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食の歴史その35~古代ローマの食卓とパン~

29 7月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願い、コラムを書いて見ました。

まずは下の古代ローマ珍味一覧図をどうぞ。

古代ローマの珍味

古代ローマの珍味

イタリアのローマは2000年前にはローマ帝国の中心として栄えギリシャ料理の影響と中東から入ってくる珍しい食材の流入により、上流階級の食卓は贅を凝らしたものとなりました。

映画『サテリコン』

映画『サテリコン』

キリスト教を弾圧した暴君ネロの宮廷に出入りしていたペトロニウスが『サテュリコン』で肉を中心とした美食を飽くことなく語り、その少し前に美食に命を捧げた大金持ちのアピーキウスは、ラクダの踵(かかと)を材料にした料理やフラミンゴの舌、雌豚の子宮などへの嗜好を著作に書き留めています。

大カトー

大カトー

だが、こうした極端な美食はごく一部の上流階級の食べ物であり、大多数はどういったものを食べていたかと言いますと2200年ほどまえの政治家、大カトーが『農業について』で述べており。

ホラティウス

ホラティウス

2000年前の詩人ホラーチウスが『歌章』で書かれている食卓のほうが大多数の古代ローマの食卓を表しています。

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カトーが友人を招いて楽しい会話が交わされた食卓には、彼の大好物のキャベツをはじめ、穀物スープ、豆、青物野菜、パン、チーズなどが主に出され、肉が出ることは稀でした。

質素ながらも滋養豊富な食卓からは農耕民族らしい植物由来のものであり、古代の食卓ではパン、ワイン、雑穀類・豆類からの粥またはスープ、野菜、それに卵、チーズ、肉がいささか混じれば、それで満足な食卓でした。

シュヴァルツヴァルト

シュヴァルツヴァルト

一方、ローマ帝国を滅ぼす事になるローマの北方に住むゲルマン人の食卓は鬱蒼(うっそう)たる森が広がり、穀物の栽培には向いた土地ではなく、放牧した豚や狩りで得た鳥獣が食事の中心でした。

ローマの歴史家タキトゥスも『ゲルマニア』で

「食事は簡素で、野生の果実、新しい獣の肉、あるいはチーズ」と記しています。

話をローマに戻しますと、古代ローマがイタリアに残した贈り物の一つが「パン」であります。

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既に古代バビロニアや古代エジプトでパン焼き窯が発明されてからギリシャで質が改善され、発酵パンと無発酵のパンの別があり、小麦のパンのほかに大麦、ライ麦や他の雑穀のパンなど様々なパンが焼かれ、そのパンを焼く技術を携えて2500年ほど前からギリシャ人がイタリアやシチリア島に殖民して住み着き、それまで穀物を粉にしたり、粥にして食べていたローマ人に洗練されたパンの技術が伝わりました。

それ以来、古代ローマのお上はパンの供給を正確かつ十分に行う事が、国家の秩序維持のための一大事と心得ており、パン職人学校を作り、特許の組合組織を定めて厳重な統制を行いました。

そのおかげで「パンがなければケーキをお食べ」という事もなければ、民衆が革命を起こす事もありませんでした。

西暦30年、ローマ帝国には329の良質の製パン所があったと記録されています。この製パンは全てギリシャ人によって経営され、ローマ帝国の発展をギリシャ人が陰から支えていました。

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その後ゲルマン人の侵入とローマ帝国の滅亡によりパンの技術はすたれてしましますが、1600年ほど前にローマの遺産を継承し続けていた東ローマ帝国から発酵パンの作り方を教わり、様々なゲルマン民族に伝わると小麦は中世でもっとも重要な食材となりました。

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しかし、小麦栽培に適しない地域では雑穀のアワやライ麦がパンの原料となりました。ローマ帝国末期から中世にかけて数百年もかけて抵抗力の強いライ麦が、まずはアルプスの山地を経由してヨーロッパ各地に広がりました。こうして黒っぽいライ麦パンが庶民のものでありました。

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こうして、一旦はローマ帝国の崩壊で廃れたけど再び広がったパンが現在でも食べられており、イタリのトスカーナ地方の伝統的な朝食ないし昼食はパンにオリーブオイルを塗り、塩を振るもので、コロンブスが1492年にアメリカ大陸を見つけてトマトが伝わると潰したトマトを潰して塗りつけるようになります。

そして現代でも余って堅くなったパンの再利用として、現在でも人気があるトスカーナ地方の伝統的な料理にリポッリータとアクアコッタがあります。

リボッリータ

リボッリータ

リボッリータは野菜のごった煮スープに古いパンを入れて煮込み直したオジヤ風の一品で、オリーブオイルとチーズを加えて食べます。

アクアコッタ

アクアコッタ

アクアコッタは大きなフライパンの底を塩漬け豚肉のパンチェッタで擦るかまたはオリーブオイルを敷き、そこにタマネギを入れて、とろ火で炒め、水を加えて、塩を少々、もしもあれば唐辛子を少々入れ、それらをスープ皿に入れた古く堅くなった薄切りのパンの上にかけ、ペコリーノチーズを振り掛けます。

