絶反応をみせるイスラム教徒は、こと牛に関しては食用とみなすことに罪悪感もなく。うまい牛肉を食べるために牛は存在しているのだとばかり、インドに総人口の13%もいるイスラム教徒のあいだでは密殺が絶えず。

「神の従者」がこっそり処分される件数の急増に驚いたヒンズー教団体は、近年、ウシの養老院とでもいべき施設「老牛の家」を各地に設置し、手厚い保護対策にのりだしているほどです。

このように牛に対する価値観の違いから数百年にわたって続く不毛な争いを繰り返してきましたが、ではなぜころほどまでにヒンズー教徒は牛を神聖視するのでしょう。

冒頭でもふれたように、かつて遊牧民であったアーリア人は3500年ほど前に北インドに侵入したが、そのころは牛の食用にまったくタブーがありませんでした。

それどころか、宗教的な行事には牛を生贄として捧げたとされています。

3000年ほど前の北インドではもっとも好まれた食肉は牛肉だったと伝えられております。

その後、インドという高温多湿な気候条件に合わせながら、アーリア人の生産形態は遊牧民から定住する農耕民へ移っていきました。

しかし、定住によって人口は急増したものの、それに見合った食料を生産するには、さらに農地を拡大しなければならず。

こうして、草地や森林が農耕地へ姿を変えていくのにさほど時間は掛かりませんでしたが、相対的に牛に食べさせる飼料は脅かされるようになってきました。

そこで人々は、収支バランスの立場から次のような結論に達したと言われています。

牛肉を得るために広大な放牧地を確保して牛に穀物飼料を与えるよりは、その土地で収穫された穀物を直接人間が食べた方がはるかに効率がよいのではないかと。

この考えは合理的で正しく、具体的に説明しますと、1キロカロリーの牛肉を作るには10キロカロリーの穀物が必要です。

つまり牛一頭養える穀物があったら人間10人を養う方にまわした方が合理的なのです。

さらに、北インドのような硬い土を耕すには牛は欠かせない貴重な労働力であり、牛は牛乳やバターなどを提供してくれるエネルギー源でもあります。

さきほども述べたように糞は肥料や燃やして燃料にも利用できますので、まことにいい事ずくめの家畜をわざわざ殺して食べる無意味さと非合理性に気づいたのだろうというわけです。

近代までの日本もヨーロッパもそうでしたが、定住する農耕民は家畜を安易に食用とするような真似は絶対にしませんでした。

家畜として生かし利用しつくしたほうが、殺して食べるより利益が大きい事を経験則から知っていたのです。

このような背景から、ヒンズー教のあいだでは、次第にウシは人々の生産活動に深くかかわる大切な家畜とみなされるようになっていきました。

さらに、その牛の体内には無数の神々が宿っているとの解釈を後ろ盾にしながら、単なる家畜であった牛は、神聖さをそなえた聖なる動物として大きく変化していきます。

だが、それでもなお、貴族や王族などの支配階級の一部が牛を宗教的な理由で生贄に捧げて殺したり、食べたりする習慣が絶えませんでした。

2400年以上前に釈迦によって仏教が生まれましたが、この世界初の生き物すべての殺生を戒めることを提唱した考えは、動物であれ人間であれ、殺生をとがめて動物の生贄を禁止し、動物を殺す者を非難した。

この考えは、牛を神聖視しつつあったヒンズー教に大きな影響を与える事になります。

もちろん、仏教は牛肉を食べる行為をことさら悪行と説いたわけではありません。

むしろ、動物殺害に直接関与しなければ肉食にも寛容だったし、釈迦自身も亡くなるまで肉を食べていたと言われています。

こうして釈迦が仏教を広めて200年ほど経ったころのインドでは、牛を食べる事を禁止する習慣がかなり浸透し、同じころに編纂された『マヌ法典』によれば、

「肉は生き物を損なわずしては決して得られず。而(しこう)して生類を損なうは天界の福祉にさわりあり。ゆえに肉を避けるべし」

と牛を中心とした肉食を禁じる記述が見られる。

これがのち仏教の生き物全般を殺さない戒律を取り入れたヒンズー教に影響を与え、神は肉を食べない、だから生贄は意味が無い、という論法を持ち出して大衆の支持を得て、1500~1600年ほど前にはヒンズー教の教えの一つとして定着しました。

現在にみられる牛のタブーは、こういった経緯があって始まったとされています。

以上でコラムは終わりですが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その24~イスラム教はなぜ豚肉を禁じるのか?~

6 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

また、説明に地図を使うので。画像を出します。

古来、世界各地でいわれなき偏見やタブーにさらされた肉は少なくありません。

豚肉はそれらの筆頭にあげられ、豚肉を食べる事を禁じるユダヤ教、特に広く分布しているイスラム教での忌み嫌われぶりも半端ではないです。

たとえば厳格なイスラム教徒となりますと、豚肉が鍋や包丁などの調理器具に触れているかも知れない可能性を恐れ、一般のレストランを避けて、わざわざイスラム教徒専用レストランで食事を取るなど徹底しています。

イスラムの戒律が比較的ゆるいインドネシアでも10年ほど前、味の素の製造過程に豚の成分を使用したという事実が発覚して逮捕者が出たりと大騒ぎになった事もあります。

科学的には味の素という製品になった時点で豚の成分は消滅しているのですが、イスラム教では食用禁止にあたるのだそうです。

ではなぜ、そこまで豚を嫌うのか聞くと、豚を嫌う当事者であるユダヤ教徒、イスラム教徒も明快な答えを出せなかったりします。

そういった事情から生理的な嫌悪感や食わず嫌いとも言えるでしょう。

イスラム教の開祖マホメットによる『コーラン第五章の食卓の章には、

「死んだ獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ邪心に捧げられたもの、絞め殺された動物、撃ち殺された動物、また猛獣の食らったもの」

