「天下人の食卓」第1回は織田信長の食卓を紹介してまいります。
『信長公記(しんちょうこうき)』のエピソードで桶狭間(おけはざま)の戦いに出る前、
「人生五十年~」と敦盛(あつもり)の舞を行ってから鎧をつけた信長は立ったまま食事したとあります。
信長が立ったまま食べていたのはご飯にお湯をかけた「湯漬け(ゆづけ)」と呼ばれるものでした。
この頃にポルトガルから日本へやってきた宣教師のルイス・フロイスは『ヨーロッパ文化と日本文化』のなかで、
・われわれはスープがなくても結構食事をすることができる。
・日本人は汁がないと食事ができない。
と記し。必ず水分と一緒に食べる日本食が印象的でした。
『名将言行録(めいしょうげんこうろく)』『信長公記』などにあるエピソードによると信長は好き嫌いが激しく偏食がでした。
他にも街を歩きながら餅や瓜を食べる事は不作法とされてましたが、一目をはばからずに行い「うつけ者」と呼ばれます。
信長、秀吉、家康の3人に共通するのは鳥肉をよく食べ。
醤油はずっとあとの時代の調味料なので当時は鳥肉の塩焼き、または焼いた鳥肉を味噌ダレで頂きました。
漬物はみそ漬けが多く。
当時は漬け物を「香の物(こうのもの)」と呼んでました。
目新しい洋菓子を好んでいた信長へ宣教師がカステラを献上したところ、
ワサビと醤油で食べたと記録されてます。
『名将言行録』では信長が鷹狩りに出かけると昔、信長を諫(いさ)めて切腹した平手政秀を思い出し。狩った鳥の肉を引き裂いて
「政秀!これを食べよ!」
と言って空に向かって投げ、涙を浮かべていたそうです。
信長にとって家臣に与える褒美の食べ物が、「肉」だとうかがい知れるエピソードです。
以上が信長の食卓でした。
これから焼き鳥の缶詰めとみそ漬け、かぶのお吸い物でご飯にしたいと思います。
焼き鳥の缶詰めとみそ漬けは酒の肴にも相性バツグンです。
外出を控えている方もそうでない方も、いい暇つぶしになったでしょうか?
参考文献
・ルイス・フロイス著「ヨーロッパ文化と日本文化」
・太田牛一著「信長公記」
・志村直人著「歴史ごはん」
・岡谷繁実著「名将言行録」