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このように古くなって堅くなったパンを再利用するほど、イタリアではパンだけは貴族も庶民も欠かせないという思いが歴史を一貫して強く、使用人にも自分達と同等のパンを大枚はたいて支給している事がわかる領主の帳簿も存在します。

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1300年前からローマ法王領の中心であるローマでは、パンの供給が保証され、小麦価格の上下に関わらずパンの価格は一定していました。誰にでも丸パンが供給され、緊急時には無料になりました。

こんな歴史もあって、現在でもイタリア人は無類のパン好きで、イタリア人は1日平均230グラム食べるという統計もあります。近年まで南イタリアの貧しい人たちは満腹感を得るべくパンを大量に食べられています。

作家ナタリア・ギンスブルグ

作家ナタリア・ギンスブルグ

ナタリア・ギンスブルグが『ある家族の会話』で長兄のジーノが学生時代、食後に本を読みながら、またパンをボリボリ食べ続け、1キロくらい平らげることがあった、と記しているのも、あながち例外的な話ではなく。ヨーロッパで一番パンの消費量が多く、どんな食事にもパンがついてきます。

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レストランでも学食でも必ずパンはかならずつき、おかずはパンと一緒に食べるものとされ、パンなくしておかずもありえないのがイタリアが2500年ほど前にギリシャ人から伝えられたパンに始まって現在に至るイタリアの食文化の歴史となります。

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記事を書いていましたら、パンは無いですが、クラッカーがありますので。このクラッカーを古くなったパンの代わりにして、なんちゃってアクアコッタを作ろうかと思います。

以上でコラムは終わりですが、いい暇つぶしになったでしょうか?

食の歴史その32~ホテルやレストランの「バイキング」のルーツ~

19 7月

こんにちは。今日も皆さんの暇つぶしになればと願ってコラムを書いて見ました。

今回は画像が無いので、携帯やスマホからも見やすいかと思います。

 

ホテルの朝食では好きなものを好きなだけ食べてよいバイキング形式が無駄の無い食事法であり、ホテル側にも利用者側にも好都合な形式です。

言うまでもなくなくバイキングは「入り江に住む人」の意味で西暦700年代から1000年代までイギリス、オランダ、フランス、ロシアなどへ積極的に進出し、中には地中海に入ってイタリアの南にあるシチリア島に王国を築いたり、東ローマ帝国やイスラム帝国とも盛んに貿易をしたノルウェー、デンマーク、スウェーデンの人たちを指します。

話がわき道に逸れますが、映画にもなったロビン・フッドはフランスのノルマンディーに定着したバイキングの末裔がフランスからイギリスへ上陸して征服したノルマン王朝の時代のお話で、十字軍で活躍したイギリスのリチャード獅子王もノルマン王朝の系譜の人です。

話を戻して、バイキングは船首につけた飾りから「ドラッガール(竜)」、「スネッカール(蛇)」と呼ばれる幅5メートル程度の船を操り、沿岸地域のみならず、ロシアの川を遡って中東まで向かい、西にはアイスランド、グリーンランドまで殖民したりと広範囲で活躍した民族で、アメリカの東海岸をコロンブスより数百年早く発見したという説もあります。

このバイキングたちの故郷である北欧は寒さのために収穫の少ない麦が貴重品で、パンを薄く切ってバターを塗り、50種類の多種多様な具を乗せ、酒を飲み、談笑しながらずっと日の沈まない白夜の夜を楽しむ習慣があります。

スウェーデンではそれを「スモーガスボード」と呼びます。

「スモーガス」はバターつきパンを意味し、「ボード」はテーブルを意味します。

この北欧独特の食事に目をつけて日本にこの「スモーガスボード」スタイルとも「ビュッフェスタイル」とも言われる形式を日本に持ち込んだのは東京は帝国ホテルの犬丸徹三社長でした。

彼は、1957年の北欧視察の時に、「スモーガスボード」の方法に接して関心し、日本に取り入れました。

この食事形式のネーミングは帝国ホテルで社内公募され、時同じくして日本でも上映されていたカーク・ダグラス主演の映画「ヴァイキング」の中に、船の上で飲み放題、食べ放題のシーンにヒントを得て「バイキング」という名前が採用されました。

この短いコラムを書いていましたら、ある意味お惣菜がバイキング形式で選んで買えるオリジン弁当にでも向かい、海老とブロッコリーのサラダとポテトサラダなどを好きなだけ取って買い、今日の夕食のおかずにしようかと思います。

今日はこの辺でコラムを終えますが、皆さんいい暇つぶしになったでしょうか?

最後に映画「ヴァイキング」の映像をYou Tubeから、

英語が分からなくても映像見ていると何となくわかります。そこが映画のいいところですね。