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食の歴史その24~イスラム教はなぜ豚肉を禁じるのか?~

6 7月

おはようございます。今日も皆さんの暇つぶしになればと願って、コラムを書いて見ました。

また、説明に地図を使うので。画像を出します。

古来、世界各地でいわれなき偏見やタブーにさらされた肉は少なくありません。

豚肉はそれらの筆頭にあげられ、豚肉を食べる事を禁じるユダヤ教、特に広く分布しているイスラム教での忌み嫌われぶりも半端ではないです。

たとえば厳格なイスラム教徒となりますと、豚肉が鍋や包丁などの調理器具に触れているかも知れない可能性を恐れ、一般のレストランを避けて、わざわざイスラム教徒専用レストランで食事を取るなど徹底しています。

イスラムの戒律が比較的ゆるいインドネシアでも10年ほど前、味の素の製造過程に豚の成分を使用したという事実が発覚して逮捕者が出たりと大騒ぎになった事もあります。

科学的には味の素という製品になった時点で豚の成分は消滅しているのですが、イスラム教では食用禁止にあたるのだそうです。

ではなぜ、そこまで豚を嫌うのか聞くと、豚を嫌う当事者であるユダヤ教徒、イスラム教徒も明快な答えを出せなかったりします。

そういった事情から生理的な嫌悪感や食わず嫌いとも言えるでしょう。

イスラム教の開祖マホメットによる『コーラン第五章の食卓の章には、

「死んだ獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ邪心に捧げられたもの、絞め殺された動物、撃ち殺された動物、また猛獣の食らったもの」

などは食べてはならないとされてあり、第六章の家畜の章にも「死肉、流れ出た血、豚の肉、これらはまったくのけがれもの」などとタブーであることを強調しています。

イスラム教徒が豚肉を嫌う最大の理由は、これらの戒めを遵守しているからにほかならないのです。

ちなみに、イスラム世界で禁じられた肉は「ハラム」と呼ばれ、逆に食用にしていい肉は「ハラール」と言われています。

ユダヤ教の聖典『旧約聖書』の「レビ記」「申命記(しんめいき)」の中でも、全知全能の神ヤハウェ(エホバ)は事細かに食肉のタブーを命じています。

数ある動物のなかでも、

「ひづめが分かれたもの、ひづめが二つにきれたもの、反芻(はんすう)するもの」

という条件をクリアしないといけませんが、豚は反芻しないという理由で、けがれた獣としてタブーにされてしまいました。

ユダヤ教を母体とするイスラム教は『旧約聖書』の教えの一部を受け継いでいるものなので、タブーとした根源が『旧約聖書』が由来とみても差し支えないと言われています。

このような背景から、豚を禁じるのは宗教に根ざしたものと思われるが、ではなにゆえにヤハウェやマホメットが豚を禁じてしまったのだろうかと言いますと。

豚は人糞も含むあらゆるものをむさぼり食う大食漢で、鈍重なうえに、発情期が21日周期で年中繰り返すといった性欲のを持つ習性が、不潔で汚らわしいというイメージをかきたてられ、ブクブクと醜く肥え太り、どうひいきめに見てもスマートさとは程遠い。

「この豚野郎!」

という感じの、ののしりの言葉が世界共通の代名詞にもなっているほどなので、比較的に禁欲主義的なユダヤ教やイスラム教とは相容れない家畜と、そうそうに決められてしまったのかも知れません。

事実、現在のイスラム法学者たちの多くは、

「アッラーが豚肉を禁じた第一の理由はそのいやしい習性と食べ物がきわめて不潔である豚の生態そのものにある」

と解釈する傾向が強いそうです。

しかし、豚は清潔好きな動物で知られており、悪しき本章とみられるのは飼育する側に問題があるためです。糞を食べるという理由にしても好んで食べるわけではないし、場合によってはニワトリ、ヤギ、ウサギ、イヌも糞を食べる習性があったりしますので、根拠が弱かったりします。

いっぽう、牛やヤギはミルクをはじめとする乳製品を、羊は羊毛を、ニワトリは卵をといったように、肉だけにとどまらず、様々な副産物を提供してくれる家畜ですが、豚は労働力にもならなければ、毛も繊維には向かない。

結局、豚は肉以外に利用価値がないから差別の対象になったのだろうとする意見もあります。

これらの動物の習性論に取って代わったのが、食衛生と生態環境の両面から解釈しようとする試みでして、要約しますと。

第1に、中東のような暑くて乾燥した地域では、豚肉は腐りやすく、これを食べると食中毒にかかりやすい。

第2点は、不潔な食べ物を摂取する豚は病気に感染している危険性が高い。

第3には、絶えず移動を強いられる遊牧中心の中東では、定住性の家畜である豚は生態環境に適さない、

などといったものです。

これらの点を案じた古代の人たちは、生活を合理的に営む知恵として、神の啓示という建前を駆りながら豚肉を食べる事をタブーにしたと考えられております。

豚の祖先は適度な湿度と大量の水に恵まれた河岸を住みかととしてきたと言われています。

このため、豚の体温調節システムは高温で乾燥した場所で生息には適していない事だけは確かです。

そもそも、汗を出す汗腺をほとんど持っていないため、自ら体温を調節することが出来ない。

豚が泥の中を転げまわっている光景も汗を流す事ができない豚の体温冷却のための生理的な動作だったりします。

したがって、中東で養豚業を営もうとすると、風通しの良い場所を選び、直射日光をさえぎるための日陰や水を蓄えた土地を人工的に作る必要があり、飼育してもコストが大変悪い。

飼育するコストが大変悪いのは中東に限った話ではなく、乾燥地帯の遊牧民全てに当てはまる法則だとも言われています。

だが、3000年ほど前まで古代の中東では豚を抵抗無く食べていたことは、各地の遺跡による大量の骨の発掘で証明されていますので、環境条件だけを、タブーにされ続けてきた根拠とするには、根拠が弱かったりします。

諸説入り乱れる中で、最近では古代ユダヤ人による善悪二元論的な世界観に基づいた「肉食可否の分類法」が有力説として浮上してきています。

これは自分達の食体験にのっとって、食べていいもの悪いものを振り分けておけば食生活の安全上の目安になるうえ、肉を得るための家畜化する判断基準にもなりうると考えた一種の○×法です。

この法則によって、草食動物はOKだが肉食動物は駄目という単純な図式が定着したのですが、雑食性とあいまいな動物、とりわけ豚は○か×か判断に迷う正体不明な動物と見られたのでは?と言われています。

一方、乾燥地帯の中東には不向きでコストが高い豚の飼育は中東では重要な農牧とは言えず、タブーになったからといって経済面でもそれほどマイナス要因にならなかっただろうと推測されています。

コラムは以上ですが、いかがでしたでしょうか?

次はヒンズー教やユダヤ教の食のタブーについてもとりあげてみようと思います。