などは食べてはならないとされてあり、第六章の家畜の章にも「死肉、流れ出た血、豚の肉、これらはまったくのけがれもの」などとタブーであることを強調しています。

イスラム教徒が豚肉を嫌う最大の理由は、これらの戒めを遵守しているからにほかならないのです。

ちなみに、イスラム世界で禁じられた肉は「ハラム」と呼ばれ、逆に食用にしていい肉は「ハラール」と言われています。

ユダヤ教の聖典『旧約聖書』の「レビ記」「申命記(しんめいき)」の中でも、全知全能の神ヤハウェ(エホバ)は事細かに食肉のタブーを命じています。

数ある動物のなかでも、

「ひづめが分かれたもの、ひづめが二つにきれたもの、反芻(はんすう)するもの」

という条件をクリアしないといけませんが、豚は反芻しないという理由で、けがれた獣としてタブーにされてしまいました。

ユダヤ教を母体とするイスラム教は『旧約聖書』の教えの一部を受け継いでいるものなので、タブーとした根源が『旧約聖書』が由来とみても差し支えないと言われています。

このような背景から、豚を禁じるのは宗教に根ざしたものと思われるが、ではなにゆえにヤハウェやマホメットが豚を禁じてしまったのだろうかと言いますと。

豚は人糞も含むあらゆるものをむさぼり食う大食漢で、鈍重なうえに、発情期が21日周期で年中繰り返すといった性欲のを持つ習性が、不潔で汚らわしいというイメージをかきたてられ、ブクブクと醜く肥え太り、どうひいきめに見てもスマートさとは程遠い。

「この豚野郎!」

という感じの、ののしりの言葉が世界共通の代名詞にもなっているほどなので、比較的に禁欲主義的なユダヤ教やイスラム教とは相容れない家畜と、そうそうに決められてしまったのかも知れません。

事実、現在のイスラム法学者たちの多くは、

「アッラーが豚肉を禁じた第一の理由はそのいやしい習性と食べ物がきわめて不潔である豚の生態そのものにある」

と解釈する傾向が強いそうです。

しかし、豚は清潔好きな動物で知られており、悪しき本章とみられるのは飼育する側に問題があるためです。糞を食べるという理由にしても好んで食べるわけではないし、場合によってはニワトリ、ヤギ、ウサギ、イヌも糞を食べる習性があったりしますので、根拠が弱かったりします。

いっぽう、牛やヤギはミルクをはじめとする乳製品を、羊は羊毛を、ニワトリは卵をといったように、肉だけにとどまらず、様々な副産物を提供してくれる家畜ですが、豚は労働力にもならなければ、毛も繊維には向かない。

結局、豚は肉以外に利用価値がないから差別の対象になったのだろうとする意見もあります。

これらの動物の習性論に取って代わったのが、食衛生と生態環境の両面から解釈しようとする試みでして、要約しますと。

第1に、中東のような暑くて乾燥した地域では、豚肉は腐りやすく、これを食べると食中毒にかかりやすい。

第2点は、不潔な食べ物を摂取する豚は病気に感染している危険性が高い。

第3には、絶えず移動を強いられる遊牧中心の中東では、定住性の家畜である豚は生態環境に適さない、

などといったものです。

これらの点を案じた古代の人たちは、生活を合理的に営む知恵として、神の啓示という建前を駆りながら豚肉を食べる事をタブーにしたと考えられております。

豚の祖先は適度な湿度と大量の水に恵まれた河岸を住みかととしてきたと言われています。

このため、豚の体温調節システムは高温で乾燥した場所で生息には適していない事だけは確かです。

そもそも、汗を出す汗腺をほとんど持っていないため、自ら体温を調節することが出来ない。

豚が泥の中を転げまわっている光景も汗を流す事ができない豚の体温冷却のための生理的な動作だったりします。

したがって、中東で養豚業を営もうとすると、風通しの良い場所を選び、直射日光をさえぎるための日陰や水を蓄えた土地を人工的に作る必要があり、飼育してもコストが大変悪い。

飼育するコストが大変悪いのは中東に限った話ではなく、乾燥地帯の遊牧民全てに当てはまる法則だとも言われています。

だが、3000年ほど前まで古代の中東では豚を抵抗無く食べていたことは、各地の遺跡による大量の骨の発掘で証明されていますので、環境条件だけを、タブーにされ続けてきた根拠とするには、根拠が弱かったりします。

諸説入り乱れる中で、最近では古代ユダヤ人による善悪二元論的な世界観に基づいた「肉食可否の分類法」が有力説として浮上してきています。

これは自分達の食体験にのっとって、食べていいもの悪いものを振り分けておけば食生活の安全上の目安になるうえ、肉を得るための家畜化する判断基準にもなりうると考えた一種の○×法です。

この法則によって、草食動物はOKだが肉食動物は駄目という単純な図式が定着したのですが、雑食性とあいまいな動物、とりわけ豚は○か×か判断に迷う正体不明な動物と見られたのでは?と言われています。

一方、乾燥地帯の中東には不向きでコストが高い豚の飼育は中東では重要な農牧とは言えず、タブーになったからといって経済面でもそれほどマイナス要因にならなかっただろうと推測されています。

コラムは以上ですが、いかがでしたでしょうか?

次はヒンズー教やユダヤ教の食のタブーについてもとりあげてみようと思います。